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スワイヤー症候群のある
女性たちの物語

そんなことわざわざ言われるまでもありませんでした。だって私は確かに女性に生まれ女性に育ったのですから。

 

御覧の皆様へ

 スワイヤー症候群とは、女性のDSDsのひとつです。染色体はXYですが、原性腺(卵巣や精巣に分化していく元の組織)が発達せず、それによりアンドロゲンの影響を全く受けないために、人間の原型である女性のままで生まれてくる体の状態です。一般的にこの体の状態が判明するのは思春期前後で、スワイヤー症候群を持つ女の子ご本人も、ご家族も大きなショックを受けられることがほとんどです。

 

 私たちは「性のグラデーション」でも「男女の境界の無さ」でもありません。むしろそのようなご意見は、私たちの女性・男性としての尊厳を深く傷つけるものです。

 スワイヤー症候群をはじめとするDSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患)は、「女性にもいろいろな体がある、男性にもいろいろな体がある」ということです。

 

 どうか、お間違いのないようにお願い致します。

 

 詳しくは「DSDsとは何ですか?」のページをご覧ください。

リサさん(27歳)

 時々、昔の子どもの頃に戻りたくなります。あの頃私は、他の女の子たちと全然おんなじ普通の少女でした。他のみんなと同じだったあの頃。何の不安もなかったあの日々。

 

 学校が一緒の他の女の子たちと私は何か違うと分かり始めたのは、6年生の修学旅行の時でした。その時私はまだ11歳。みんなで服を着るとき、他の女の子のほとんどがおっぱいが大きくなっていて、ブラを付けているのに気が付いて、普通の下着シャツしか着ていない私は、なんだか一人取り残されているように感じました。こういう話を母にすると、決まって母は話をさえぎって、ちょっと遅いだけだから、まだ十分に時間はあるからと言うだけでした。母はそれから5年間同じことを言い続けました。おばあちゃんが遅い方で、生理が始まったのが18歳だったので、母はあまり心配してなかったんです。

 中学・高校では不安がもっと大きくなってきました。他の女の子は男の子からの目線を浴びたりしても私にはそういうことがなく、みんな生理が始まっていきます。私以外はみんな。クラスでもずっと一番背が低くて小柄でした。15・16歳になると、ぺちゃんこの胸を隠すためにぶかぶかの服を着るようになりました。成績もあまり良くなくて、それに元々耳が一部聞こえにくいところもあって、それで簡単にいじめの対象にもされました。

 美容師になろうと決心したのは、高校を卒業して大学に入ってから。私にとっては、美容師ってとてもかわいくて、女性っぽくて、ガーリッシュで、派手で、社交的で外交的な仕事に見えました。私がそうなりたかったんでしょうね。幸運な人々は、高校よりもさらにもっと成熟していったので、いじめられることもなくなって気が楽になってた時期でした。でも、まだ胸が出てこなくて生理が始まらないことは、何度も心配になりました。

 それは私が16歳の時。ひどい風邪をひいて、私のおばさん(とても仲が良かったんです)が私を病院に連れて行ったんです。病院に行く途中、おばさんは私に言いました。本当は風邪のことで病院に行くんじゃないんだって。なぜ私に二次性徴が起こらないのか診てもらいに行くのだと。

 

 私は嘘をつかれたんだ、裏切られたんだと思い、涙が溢れてきました。私はただ遅いだけなの!と私は叫びました。おばさんは、多分そうだけど用心のために大丈夫だってことを診てもらいに行くだけだと応えました。ロンドンのユーストンにあるUCLH病院。私はそこでスキャン検査を受けました。それから11年たった今でもまだ、妊娠もしていないのになんで私がスキャン検査なんかを受けなきゃならないのかって思いながら、冷たいゼリー状のものを下腹部に塗られた感覚を思い出せます。

 約1週間後、私達はもう一度病院に行きました。爆弾が落ちました。私はスワイヤー症候群を持っていたんです。お医者さんが話したことはほとんど覚えていません。覚えていたのは、私は決して自然に子どもを持つことはできないだろうということだけでした。自分の体の状態を調べて全てを理解するのにそれから2年かかりました。

 

 今私は27歳になっています。もう一つ私が呑み込まなくちゃいけなかったことは、「性腺」が癌になる可能性があるからすぐさま摘出手術が必要だということでした。手術を受けたのが17歳。18歳になった次の年豊胸手術を受けました。これは良かったです。でも、私の診断についてあまりお医者さんの言うことを聞かず、ホルモン補充療法は拒否しました。生理はいらないと思ったんです。自分で調べてホルモン補充が必要なんだってちゃんと理解したのは、それから数年経った後でした。

