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私が持っていたはずのもの。

Something I should have.

性分化疾患を持つ女性

エレーナさん

完全型アンドロゲン不応症(CAIS)

 

 

エレーナ(23)の染色体は一般的には男性型ということになる。彼女はX染色体とY染色体をひとつずつ持っている。しかし彼女は女の子に生まれ、ホルモン剤を飲み子宮と卵巣がなくとも、全くの女性なのだ。

(オランダ「コスモポリタン」記事)

性別決定の遺伝子

 

1903年にウォルター・サットンが染色体を発見した当時は、性染色体が性別を決定するという仮説が一般的であった。しかし現在、性別はDNAやホルモンの組合せで決まってくることが分かっている。実際のところ、染色体は「性別決定」の一つの要素に過ぎないのだ。たとえば身長で考えても、男性は女性より背が高いのは事実であるが、常にそういうわけではないのと同じなのである。

「ええ。私は立ち向かいました。」

私がAIS(アンドロゲン不応症)を持っていると、ある男性にはじめて告白した時。その時はとても怖かった…。21歳の時でした。彼はとてもいい友達で、長年の知り合いでした。「エレーナ、何かあるのか?」。彼はずっと訊いてたんです。「何かあるんだろ?なんとなくだけど分かるよ」。

 

そして私は突然の告白を始めました。私にとっては爆弾を落とすような感じでした。きっと彼は逃げ出すはずだ。私は確信していました。でも、彼の反応はいたって普通でした。彼は話をしている私のそばにただ立って、私にキスをしたんです。

 

その夜の後、何度かメールを送りました。「また会ってくれるというのなら、乗り越えて行きたい」。でも自信はあまりありませんでした。数日後の土曜日。私たちは大学の広場で一緒にワインを飲んでいました。すると激しい雨が降り始め、私の家は遠いところにありました。彼は言ったんです。「うちに泊まっていけば?」。私は耳を疑いました。精神的にも肉体的にも全てを明らかにする勇気が私にはあったのか?

 

ええ。私は立ち向かいました。セックスはしませんでしたが、彼は全てを見ました。全てを。そして、きれいだと言ってくれたんです。とてもうれしかった。私はずっと自分を異様だと思っていました。周りの人たちと違う。アウトサイダーなんだと。でも、もう、そう思う必要はないんです。

母はずっと黙っていました。

10代の頃、私は母が差し出すお薬を、毎晩無理やり飲んでいました。「飲まないと胸が育たないの」と母は言ってました。当時私がどう思っていたのか、あまり覚えていません。でも何かおかしいと感じていたのでしょう。何年後かの母の日の夜、私は母に唐突に訊いたんです。「私には赤ちゃんができないの?」。母は何か逃げ腰になり、何も知らないとつぶやくと部屋を出て行きました。私は大声で泣きました。母には私の直観が正しいのかどうか、応えてもらいたいと思っていたからです。

 

ですがその夜両親は、私に起きていることを説明してくれました。私はAIS、アンドロゲン不応症を持っていると。実は染色体では男の子なんだって。まともじゃなく聞こえました。つまり私はXとYの染色体をひとつずつ持っていると。女の子はX染色体ふたつなのに。

 

本当に例外のケースですが、オランダでも1年に6人の女の子がこういう体の状態で生まれています。遺伝子の違いから、簡単に言えば、Y染色体がスイッチオフになった状態なんです。

「母はたったひとりで受け止めていたんです。」

外見からは何も分かりません。なので、私が生まれた時も誰も何も分かりませんでした。本当に普通の女の子で、人形で遊び、友達も女の子でした。でも、ヘルニアを起こしたんです。みんなヘルニアだと思ったんですけどね。5歳の時です。母は心の傷を受けました。母が私を病院に連れて行った際、母はたったひとりで受け止めていたんです。

 

私と母とでは、簡単ないつもの手術で済みますと説明を受けていたんですが、後で母だけがお医者さんに呼ばれて、「精巣」、つまり男性の性腺が見つかったと、冷静に言われていたんです。母はショックを受けました。

 

そのお医者さんはとてもうまく説明をしていたようです。つまりこういうことです。人間はみんな、子宮の中にいた8週目の時までは完全に同じです。8週目以降、男性と女性の体の性の発達が始まります。ホルモンは、女性ではエストロゲンが多くてテストステロンは少なく、男性の場合はその全く逆。それで男の子か女の子になっていく。ですが私の場合はY染色体があっても、体がテストステロンに反応しない体質だったのです。だから私は女の子に生まれてきた。子宮と卵巣はない状態で。

