御覧の皆様へ
先天性副腎皮質過形成(CAH)とは、腎臓の上にある副腎という器官の異常により起こる疾患です。副腎は本来、感染症やケガなど体にストレスが加わる時に体の状態を調節する大切なホルモン「コルチゾール」や、血液中の塩分と血圧を調節するホルモンを作っているのですが、CAHの大部分を占める21水酸化酵素欠損症では副腎の異常により、その大切なホルモンが分泌されず、ストレス時には逆に副腎ショックという深刻な状態を起こしてしまい、最悪の場合には死に至る可能性もあります。そのためお薬は一生欠かせません。現在日本では、赤ちゃんの命に関わる疾患が早めに分かるようにするためのマススクリーニング検査にCAHが加わっており、生後間もなくの死亡などは防げるようになっています。
CAHはXXの女の子にも、XYの男の子にも先天的に起きる疾患ですが、女の子の場合、コルチゾールなどの命を守る大切なホルモンの欠乏からの連続で、高アンドロゲン化作用が起きる場合があり、性別の判定にしかるべき検査が必要になる外性器の状態で生まれてくることがありますが、しかるべき検査の上でちゃんと女の子であることが分かるようになっています。ですが、親御さんにとっては娘さんの命に関わる疾患であるため、非常に恐ろしく、つらい思いをされることになります。
アメリカのCAHサポートグループ「ケアズファンデーション」は、CAHを持つ女の子・男の子そして家族の皆さんへのサポートや情報提供を行っている団体です。アメリカのこのような患者会は皆さんからの寄付で成り立っているのですが(欧米では寄付の文化が普通なのです)、よりたくさんのCAHを持つ子どもと家族の皆さんをサポートできるよう、毎年募金キャンペーンを行っています。
日本でも親御さんが作られたサポートグループや大きな病院の患者・家族会はありますが、欧米やオーストラリアでは、全国規模の医療との協働でのサポートグループが整備されており、CAHについて知っておかねばならないこと、対処法、家族同士のサポートや、心配事への回答、より良い治療・サポートのための調査・研究などが行われています。日本でもこのような全国単位の医療協働の上でのサポートグループができあがっていくことを望みます。
命にも関わる疾患の上、センシティヴな問題も含まれるため、親御さんたちが自分の家族の物語を語られるのには、とても勇気がいることです。色眼鏡で見られることが何よりもご家族やお子さんを傷つけることになります。そのことを踏まえてお読みいただければと思います。
私たちは「性のグラデーション」でも「男女の境界の無さ」でもありません。むしろそのようなご意見は、私たちの女性・男性としての尊厳を深く傷つけるものです。
女性CAHをはじめとするDSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患)は、「女性にもいろいろな体がある、男性にもいろいろな体がある」ということです。
どうか、お間違いのないようにお願い致します。
詳しくは「DSDsとは何ですか?」のページをご覧ください。
ロンジンちゃんのお母さん
ロンジンは今5歳。娘は先天性副腎皮質過形成(CAH)でもより深刻な型を持って生まれました。生まれるまで、この子の生命を脅かすようなこんな障害のことは一度も聞いたことがありませんでした。この障害のより良い治療をしていくために、すぐに私たち自身がこの障害についての知識を得る必要があることははっきりしていました。手術はいつするのかの決定、17OHPの正常値の理解、それにストレス時のお薬の服用と副腎ショックの症状など、私たちはたくさんのことに直面しました。もちろん私たちは打ちのめされました。
インターネットでケアズファンデーション(アメリカのCAHサポートグループ)のサイトを見つけ、ラッキーなら返信がいつか来るだろうと思いながら、まだ心の整理がつかないまま私たちの疑問を書いて送りました。びっくりしたのですが、次の日には詳しく書かれた返信が届いたのです。それ以来ケアズファンデーションは、この複雑な障害の理解と対処のあり方について、とてもとても助けになってくれています。サポートグループには本当に貴重なリソースがあって、おかげでロンジンは今もここで生き延びて、このキャンペーンにも加わることができました。


ブルックリンちゃんのお母さん
この写真に写っているのは私たちの大切な一番年下の娘、ブルックリン・リアンです。娘はCAHを持って生まれました。正式な診断が出たのは、娘が初めての副腎ショックの兆候が出始め、新生児スクリーニング検査の結果が出た時です。活発だけど内気で、兄弟と遊んだり、もう免許をとった姉とちょっとしたお出かけに出るのが好きな娘です!