 

 20歳。私はひどく落ち込むようになりました。自分がまだバージンで決して男性と付き合うことができないという友人たちとの大きな違いを受け止めきれなかったからです。でも21歳の時です。今の私の夫に出会ったんです。光り輝く鎧を着たナイトのようでした! 彼は私をそのまま受けれてくれて、半年付き合った後プロポーズしてくれました。婚約して2年半後、ハネムーンにも行って、一緒に住むようになって3年です。

 私としては結婚するまでバージンを失いたくないと思っていました。このままではそれ(セックス)は難しかったのです。彼と私で以前の病院に行って、状況を説明しました。お医者さんは私の不安を受け止めてくれて、いくつか処方をしてくれました。それでセックスもできるようになりました。完全に痛みがないわけじゃないですけどね。

 

 今私と彼とで、自分たちの赤ちゃんを持てるよう、卵子提供の道を模索しています。ちょっとワクワクしています。ですがこれは、スワイヤー症候群を持つ私と彼の旅の次の章になるのだろうと思っています。

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シルビアさん

 何かおかしいと感じだしたのは15歳の時でした(初潮もなく、胸も育たなかった)。保健室の先生の定期健診でも、15人の女子生徒が同じ部屋にいる中で、生理はあるしちゃんと定期的だと、至って自然に振る舞って嘘を付いていました。でも内心では検診の日はとても怖くて、できればそういう日は無い方がいいと思いながら、とっとと終わらせたかったんです。でも自分はなにか違う、そう気が付き始めていました。こういう気づきは、私にはかなり早く訪れていたようです。

 20歳になって、このことで初めて医者にかかり、すぐに染色体検査が行われました。結果は、XY染色体のスワイヤー症候群。この婦人科医は私に、あなたにはペニスがあると言ってのけました。私はとてもショックを受けて、そんな酷いことを何のセンシティブさもなく言ってのけることに、心の中でその医者の彼女を殴り倒したくなりました。医師たちはすぐに、そこには無いはずのものを摘出する手術をしたいと言いました。結局クリトリスじゃない、未分化な性腺を摘出したいと。(訳者注:スワイヤー症候群の女性の場合、外性器の形状は全く女性のもので、この医師はDSDs、スワイヤー症候群について無知で無神経だったため、「XY=男性→外性器≒ペニス」と致命的な早とちりをし、致命的に人の心を傷つける告知をしたと思われます。本当にひどい話です)。私だって心の準備が必要なのに、手術するように私を追い詰めてくるような彼らの態度がとても嫌で、5年間、私は彼らの前から姿を消しました。

 私はある種の緊張病のようになり、自分をフリークス(奇人変人)のように感じ、実際に手をかけることはありませんでしたが、死にたいと思いつづけました。5年後、25歳になってやっと、セカンドオピニオンをもらうために、もう一度別の医師を訪ねる決心をしました。彼らの結論も同じでした。

 

 私は性腺摘出術を受け、それからエストロゲンを飲んでいます。そこの医師もちゃんと説明してくれませんでしたので、本当に手術が必要だったのか分からないままでした。(訳者注:スワイヤー症候群女性の場合、実際には未分化性腺(索状性腺)摘出の手術が必要な場合があります。ですが、そのインフォームドコンセントがほとんどなされていない時代があったのです)。たしかに私のクリトリスは個人的には少し大きめだったかもしれませんが、それをペニスだなんて思ったこともありません。そんなに大きくありません。普通に男性とセックスできてます。

 ただ、診断以来、私は自分のは男性との付き合いにそれほど用心深くなってないと振る舞い、たくさんの男性と付き合うようになりました。私は全くの女性です。でも、自分は本当に女性なのだと証明したいと願ったからです。少し声が低いだけなんです。初めて男性と夜を迎えたのは手術の直後でした。それも、医師から知らされたことがあまりに恐ろかったからです。

 私は家族や友達には私の体の話はしていません。まだ信頼ができないのと、あまり重荷を掛けたくないと思うからです。皆んなとの関係がダメになってしまいそうで。。こういう体について世間でどのように話されているか私は見てきました。だからもうこれ以上心を損なわれたくないんです。それに私も誰も傷つけたくない。。

 今でも時々押し潰されるように感じ、恐ろしく感じ、困惑することがあります。ですが少しずつそういうことは少なくなってきてます。私はただの女性です。その上で、スワイヤー症候群のことは自分の人生の一部にし、同じ体の状態を持つ女性たちと出会うことで、こういう問題にどのように対処し、生きていってるのか知りたいと思ってます。