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「時々自分が嘘の塊のように感じていました。」

専門のお医者さんによって性腺は摘出され、両親はそのお医者さんからAISについて全てを聞いていました。彼はこのことは誰にも話してはいけないと強調していました。さもないと、噂が広がってしまい、受け入れてもらえないだろうからと。両親はこの意見を受け入れ、長い間母は一番の友人にも何も言いませんでした。私に話した時もそう。両親は私に誰にも言わないように言いました。とても重く感じました。元々活発でオープンな性格の子どもでしたから。嘘をついたりせず友達にもそのまま話す方でした。兄弟姉妹にも。でも、きっと変な奴だとラベリングされるだろうから、秘密にする以外に方法がなかったんです。

 

私自身は、両親がお医者さんの意見を取り入れたのはよかったと思っていますし、責めるつもりはありません。ですが秘密は私の人生に大きな影響を与えました。疾患それ自体よりもです。最初はそれほど感じませんでしたが、秘密の影響はとても大きなものでした。子どもができないことも辛かったですが、それは自分で何か別の手段を対応しようと思いました。私にとって重荷だったのは、やはり、ずっと黙っていなきゃいけないことでした。友達が生理の時は、しばらくして自分も今そうだと嘘をつきました。でも、そういう話が出てきた時は、実際はどうなのか分からないまま話に加わっていました。病院に検査に行くときの言い訳もたくさん考えました。AISのサポートグループでは、誰にもオープンに話すことができて、ホッとできました。

 

時々自分が嘘の塊のように感じていました。昼間は病気だと休んで、夜は外出していたりみたいに。うん。周りの女の子の友達から見たら、おかしかったと思います。

重荷を降ろした日

16歳の時、私はもう黙っていることに我慢できなくなりました。自分の大切なことなのに、誰も知らない、隠されたままのように感じていたんです。誕生日の日、私は学校の友達5人を招待して、食事のあと聞いてもらいたいことがあるって宣言したんです。AISについてのビデオを撮っていたのでそれを見てもらいました。ビデオを見てると涙が出てきて。。来てくれていた友達もひとり泣き出したら、みんな泣き出して。キッチンにいた私の両親も泣いていました。でも、みんなに話せたことは良かった…。女子友達の反応もみんな冷静で、「あなたは超女の子だから、私たちには何にも変わらないよ」と言ってくれました。すごくホッとしました!

 

ですが、それからしばらくはまた誰にも話はしませんでした。あの誕生日の日にはいなくて、新しくできた一番の友達にも。彼女に話をしたのは3年後。彼女の反応は全く無駄がなかった。「なんでそんな肌がスベスベなのかやっと分かった!手入れどうしてるんだろうって思ってたのよ」。彼女は時々私の裸の姿を見ていたんです。(CAISの場合、腋毛やアンダーヘアがありません)。私が子どもを作れないことも一緒に悲しんでくれました。彼女はただ横に座っていただけだったんだけど、私のこと、とても分かってくれていました。

性分化疾患を持つ女性

将来のことはとても心配でした。勉強も仕事もいろいろと。キャリアは積んでいきたいし、これからの人生を楽しんでいきたいとずっと思ってたから。あの時どうしたいと思っていたのかは正確には覚えていません。ただもうずっとクヨクヨし続けて、勉強にも手が付けられませんでした。

交際。キス。そして彼は・・・。

ずっとプレッシャーだったのは、やはり男性との関係でした。注目される方だったけど、しっかり付き合うというのは難しかった。デートして、キスして。そこまではいいんです。でも、好きだと言ってくれてそれ以上の関係を求められると、私の方から遠ざかってしまう。何度も同じでした。自分自身からも遠ざかってしまうような。あまり面白くない人だったから別れたってこともありましたけどね。何度も何度も断り続けて、勇気をもってOKしても、ギリギリでくじけました。どうしてもAISのことを話さなくちゃならなくなるからです。そうなると彼から別れていくことになる。私の方は何か体のことを気づかれたんじゃないかと不安にもなってしまう。外からは膣は問題ないからと3回もお医者さんに優しく言ってもらっていましたが、やはり男性との関係では、AISはとても大きな問題だったんです。

