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第3章:体の状態の判明の体験過程



成人当事者


 10人の体験専門者のうち4人が,目に見える外性器の形状の違い/あるいは重度の塩基喪失のため,出生時に性分化疾患の体の状態が判明しているが,そのうち1人(年齢が高い人)が,自身の体の状態について更に特定された情報を自分で得たのは成人になってからであった。10人の体験専門者のうち6人は,二次性徴の欠如を原因に,診断されたのは思春期になってからであった。3人は当初,誤った診断を受け,(すべて地方病院での)診断プロセスには辛い思い出を残している。それは特に彼ら彼女らが(親御さんと共にという場合が多い)自分から情報を求め,思っていたこととは異なる診断を医師から受けるという場面に直面するからである。彼ら彼女らは,正確な診断がなされれば,自分の体の状態についてのすべての側面を,関わった医師から完全に情報提供されていた。

 2名の参加者(40代と30代)は,親御さんから体の状態についての正確な情報(たとえばXY染色体や精巣のこと)を長年知らされていなかった(たとえば子宮がないことや不妊についての話は知らされてはいた)。親御さんの中には「ただ単によく理解できなかった」(CAISを持つ女性:44歳)という場合や,医師からの要請や当時の時代状況から正確な話をするのは最善ではないと判断されたという場合もある。このように正確な話をしないということによって,親御さんとの関係や,自分の体の状態の受け止めと自己イメージへの統合に困難が生じることとなった。


 このような結果となった限られた例もあるが,医師と体験専門者との間の診断についてのより透明なコミュニケーションがなされているかどうか推測するのは難しい。同じような体の状態を持つまだ若い世代の調査参加者には,自分の体の状態について(段階を踏んで)よりオープンに話されているという報告もあることを記しておかねばならない。


 一般的には,受け止めのプロセスは長いものになっていたが,ほぼ全ての調査参加者が,多くの社会的・性的役割(子どもを授かることができないことや,生物学的な母親/父親になれない,十分すべてを兼ね備えた男性もしくは女性という社会的期待を満たさない,他の友達のような典型的な(「普通」の)発達がないこと(たとえば生理や,子どもから大人の女性への移行など))について,(何度もの)折り合いのプロセスを踏んでいた。この調査協力者は次のように述べている。


「もしあなたが同じような目にあったら,あなたの世界も崩壊することになると思う。ありうるはずだった自分でなくなるってことだから。あなたもたくさん考えると思う。自分の存在について。そういうことを色々と。でも特にそう思うのは,男性との関係の時。私はもう,ありうるはずだった自分じゃないって。自分は完全じゃない。自分は不十分だって」(MRKHを持つ女性:36歳)。


医師とのコミュニケーションも,体の状態との関係や,この状態にどう対応していくかという,自己認識や自尊心に悪い影響を及ぼしうる。次のように言った人がいた。


「お医者さんが言ったんです。『同じ症候群を持つ人を知ってますよ。幸せにされてますよ』って。いつも私は『つらいんです。悲しいんです」って言ってて。だからお医者さんにそう言われると,自分が悪いんだって思って。自分がちゃんと受け入れられないからだって。もちろん幸せになれるってこともひとつあると思う。でも最初は普通つらくなるものですよね。だからお医者さんはそういうプレッシャーをかけちゃいけないと思います」(MRKHを持つ既婚女性:35歳)。


 逆に,医師とのやり取りで,自己認識についてや,(医学的治療について話し合うまでの)診断後の受け止めプロセスに十分な時間を得るという,良い影響を受けた人もいた。


「お医者さんに言ってもらって自信が持てました。だってもう自尊心なんてマイナスまで完全に落ちてたから。完全な診断とか医学的な治療とかも必要だけど,お医者さんがまず最初にやるべき大切な一歩っていうのは,そういうことだと思います。まず,メッセージを伝えること。私の場合は,お医者さんが自分でどうしたいか決める時間をくれて,これからもちゃんとフォローしてくれるんだって,本当そう思えました」(CAISを持つ女性:25歳)


 

親御さん


 他の研究調査 (Sanders, Carter, & Goodacre, 2012)で示されたことと同じく,本調査の親御さんも,性分化疾患/インターセックスの体の状態を持つ子どもの誕生は,早産や晩産に加えて,大きなショックを伴いうるものだった。