40歳女性

 GCSE(英国で16歳に行われる統一試験)の年になっても,まだ成長が早まらず,二次性徴もなかったため,詳しい検査を受けて診断を受けました。


 私は年齢にしては珍しく小さかったし,周りの人はよく私を3,4歳若いと思っていました。もともと「他の人と違う」っていうのは好きだったんですが,小学校の終わり頃からそれにも飽きてきて,なぜ背が低いのかを調べる検査を受けました。でもその時は本当の原因を明らかにされなかったんです。

 

 中2になったばかりの頃,友達がひとりひとり大人の女性になっていきましたが,私はそれでも思春期前の状態のままでした。全寮制の学校に通っていたんですが,だからといって不安にならないことはありませんでした。16歳の統一試験の年には,まだだ成長が早まらず,二次性徴もなかったため,詳しい検査を受けて診断を受けました。スワイヤー症候群と呼ばれる,稀少であまり知られていない体の状態の結果,私は生まれつき男性に多い染色体を持っていたんです。

 このため私の体はエストロゲンを産生することができず,女性の二次性徴が起こらなかったのです。子宮と卵管はありましたが,卵巣が正常に発達せず,卵子を作ることができませんでした。性腺は癌化するリスクが高くて摘出しなければなりませんでした。内視鏡手術が可能になる時代の前で,大手術になりました。自然に起こるはずの変化を促すにも何年もの治療が必要でした。


 私は混乱して,友達や家族に話すのも大変でした。でも,不妊症で子どもを産むことができないと分かっても,しばらく影響はありませんでした。15歳の時です。学校に溶け込むだけで精一杯だったのです。身長はまだ142センチしかなく,2年間毎日成長ホルモンを注射しなければなりませんでした。そのため最初の1年間は,二次性徴を促進するホルモン補充薬を飲むことができませんでした。


 やっと二次性徴が訪れた時は,本当に安心しました。でも,思春期の友達は私の状態にどう接すればいいか分からず,周りの反応はぎこちないものになり,同情や不器用なからかいが入り交じっていて,私は警戒したままでした。何年にもわたっていじめを受けてきて,自分が身体的に変わったとしても,自分に対する見方を変えることは無理だと気がついたんです。


 でもその機会は私が大学に入った時に訪れました。それまで彼氏ができたことはありませんでしたが,新入生の週に彼氏ができたんです。2年目になって,服をすべて買い替えることにしました。10代の頃から目立たないということばかり気にしてましたから,性的に魅力的になれるなんて思いもしなかったのです。

 男性と初めて一夜を共にしたのは20歳代前半でした。でもその彼には別れられました。彼は私が子どもを産めないからだと。でもそれは私にはどうしようもないことでした。私は40歳でまだ独身ですが,それもいくらかは関係しているのだと思います。

 

 友人にはもうほとんど子どもがいて,友人関係を続けるのもつらくなってます。特に妹に子どもが生まれたときは大きなショックにを受けました。母は出産の2週間ほど,私に連絡してきませんでした。その時はさすがに母も私にどう接すればいいのか分からなかったのだと思います。私は父に打ち明けました。父もフォローしようとしたのでしょう。とても不器用に,ピアノを弾けることとか,私にできて妹にできないことをリストアップし始めました。私は父に「もしお父さんが10代の時に精巣を摘出しなくちゃいけなくなったら,どう反応した?」と訊きました。「その時誰かが『でも,あなたは絵がうまいから心配しなくていい』って言われたら?」。父とはそれから1年以上話すことができませんでした。


 数年前に骨粗鬆症と診断されました。10代の頃エストロゲンが不足していたためです。またショックでしたが,治療がうまく行って,2回めの思春期を迎えることになり,前よりも体が曲線的になりました。40歳になっても年齢より若く見えるのは幸運なことです。


 スワイヤー症候群は非常に稀な疾患で,3万人に1人しか発生しません。同じ体の状態を持つ人とはまだ会ったことはありません。見世物小屋のように思わされ過ごした日々は決して消えることはありませんが,それが私の心を支配することはもうありません。

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ヴィクトリアさん

 みなさん,こんにちは。私は今42歳。スワイヤー症候群を持つ「XY女性」です。このふたつの呼び方には慣れてきました。自分のXY/スワイヤーの体の状態が発見されたのは本当つい最近で(2009年),こういう状況はほとんどないことなんだろうと思ってました。