私たちの物語は希望の物語です。診断を受けて、私たちは内分泌科のお医者さんを紹介されました。そのお医者さんのこともまだ存じ上げず、娘の疾患についての情報もまだ知らされず、もし適切に対処しなければどれだけ大変なことになるだろうということも知らないままでした。ブルックリンが生まれてから3年間は、彼女のケアに明け暮れました。
去年の4月、ブルックリンは病気にかかりました。そういう時にやるべきと教えてもらったこと、つまり「見守ること」(と言っても何を見守ればいいのか本当にはよく分かっていませんでした)、それにいつものお薬を増やすことをしました。娘はずっと吐き続け、何も(少しのお水も)飲み込めませんでした。かかりつけの小児科の当直のお医者さんに連れて行きましたが、彼もCAHについてはあまり知識がありませんでした。彼は、娘に水分を与え続け次の日にも良くならないようなら電話して下さいと言って、私たちを家に返しました。次の日も全然良くなんてなりませんでした。
娘は血を吐き始め、無気力でリビングルームの床に敷いたじゅうたんから動くことさえできませんでした…自分が吐いたものの上であろうと気にしないで、横になることを望んだのです。私はそのように考えるだけでも恐ろしいとわかっていたのですが、娘が死の瀬戸際にいることは確かでした。私は娘をもう一度、今度はいつもかかっている小児科の先生に診てもらいにいきました。私たちは、彼がそのよな信じられないような方法をとるような才能を与えたことを、神様に感謝します。彼は私たちを病院にまっすぐ連れていき、すぐに娘の治療を開始したのです。娘はひどい副腎ショックの状態にあり、小児科医は後に、娘が死んでしまうのではないかと思ったと私たちに語りました。
ブルックリンはその後3ヶ月の間にさらに2回副腎ショックを起こし、私たちは新しくまた別の内分泌科のお医者さんにかかることにしました。お医者さんを変えてからは、ブルックリンは副腎ショックを起こすことはありませんでした。私たちは有効期間が切れた古い薬が娘の副腎ショックの原因である可能性が高いと考えました。そのため、薬を変え、服用量について必要な調節をすることにしました。また、娘のCAHの型を正確に知るために、ブルックリンに遺伝子検査を受けさせました。しかし、娘のCAHに関する遺伝子の中には多くの変異があり、正確にどの型なのかを特定することはできませんでした。私たちは正確に知るために、私と夫の遺伝子検査を受けようと思っています。
娘が最初に診断されたとき、私たちは恐れると同時に打ちのめされました。私たちはこの病気がブルックリンと私たち家族にとってどんな意味を持つのか想像することしかできませんでした。そのとき私たちが感じていたのはほんの氷山の一角に過ぎませんでした。これは私たちがもがき続ける旅(道のり)であり、自信を感じる日もあれば、次の副腎ショックが来るときを、そしてそれが意味することを恐れる日もありました。しかし、私たちはケアズからとても多くのサポートを受けてきました。CAHの治療がどのようなものでなぜ受けるのかということだけでなく、CAHの経過についてもたくさんの情報を得ました。私たちはケアズファンデーションから受け取ったサポートやトレーニング、情報を用いて、地元の病院のスタッフ向けにCAHについての講座を初めて開くことさえできたのです!私たちはその病院のスタッフと医師たち全員が娘のケアのために教育されたという確信を持っています。
娘がショック状態にあった間に病院での急変があったので、(訳者注:その講座が無ければ)ブルックリンが今ここに私たちと一緒に元気で生きていることができなかっただろうということは疑いもありません。しかし、私たちの希望と頼りは私たちは神様が娘とともにあり、娘の命を守ってきたということを知っているということです。そして神様は私たちに、娘のケアのために進むべき方向を示してきてくれました。私たちはケアズがその進むべき方向の一部にあったことに本当に感謝しています。
アリィさんのお母さん
最近、私は娘にCAHを持つことが彼女にとってどのような意味を持つのか尋ねました。
娘の答えは単純なものでした。「お母さん、私たちは誰もが何かを持っている。私はたまたまそれがCAHなの」。
