ここでご紹介しているハンドブックは2006年にアメリカで作成されたものです。それまでの欧米での性分化疾患を持つ子どもや大人、家族の方の医療ケアには多くの問題点が指摘されており、この章に掲載されている手紙にも、そのような状況を踏まえたものがいくつかあります。欧米ではこのハンドブックが出た時代以降、体の状態に応じたサポートグループや家族の方のサポートグループが設立されたり、診断・医療技術の進歩、社会医療的サポートなど、性分化疾患医療は大きく改善されつつあり、現在とこの章に描かれている状況とは大きく異なるところもあります。

 

現在の医学・医療・サポート体制を踏まえた上での、DSDを持つ人々やご家族の体験談は、「ライフストーリーズ」でご紹介しています。ぜひこちらもご覧いただければと思います。

性分化疾患を持って大人になった人々の思い・考え

コリン・ストールさんの思い

 

僕が生まれたのは1968年。全く健康な赤ん坊でした。ですが、成長しきっていない精巣と性腺機能低下症、それに軽い尿道下裂を持っていました。幸運にも僕は、他のほとんどの親御さんがそうであるように、思いやりと愛情にあふれる両親の間に生まれることができました。ふたりはお医者さんに何度も質問をくりかえし、すべてを鵜呑みにしないで、じっくりと僕のことを考えてくました。両親が選んでくれたお医者さんも、定評のある先生で、何でもオープンに答えてくれる人だったそうです。僕が最初に受けた手術は4歳の時。尿道の出口を広げるためのものでした。外科医の先生は、もっと普通の見た目になるようにと、人工の精巣を入れることを勧めましたが、両親は外科手術のリスクについて十分に認識していましたので、僕が自分で話を聞いて決められるまでと、それについては断ったそうです。僕は12歳まで自分で待って、片側だけ人工精巣を入れることにしました。僕にとってそれはひどく辛い体験でしたが、両親はいつも支えてくれました。もう一方には人工のものは入れないと決めた時も、それを尊重してくれました。次に10代の半ばには、乳房が大きくなっていきました。テストステロンの注射が原因でした(訳者注:男性ホルモンであるテストステロンは、男性でも一時的に乳房発達が起きる原因となる。たいていの場合は一時的なもので、小さくなっていくことが多い)。

 

 両親は僕にずっと、自分自身を大切にすること、自分自身を愛することを教えてくれていましたが、10代の僕には、自分の体の違いはとても戸惑うものに感じられ、両親とお医者さんに、乳房を取る手術をお願いしました。先生には18歳になるまで待ってはどうかと言われました。両親はここでも僕を尊重してくれましたが、同時に、先生の説明にも耳を傾け少し考えてみることも勧めてくれました。最終的に僕は、高校卒業と大学入学の間に手術を受けることにしました。今振り返ってみて、後悔はありません。ひとつには、それは僕自身が決めたことだからです。今は30代ですが、やはり自分の体には今でも少し戸惑いを持つことがあります。太りすぎかも?筋肉が弱いなあ、なんて思うこともありますが、こういう思い悩みは、我々の文化のちょっとした風土病みたいなものです。僕にはそれが分かります。家族や友人、恋人、尊敬する人やカウンセラーの皆さん、それに様々な人生の体験が僕に、自分をそのままに大切にすることを教えてきてくれたのですから。

エスター・モリス・レイドルフさんの思い

エスター・モリス・レイドルフさん

 私の治療に当たるときの私の両親の立場。今なら分かります。ふたりがどれだけ孤立していたか。誰かのサポートをとても必要としていたのに、それを得ることができなかったのだと。ずっと後にならないと分からなかったのですが、私のお母さんは影に日向に私のことを支えてくれていました。母は自力でそういう力を身につけていったのでしょう。私が一番強く記憶に残っているのは、ある夏、キャンプに向けての健康調査票で、「生理周期」を「普通」のところにチェックする母の姿です。母がそうすると言った時、私は激しく怒りを感じていましたが、今では母がそうした、その思いも理解できます。母にこのことについて訊いた時、母はこう、簡単に答えました。「そうね…。あなたのためだった。他の人は普通なの。でも私はあなたのことが大好きだから」。これが、私の人生や経験にとって「普通」というものがどのように定義されるのか、初めて考えた時になりました。それは今でも、私の健全さを保つ基礎になっています。

ティア・ヒルマンさんの思い

 

ティア・ヒルマンさん(左)とお母様

 

 