 誰にも知られること無く(秘密にしてましたから),22歳でも(私の女性としての慣例のような)生理が始まらず,私は哀しみ,恐れ,そして少し心配になっていました。雑誌では遅くとも18歳までには起きるものだと書いてあるのを読んだりもしたのですが,思春期の二次性徴のいくつか(ヘアは少しだけ成長してお尻は大きくなるという,後で知ったスワイヤーの典型的な特徴)はあったので,生理もそのうち来るだろうと思っていたんです。ですが,胸は全く成長しませんでした(これもスワイヤーの典型的な特徴です)。胸の成長についてはずっと望んできたことでした。(せっかちな9歳だった私は,思い出しては靴下を丸めて詰めたブラをつけたりしてました)。男性との恋愛関係にも憧れていて,そういうことを心に描いてたりしてしたのですが,実際にそういう関係になると,「裸になる」ことがとても怖くなりました。他の女性たちと比べて劣っていると感じてたからです。私の体は完全には発達してないし(自分ではどうしようもないことでしたが),相手を失望させたくなかったし(礼儀正しくいたい方なんでしょうね),何か言われたくもなかったというのもありました。


 そういうこともあったのですが,22歳には一切思い悩むのをやめて,今では自立した大人の生活を送っています。フルタイムで働いて,勉強して,自分で家計も回して等々。でも,もう一度病院に行って,再確認しなくちゃいけないことも当時から分かってました。そして再び病院に行った時のこと。今でも昨日のことのように覚えています。医師は体の中の検査ができないか尋ねてきました。これに対しては,非難するとかじゃなく,はっきりと断りました。ですが,下腹部を見せてもらうだけでもというところは同意して,ジーンズを少し下ろしました。触診の後その医師が言った言葉はこうでした。「ヘアがもっと必要だね」。そういうことじゃないんです!私は決してあの日のことを忘れないでしょう。でも私は何も言わず,その日は「染色体検査」のために血液採取だけして帰りました。


 1週間後検査の結果を聞きに再び病院に行きました。あの医師は私の前で書類の包みを開いて1~2秒後こう言いました。「染色体は普通です」。これが嘘の始まりでした。2009年になるまで隠され続けた嘘の。22歳のその時は,男性の婦人科医を紹介され検査を受けました。彼が言うには,まだはっきりとした結論が出ておらず,さらに詳しく検査するには手術が必要だということでした。手術が終わってそばに来たその医師は,「あなたの卵巣はがんになっていました。今はアーモンドくらいの大きさですが,放っておけばグレープくらいの大きさになってしまうので,摘出しなくてはいけませんでした」と私に言いました。生物学的なつながりのある子どもは持てないだろうが,子宮は完全なので(これもスワイヤーの特徴です。ただしエストロゲンが不足しているので子宮の平均サイズは小さいのですが),卵子提供の上での出産はあり得るとも彼は言いました。そして骨の強さを保つために一生ホルモン療法が必要だろうとも。私は早速ホルモン療法を始め,ずっと待ち望んでいた生理も訪れました。それ以上の目に見えた体の変化は起こりませんでしたが。


 それからの13年は,次の苦しみでした。私は孤島にいるかのように孤立し,自分のことを秘密にしました。話せる相手は誰もいなかったんです(病院でカウンセリングは提供されませんでした)。私は絶望的な悲しみにさいなまれました。お酒ばかりを飲み,多くの男性と付き合いまくり,ギリギリの淵を歩むように生きていました。こんなふうに思ってたんです。「ええ,今は生理はある。でもそれは自然なものじゃない。ホルモンを飲んでるから起こってることにすぎない(自然な排卵周期じゃない)。まるで自分はエイリアンみたい。確かに子宮はある。でも別の女性から卵子を提供してもらわなくちゃいけない。私は「それ」を持ってないから…」。自分を何の希望もない失敗作のように思っていました。あれは私の人生でも長く暗い年月でした。ある種の自己破壊的な,急勾配の下り坂のようでした。


 ですが,その13年間で私は同時に多くのことも学びました。卵子提供リストに登録し,提供を受けられるところまでいったのですが,最後の瞬間に私は辞退しました。私は自分自身のたましいを見つめ続け,自分自身から学びを得ていってたんです。実は私は「母親」になりたいと思ってない。私はただ,自分の中の「小さな私」,つまり,他の女性のものじゃない,私自身の前にある私自身の「人生のDNA」,私自身が「できること」を見たかったんだと気がついたんです。(母親になるというのは,果たして私が利他的に考えていることなんだろうか?と)。様々な体験をしてきて,私はやっと「妊娠できる女性」というところまでたどり着いた。でも,実は妊娠というものは,「しなくてはいけない」ものではなく,本来は人生の巡り合わせで「出会う」ものなのではないか? 彼女たちは,妊娠について私のようには考えていないはずだ。私は妊娠「しなければならない」と思っていた。(私ももし妊娠できる女性だったら,何か意識的に妊娠するということはないはずだ)。妊娠しなくちゃいけないという女性に対する願望・それが当たり前だという一方的な判断は,社会的な大きな伝統みたいなものなんじゃないかと。