 

このことでとても葛藤していたころ、ある年上の女性の友達から、不意にこんなことを言われたことがあったんです。「エレーナ、あなたっていつも男子とうまくいかないけど、きっとあなたレズビアンなんじゃない!?良かったら、いい女の子探しておくよ」って。違う!そういうんじゃない!そういうのとはもっと別の話で、私はAISを持ってるんだと説明すると、ぜひ臨床心理士に相談するべきだと彼女から言われました。それはずっと考えていたことでした。数週間後、また彼女は、私が予約を入れたかどうか尋ねてきました。ついに私は相談することになったんです。

「AISは、私と私の人生の、ほんの小さな一部分でしかない」

心理士とのカウンセリングで、やはりAISは私の人生の全ての面で影響を与えていると分かりました。私は自分のアイデンティティをAISと見なし、自分を持っていかれていたのだと。AISによって、私は自分を他の全ての人と全く異質なものだと思い込んでいました。私にはAIS以外にも、私としての何千もの特徴や性格もあるはずなのに。私はAISを大きなことに見過ぎていたんだと分かりました。

 

他の人に話す・話さないという必死さもなくなりました。AISは、私と私の人生の、結局ほんの小さな一部分でしかないんです。私は変な人じゃない!必要以上にずっと秘密にしている時は、そう思ってしまってました。でも、馬鹿げてさえいました。だって実際私は至って普通の人なんですから。

 

そう思えるようになってから、私の人生はずっと自由になりました。大丈夫だと思えるようになって、男の子と近しい関係になっても怖くなくなりました。今私は、これを読んでいるみなさんにAISについて話ができていますが、私にとってもっと大切なのは、話せるようになったということだけじゃなく、このことを話すことを、“私が”、“自分で”、決められるようになったということなんです。

 

だんだん私は自信が持てるようになってきました。最近私は最後のハードルを越えたんです。セックスも、もう全然怖くありません!

アンドロゲン不応症(AIS)とは?

アンドロゲン不応症(AIS)とは、DSDのひとつです。完全型AISでは、染色体はXYで内性器も精巣なのですが、男性に多いアンドロゲンホルモンを受容するレセプターが働かず、母親の胎内で、外性器などの体は完全な女性として生まれてきます。しかし、子宮や膣の一部がなく、生物学的な子どもを持つことができません。一般的に女性のこの体の状態が判明するのは思春期前後で、ご本人もご家族も大きなショックを受けられることがほとんどです。

 

また生まれた時に判明するAISもあり、この場合は男性型と女性型のパターンがあります。つまり、AISでも男性の場合と女性の場合があるということです。

ケイティさん(性分化疾患:完全型アンドロゲン不応症)

オランダのAISを持つ女性たち

オランダのAIS等を持つ女性4人の皆さんの

インタヴュードキュメンタリー

オランダの文部科学省に当たる教育文化科学省の解放政策局の要請により、政策研究機関である社会文化計画局が作成した、世界ではじめての国家機関による、DSDs(体の性の様々な発達:性分化疾患)を持つ人々の実態調査書を日本語に翻訳しました!

 

探索的調査としながらも、DSDsを持つ人々への綿密なインタビューや、世界中の患者団体、多くの調査研究からの情報などを総合し、誤解や偏見・無理解の多いDSDsについて、極めて客観的で当事者中心となった報告書になっています。

 

近年日本でも、教育現場や地方・国レベルで、性的マイノリティの人々の一つとしてDSDsが取り上げられるようになっていますが、DSDについての知識が不十分なまま進められている現状があります。

 

性教育などでDSDsについて触れたり、地方・国レベルでDSDを持つ人々と家族についての政策を進言したいとお考えの皆様には、とても参考になる資料です。是非ご参照下さい。

オランダ社会文化計画局報告書

 「インターセックスの状態/性分化疾患と共に生きる」

ネクスDSDジャパン DSD(性分化疾患)を持つ子どもと家族のための総合情報サイト

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日本性分化疾患患者家族会連絡会:ネクスDSDジャパンは、世界のDSDs患者家族会・サポートグループと連携し、主にDSDを持つお子さんとご家族のための医療ケア、子育ての疑問などについて、世界中のサポートグループからの情報を発信し,日本の性分化疾患各種患者家族会との連携をしています。

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