母に分かってもらいたかった。

あなた自身が持っている賢明さを。

あなたの持っている悲しみは、自分ひとりで背負いきれるものではないことを。

先天性副腎皮質過形成という「ギフト」は、私をアウトサイダーにもしたけど、同時にコミュニティオーガナイザーにもしたし、私をランナー、作家にもしたということを。

母には分かってもらいたかった。

お医者さんは全能じゃないってことを。

父がなんと言おうと、隠さず話し合っても、サポートを受けてもいいのだということを。

無理やり私を普通にしようとしても、そんなことで私は普通になんかならないことを。

母には分かってもらいたかった。

母がどれだけ動揺していたか私が分かっていたことを。

それは自分のせいなんだと私が思っていたことを。 女の子でも少し毛が濃くなったって、別に変なことじゃないってことを。

他の子よりもセックスに興味を持ったって、別にいいってことを。

母には分かってもらいたかった。

お医者さんが体重管理をうるさく言うからって、子どもに無理なダイエットをさせても意味がないってことを。

私が自分に誇りが持てるように育てたいのなら、私が堂々と他の人との違いを受け止められるような自信を与えるべきだったということを。

どんなに恵また環境でも、人と違うってことは辛いことで、誰かの支えが必要なんだってことを。

母には分かってもらいたかった。 みんなが違いを受け止められる世界を実現させるには、世界のことよりまず私のことを、あなたとは違うひとりの人間だって受け入れなきゃいけないってことを。

私がインターセックスという言葉を使っているのは、私と同じ状況にある人に出会うためで、自分自身を振り返り、心の重荷を下ろすためなんだってことを。

分かってもらいたかった。

私に必要なのは居場所で、私をそのままに受け止めてくれる人、私のことを先生、リーダー、恋人だとちゃんと思ってくれる人がいるってことを。

私が私であることで、他の人に、心休まる港を、高すぎてひとりぼっちの木の上に皆が集まれる巣を作ることができるんだってことを。

あの時の母に分かってもらいたかった。

私の診断から30年。

その間にあなたは、私の父親じゃない他の男性に逃げてしまい、結局は別れて泣いて、それから私たちは少しずつ歩み寄れるようになるのだってことを。

そして自分たちのことを大丈夫だと思えるようになるのだってことを。

 

ティア・ヒルマン「母に分かってもらいたかったこと」

  

べヴ・ミルさんの思い

 

べヴ・ミルさん

 

 15歳のとき、自分の子どもは持てないだろうことが分かりました。私は「子宮が変形していて膣が短く、結婚するときには膣を拡張せねばならない」。そう母と私は言われたのです。母はその日のこと、私の体の状態について話すことは全くありませんでした。真実を知ったのは44歳になってからです。完全型アンドロゲン不応症でした。母と私のあの時の心の傷を乗り越えていけるような情報が少しでもあれば、どれだけ良かったでしょう。こういうハンドブックがあれば、ちゃんと体の状態を理解して受け止めていくこともできたと思います。当時はこういうものがなくて、乗り越えて行くのに全人生をかけねばなりませんでした。

  

同じ親御さんからの手紙

「子どもについて」

  

オランダの文部科学省に当たる教育文化科学省の解放政策局の要請により、政策研究機関である社会文化計画局が作成した、世界ではじめての国家機関による、DSDs(体の性の様々な発達:性分化疾患)を持つ人々の実態調査書を日本語に翻訳しました!

 

探索的調査としながらも、DSDsを持つ人々への綿密なインタビューや、世界中の患者団体、多くの調査研究からの情報などを総合し、誤解や偏見・無理解の多いDSDsについて、極めて客観的で当事者中心となった報告書になっています。

 

近年日本でも、教育現場や地方・国レベルで、性的マイノリティの人々の一つとしてDSDsが取り上げられるようになっていますが、DSDについての知識が不十分なまま進められている現状があります。

 

性教育などでDSDsについて触れたり、地方・国レベルでDSDを持つ人々と家族についての政策を進言したいとお考えの皆様には、とても参考になる資料です。是非ご参照下さい。

オランダ社会文化計画局報告書

 「インターセックスの状態/性分化疾患と共に生きる」

ネクスDSDジャパン DSD(性分化疾患)を持つ子どもと家族のための総合情報サイト

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日本性分化疾患患者家族会連絡会:ネクスDSDジャパンは、世界のDSDs患者家族会・サポートグループと連携し、主にDSDを持つお子さんとご家族のための医療ケア、子育ての疑問などについて、世界中のサポートグループからの情報を発信し,日本の性分化疾患各種患者家族会との連携をしています。

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