 2009年は私が真実を見つけた年でした(真実以外の何が私を救うというのでしょう?)。40歳になって,私は骨の強度の検査を受けねばならないと思い直しました。副作用が嫌で,手術の後6年間しかホルモン療法をしていなかったんです。私は新しいかかりつけ医さん(あの時の半ズボンの野鳥観察者みたいな医師とは違う人)にホルモン療法のアドバイスを求め,骨のスキャンのために別のクリニックを紹介してもらいました。そこで骨減少症(骨粗しょう症の初期段階)と診断され,私の年齢でももう一度ホルモン療法をするように勧められました。ホルモン療法の診察のために内分泌科のクリニックを紹介されましたが,そこの女性の医師から,私の卵巣がんと体の性の発達について,気まずく困惑するような質問をたくさん受ける羽目になりました。彼女の質問の仕方とトーンは何だかとても嫌な感じで,正直彼女のことはあまり好きにはなれませんでした。彼女がかかりつけ医に渡した診断書には,「診断。性腺発育障害」と書かれていました。そんな言葉,今まで聞いたこともありませんでした。私はグーグルで検索し,性腺発育不全の3つの種類(XX女性・XY女性・ターナー女性)について一心に読み漁りました。


 3ヶ月前に予約を入れ,今度は内分泌科長のお医者さんに診察を受けました。私は彼に,診断書に書かれていたこと,それが何を意味するのか質問しました。(ホルモン療法はこの間も続けていたんですが,診断については何の説明も受けてなかったんです)。性腺発育不全とは何なのか話してもらい,もちろん私の診断はXXの方ですよねと尋ねました(卵巣を摘出したと聞かされてましたから)。ですが彼の答えは,「あなたはXY性腺発育不全の可能性が高い」というものでした。

 

 このあまりに馬鹿正直で信じられない状況に,私は「そんなことあり得ないです。私は女の子だし,XY染色体は男性だけですよね」と言うしかありませんでした。それからの数分の記憶は曖昧になってます。彼はスワイヤー症候群と,17年前にはその事実を伝えられていなかった可能性について私に説明しようとしている時でした。(17年前は今の基準とは違い,自殺の危険性から診断については伝えないことになっていたんです)。医師との話は結局,「そんなはずない!誤診です。間違いだって証明するべきよ!」」と私が言って終わりました。

 

 彼は私に血液検査を勧め,私は1階の検査室に直行しました。私は決して忘れません。私の血液を採った女性と若い男性の顔を。彼らは血液検査の内容を見ていたんです。「私がXY染色体であるかの検査」と。彼女は言いました。「絶対間違いだって証明されるべきよ」。その言葉はとてもありがたかった…。ですが私は,この一日が私の傷つきやすい魂に与えたショックと混乱で崩れ落ちました。


 4週間後結果が私のところに届きました。XY核型。SRY(変異)陽性。これが本当なのかはっきりさせるために,これまでの医療記録も読みました。その白黒の文書を。それからの数週間,私は徐々に心を閉ざし,知り合いの人たちから自分自身を遠ざけはじめました。世界からも。どれだけのショックと悲しみが私を襲ったか,言葉にはできません(ですが,私が言いたいことは,他のXY女性なら分かってくれるでしょう)。私はトラップに囚われ,助けを求めて月に向かって叫ぶ一人ぼっちの狼のように感じました。死にたい。消えてしまいたい。他の人であればいいのに。自分以外の誰かに変わってほしい。大きな怒りが私の中で沸き立ちました。まるで自分が自然の創りだした怪物のように感じ,自分自身の存在に嫌悪しました。あの知らせから受けた衝撃は圧倒的に巨大なものでした。


 私は内分泌科の看護師さんに,私の体の状態について長い長い質問のEメールを送り始めました。(当時私は誰かに直接に会うということができなかったんです。それに,病院の人たちには,ほっぽり出されたことに怒りを感じていたのもありました。40歳の私に,これからの人生を考えて,私の診断を知らせることに意味があったのかと思っていたんです)。

 