私はそれが良い答えだと思い、その問題を広げないことにしないことにしました。結局CAHを持つことは娘が目標と人生の情熱−水泳−を追い求めることの妨げには全くなってきませんでした。
夫と私は早い時期から娘が活発に運動するようになるだろうと分かっていました。というのは、娘は10ヶ月で歩き、11ヶ月までには走っていたのです。すぐにベビーベッドをよじ登るようになり、同様に安全のため出てこれないように娘の寝室の扉につけておいた柵もよじ登りました。
CAHを持つ子どもの親として私たちは心配しました。娘は友だちと一緒にスポーツに参加することができるのだろうか。もし傷つけられてしまったら?体温が上がりすぎたり脱水になってしまったら、何が起こるのだろうか。娘を安全で何者からも傷つけられないように,外界から閉ざして生きさせることは全くもって簡単なことではありませんでした。心配しないでください。私たちがこのような現実味のないことについて考えたのはそれほど長いことではありませんから。スポーツに参加することが娘を幸せにするならば、親として私たちがすべきことは確実にその幸せをもたらすことです。

5歳まで娘はサッカーをしていましたが、フィールドにいることはできず、ゴールキーパーをしなければなりませんでした。ソフトボール(もちろん捕手と投手)を始めたのは6歳のときでした。同時に水泳とロッククライミングとバスケットボール,そしてゴルフも始めました。水泳が娘の最も好きなスポーツになったのは、8歳のときにナッソー郡で開かれた大会の25ヤード以下のバタフライで1位をとってからでした。2年生のときに娘は地元の水泳教室に参加しました。まだ他のスポーツも諦めきれなかったので、娘はミドルスクールまでそれらのスポーツを続けました。
娘の水泳への情熱が別の扉も広げ,10歳の時にジョーンズ海岸でのジュニアライフガードプログラムに参加し、サーフィンとトライアスロンを始めました。7年生のとき、娘は高校の水泳代表チームをつくりました。そして、サッカーやバスケットボール、ロッククライミングはもうやらず、いつも時間を見つけては父親と一緒に18ホールのゴルフかキャッチボールをしているようです。
これら全ての活動は本当に娘の身体を支えとなり、CAHが娘の妨げとなることは全くありませんでした。水泳競技会の長い日々から、さらに長い日程の熱い太陽の下でのライフガーディング大会でさえも、娘は200%の力で挑戦しました。
水泳が娘の人生においてどこにつれていくのかわかりませんが、既にはるか先にまで娘を前進させてくれたことを知っています。娘は自信に満ちている熱心な若い女性で、13歳という年齢で人生においてほとんどの人々が夢見ることよりも多くのことを成し遂げています。私たちは彼女の例に見習って、最高の人生を生きるべきでしょう。


ケイティさん
私の名前はケイティ。27歳。生まれた時に先天性副腎皮質過形成(CAH)と診断されました。
ケアズファンデーションは長年、私にとってとても役に立つ情報源になってくれています。緊急時の対応法とそのパンフレットは、緊急の場合に同僚や友人にお願いしたいことを情報として共有するのにとても役に立ってくれています。
CAHとは何か?という基本的な手引きは、私自身と家族がCAHの原因と影響を理解するための大きな情報源になりました。たくさんの新しい治療プログラムにも参加してきましたが、それもケアズファンデーションが進めてきた調査・研究から開発されたものでした。このような治療法は、私の体の状態の治療をより良いものにしてくれ、全体的な健康の維持、そして私のCAHの理解を深めてくれました。
私はどんなことに対してもCAHを理由に引きこもりたくありません。私は自立して、フルタイムの仕事をしていますし、海外旅行も好きです。私は義肢装具士・歯科矯正士として、その人にフィットした義肢と装着具を作成しています。
CAH故に経験したことは、患者さんたちとの関係をより良いものにしてくれました。持っている健康問題は同じではありませんが、私たちは乗り越える問題を持っている仲なんですから。
CAHは私が何者か決めるものではなく、乗り越えてきた問題なんです!