「私には一つの試練だったと思います。いろいろ考えました。世界の外側に立っているかのようでした。身内には話しましたが,みんなさっぱり理解できなかった」(高度尿道下裂を持つ子どもの父親)。


 また,心に抱いていた(パーフェクトな)子どもという像から立ち直るという必要性も強調した。


「生まれたばかりの赤ちゃんって無限の可能性がありますよね。でもそれが全部シャットダウンした感じでした。とてもつらかったです。そう,足元の地面が崩れ去るような…。でも幸いにも私たちはまだ思えるようになったから。『そう,それなら,どうすればいいか考えればいいんだ』って」(性染色体DSDを持つ子どもの母親)。


 10年以上経っていたという場合でも,子どもの出生時や養子縁組した時,体の状態について周りの人とどんな話をしたか(あるいはしなかったか)ということや,(時には)医師や看護師の反応を,今でも思い出す親御さんもいる。


「お義母さんが廊下で何度か言ってたのが耳に残って。『うん,特別な子どもなのよ』とか『特別な息子だ』って言うのを。控えめにって感じじゃなかったですが,思いやりのある声で」(高度尿道下裂を持つ10代の男の子の母親)。


 また,家族のネガティヴな反応が語られることもあった。この場合は親御さん自身の体験と大きな対比になっていた。


「なんだかとても静かな気持ちでした。『娘はダウン症候群ではない』,『大丈夫そうだ』,『ちゃんとお乳も飲んでる』って私は思ってて。私の父はその時までずっと付いてくれてたんですが,でも廊下に駆け出していって。友達のひとりがなだめに行かなくちゃいけなくなって」(性染色体DSDを持つ10代の子どもの母親)。


 また,その期間に社会的・専門的サポートがなく,いかに孤独になったか強調する親御さんもいた。10代のCAHの女の子の母親も次のように述べている。


「現実に私ひとり放ったらかしでした。本当にそうだった。別にそれを責めたいわけじゃありません。その時もそうでした。それで後になって,婦人科医さんに言ったんです。『ダウン症候群の子どもさんもいらっしゃいますよね。そういう場合はどうしてるんですか?やっぱりこんなふうに放ったらかしなんですか?』って。言いたかったのは,精神科医さんとかとにかく話ができる人を紹介してほしいということで。でも,睡眠薬を処方しましょうか?って言われて。何が起きてるかということより,とにかく横にいて話くらいはしてくれても良かったんじゃないかって。本当に,とてもとてもとても心細かったんです」。


 サポートがあった場合は,とても感謝されている。


「とても優しい看護師さんでした。その人のこと絶対忘れないと思います。彼女,私たちのために本当にいろいろやってくれて。とても不安になってたんです。子どもを見に行けるかどうか聞くのもためらってたんですが,彼女が全部やってくれて。私たちもそういうこと聞いていいかさえ分からなかったので」(高度尿道下裂を持つ男の子の両親)。


 最後の親御さんが示唆するとおり,伝えられる情報の大多数が新しく複雑なものになる。体の性の発達のプロセスにおけるバリエーションの自然な発生について聞いたことがないという人が大多数で,そういう話を聞かされると感情的な反応を引き起こしうる(Sandberg, 2012)。親御さんたちは,まだ気持ちが収まらず混乱している時期には,複雑な情報を伝えるのであれば,(もっと)時間をかける必要性があることを強調した。


「そこにいるって,その場にいるって感じがしませんでした。実際には頭がはっきりしなかったのだと思います。たくさん詳しい説明は受けたのですが…。私にはそんな感じでした。説明も早口だったり,頭に入らなかったり。私も何か言ってたとは思います。『はい,でも』とか。何度も聞いたのは,『今のは何についての話なんですか?』とか『それはつまりどういうことなんですか? 今のはどういうことですか?』とか。理解するのはとてもつらかったです。いつもいろいろいろいろ調べましたが。とても怖くなるような話を見つけたり。今考えたらおかしな話だったって思いますが,その時は現実的じゃない話でも怖かったんです。あの時は本当,本当つらかったです」(高度尿道下裂を持つ男の子の母親)。

 また親御さんたちは,医療従事者から更に付け加えの情報を必要としたことや,たとえば,診断後に情報を求めてインターネットでの検索したどり着いた情報は,その体の状態のポジティヴな側面に光を当てるよりも,「気が重くなるような話」が多くあったことを示唆した。各体の状態に応じたピアサポート団体の流す情報が,親御さんのこのニーズを満たすものとなった場合もあった。

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