 私は,他に私と同じような女性/男性がいれば,会える所があれば教えてくれないかと何度かメールをし,(不妊の状態にあるXX女性が集まる「デイジーネットワーク」は紹介してもらいましたが,これはごまかしに過ぎませんでした),最後にやっと,イギリスのAISサポートグループを教えてもらったんです。私のような他の人たちを見つけたことに,スワイヤー症候群や他の体の状態についての情報をウェブサイトで読めたことに,私は大きな安心感を得ました。それぞれの人のライフストーリーを読み,心が痛み,涙が溢れました。グループリーダーにコンタクトをとり,彼女はすぐに私をグループに参加させてくれて,いろいろな配慮や気遣いをしてくれました。彼女には永遠に感謝したいと思ってます。


 2010年,ビーコンフィールドで行われたAISサポートグループミーティングに初めて参加しました。ですが,最初はゴミ捨て場の犬のようにビクビクしてました。みんな奇人変人,サーカスみたいな人たちなんじゃないかて思って,正直引き返そうとしたことは認めます(私は全くバカでした)。でも,もう真実から遠ざかってはいけない。自分をそう励ましました。そこに集まっていたのは,全く持って至って普通の女性たちで,本当に素敵な人たちだったんです。彼女たちのおかげで,初めてのミーティングもとてもいいものになりました。と言っても,その日は一日の99%は止めどもなく泣いてばかりで,いろいろな想いがジェットコースターみたいになってましたけどね。でもそれだけの価値がありました。サセックスであった今年のミーティングにも,この時は自信満々に参加しました。そして再び素敵な人たちと出会いました。世界中から様々な年齢層の人たちが集まってました。(2歳のXYの女の子も来てました。彼女とってもかわいくて,他の女性たちからも熱烈に歓迎されてました)。楽しみがいっぱい詰まった一日で,ディナーも一緒にし,素晴らしい週末の日になりました。本当に今までの苦しみが報われるような思いでした。


 「時間が一番の治療者(時間がたてば心の傷も癒える)」という言葉は真実です。自分がXY女性だと知って3年。AISサポートグループ以外ではまだひとりにしか話をしていませんが,4年前から比べて,絶望も痛いほどの悲しみも少なくなってます。今は結構大丈夫。グループミーティングに参加し続けること,そして私のXYのシスターズとの永遠の本物の友情が,今,私のお薬になっています。

ナタリーさん

 私の物語は,他の女性たちとは少し違って,そんなに悩んだってものではありません。私は幸運な方だったんだと思います。(インターネットや検索で)正確な情報が手に入れられる時代だったから,最終的な診断もそしてその受け止めも,まだうまくいった方なんじゃないかって。


 私はずっと他の人とはちょっと違ってました。それに自分には一般とは少し違う遺伝子があるってことも分かってました。私は実は,生まれた時に足の指が11本だったんです。男の子とも女の子ともあまりうまくいきませんでした。学校では情け容赦なくからかわれました。それで人に心を開くのには興味がなくなっちゃった…。大きくなっていくと,今度は周りの人は成長していくのに(妹は9歳で初潮が来ました),私には何も起こらず,胸も大きくならず,アンダーヘアもあまり成長せず,16歳の時には,私も家族もさすがに心配になってきました。

 母は私を婦人科医に連れていき,そこでホルモンレベルの検査をしました。私のホルモンは閉経期前くらいのレベルで,二次性徴は途中で止まっていて,子どもを欲しいと思ったらまた治療することもできる,そうお医者さんは言いました。つまり彼も何も知らなかったんです。私もお医者さんの言うことをそのまま信じるしかありませんでした。今から思えば完全な誤診なんですけどね。もうそのお医者さんには行きたいと思いません。染色体検査も勧められて,足の指のこともあったから,これはやってみたい!と思ったんだけど,高額だってことで母が断ったんです。

 それから4年後。どうもやっぱり私はただの遅咲きの花というわけじゃないということがはっきりしてきました。まず足のサイズが,女性用の靴が入らないくらいまでになっていて,身長も178㎝になってたんです。お父さんより大きくなって,腹違いの兄と同じくらいになっちゃって。なのに成型品のブラでは,Aサイズでも余っちゃうくらいで。。この時点で自分には性欲がないようだということにも気が付きました。誰かに性的に惹かれるということがなかったんです。なぜ私は成長しないのか,何時間もネットで探しました。そして,スワイヤー症候群の記事に行き当たったんです。すぐにブックマークしました。その記事は私に起きていること全てを正確に書いてあったからです。

 なので,私はお医者さんにもう一度診てもらう必要があると母に話しました。私は再びホルモン検査を受けました。その時は私も大きくなってたので,女性のお医者さんも結果を率直に話してくれました。彼女は私に検査結果と超音波検査のための内分泌科医と病理科医を紹介してくれました。私は検査結果を読みました。FSH=75(訳者注:FSHとは,卵胞刺激ホルモンのこと。脳の基部にある下垂体からのホルモンで,卵巣を刺激し,それによって卵巣がエストロゲンを産生します。FSH=75という結果は,FSHは十分な量が出ているが,性腺の方が何らかの理由でホルモンを産生していないということを示します)。新しい検査結果を詳しく教えてもらったおかげで,私はさらにオンラインで調べることができました。自分で調べた結果は以前と同じ。スワイヤー症候群でした。


 内分泌科を受診した後,私は染色体検査を受けました。私は,以前かかったお医者さんをもう一度受診することにしました。思春期で何かの理由で発育が阻害されただけだと考え,すべて正常だったと私に言ったお医者さんです。彼女は結果をダブルチェックしました。彼女が検査結果用紙を読んでいる間,私は必死になって,紙の反対側から,かすかな文字を読み取りました。染色体核型=XY。そう,私は正しかったのです。恐怖感というよりも,強い驚きでいっぱいになりました。お医者さんが冷静さを取り戻し,結果を説明しようとするので,私はとっさに自分の表情を隠しました。先生はスワイヤー症候群のことをよく知らなかったのでしょう。彼女は「AISかもしれない」と私に言いました。AISについてあまり覚えていなかったので反論はしませんでしたが,家に帰ってから調べて,自分はスワイヤー症候群であると確信しました。


 次に受診した時には,彼女はDSDsに詳しい同僚と話をしていたらしく,彼女は信じられないほど慎重に言葉を選び,私を動揺させないようにしてくれました。「あなたは決して男の子になることになっていなかったから」,「女の子のように感じているなら,あなたは間違いなく女の子。あなたは確かに女の子に生まれたんだから。自分で男の子のように感じていないなら,それで大丈夫だから」。気を遣ってくれたのは尊敬しますが,私にとっては,そんなことわざわざ言われるまでもありませんでした。だって私は確かに女性に生まれ女性に育ったのですから。彼女は私が卵子を作れないこと,卵子提供以外では子どもを持つことができないことを話しました。それも特にそうしようとも思いませんでした。私はもう数年以上,月経がないことによる不妊と折り合いをつけてきたのですから。その後,プレマリンを処方され,それ以来ずっと服用しています(現在まで9週間)。これからは,ホルモン補充療法と毎日のカルシウムサプリで骨粗鬆症と闘っていきたいと思ってます。


 個人的には,自分の体の状態は美しいと感じています。今の自分が何なのか,誰なのか自分で分かっていると思いますし,自分はすばらしくユニークな存在だと認識しています。こんなにいろいろと検索できるようになったのは,本当Googleのおかげです。地元の図書館には,DSDsに関するものは何もありませんでしたから。でも,ネットでずっと前にいろいろ分かっていたことで,その後に判明していったことを受け止めていったり,別にそんな悪いことでもないと先に気づくことができました。確かに,私の人生は標準から大きく逸脱することになるでしょう...。でも,いずれにせよそれも私の人生のすべてなのです。私にはそれなりの理由があるのですから。;)

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エマさん

 こんにちは。私は今27歳の女性です。15歳の時,卵巣が正常に発達していないので子どもを持つことができない,卵巣を摘出する必要があると言われました。それに,私には子宮と膣はあり,ホルモン補充療法を開始しなければならないと言われました。月経が始まらず,検査を受けた後に言われたことは,こういうことでした。


 多くの医者に何年も見下されてきた私は,ようやく(心理学の本で)私と似たようなケースを見つけました。担当の医者に問いただしたところ,私は「卵巣未形成」で,染色体は的に男性であり,本来は男性に生まれていたはずだと言われました(訳者注:当時のこの医師の説明は誤りで,現在ではスワイヤー症候群の女性は,胎児の原型の女性のまま生まれ育ったただの女性であるとされています)。この話にはとても動揺しました。最近,雑誌でAISの女性を特集した記事を読むまでは,これ以上この話を追及する勇気も持てませんでした。自分の症候群に名前があるはずだということに気が付いたのは,記事を読んで初めてだったのです。


 記事の中で紹介されていたサポートグループをインターネットで検索し,全部を読んだ後,私の症状は「スワイヤー症候群」にぴったり当てはまることを知りました。スワイヤー症候群の症状は私に本当にそのまま当てはまるので,この症状に名前をつけることができるという事実だけで,とても慰めを感じています。(あまりにホッとしたので,部屋の中で泣いて踊ってしまって,ボーイフレンドを心配させちゃいましたが)。


 AIS女性のサポートグループに参加し,ニュースレターを受け取り,ミーティングに参加し,ウェブサイトに個人的な話を書いて送りたいと思っています。同じようにスワイヤー症候群で苦しんでいる人と連絡を取り合いたい。訊いてみたいことがたくさんで,あらかじめ理論武装しておかないとお医者さんに立ち向かって訊けない事実もあります。

 

 みなさんが助けてくれることを願っています。他にできる人なんていませんから!

サマンサさん

 私はスワイヤー症候群の診断を受けた36歳の女性です。手術を受けたのは16歳の時。体の中にあった組織を摘出し,その後ホルモン補充療法を開始しました。他にはほとんど何も教えられませんでした。自分は家族を持つことができないと知ったのは,それから数カ月後の学校の生物の授業でだったのですから! この診断を持つ人に会ったこともありません。


 私はこの診断を受けた人に会ったことがなくて,恐ろしいほどの孤独と恥辱を感じて生きてきました。結婚はしています。彼は完全に理解してくれていて,私が望むなら何時間でも話をしてくれる素晴らしい男性です。でも,残念ながら,それでも何も変わりません。かつて私は人間のできていない他の男性と結婚していたことがありましたが,その時体外受精に2回失敗しています。元夫は私に普通の女性のように見えるように圧力をかけてきて,私は本当に豊胸手術を受けました(彼が完全に私の事実を知っていればどうなっていたか…。幸いにも彼には何も言わなかったのですが)。彼はまた非常に暴力的でした。

 

 今のところの私の主な問題は,子どもを持つことができないという事実と,私が男性になるはずだったという,医者が言った恐ろしいトラウマと折り合いをつけることです。まだ前に進むべき道が見えず,肉親以外の誰にも知られておらず,やはり難しいです。戸惑いすぎて家族にも全く話せてませんし,私自身も今でもゾッとして胸が悪くなることですから。

 

 お医者さんには「あなたは健康なんだから,病気のことは忘れて生きていきなさい」と言われたこともあります。そうなんですよね。医療従事者は心理的なところは気にもしていないんだなと思いました。そんなことしたら,まるで自分がバカみたいに思うだけになるのに。

 私が生まれ育ったDSDsの体の状態は当時は別の名前で呼ばれていました。その用語が今はもう使われていないことには感謝していますが,その診断名には,恐怖を感じ,心に大きな傷を抱えることになりました。この用語が私に与えた影響は計り知れません。


 私は地元の病院で看護師をしていますが,なにか入院しなければならないことになって,同僚たちに自分のことを知られてしまったらという絶対的な恐怖を感じています。この恐怖は本当に耐えられるものではありません。職場の医師が数ヶ月前に,ある女優さんについて話していて,「彼女は〇〇(昔の診断名)だ」と言ったのです(実際そうなのかはわかりません)。私は「だから何ですか?魅力的な女性じゃないですか」と言ったのですが,それに対する彼の反応は「えー,彼女は男性ってことだよ?」というものでした。私は「そんなことない。彼女は美人ですよ」と言いましたが,またしても彼は「だから違うって。彼女は男性なの」と言ったものでした。もちろん彼は私のことを知りません。でも,これで私の最悪の恐怖が確認され,自分が何者であるか恥辱を感じなくてはならないという気持ちがさらに強くなりました。彼の反応を見るためにも,言ってみても良かったかもしれません! 無知な人からのそのような態度は予想したかもしれませんが,彼のような立場の人がそのような態度を取るのを見るのは恐ろしいものでした。

 今の担当のお医者さん(かかりつけ医)は,とても信頼のできる人です。彼は本当に完璧な人で,ただ座って私に話に耳を傾けてくれています。AISのサポートグループに参加することを話したら,いい考えだと励ましてくれました。彼は今まで私にそれを勧めなかったことを後悔しているようでもありました。この体にまつわる話は非常に複雑で,自分はすべての答えを持っているわけじゃないから,グループに参加するのは素晴らしいことだと認めてくれたのです。放棄されたというわけではありません。彼は私にいつでも戻ってまた会っていきましょうと言ってくれましたから。前回の診察でも,彼は実際に私のためにネットを検索して調べて,「なるほど。あなたの体はテストステロンを作らなかったから,人間の原型の女性のままに生まれたということなんだね」と言ってくれました。彼のようなドクターが少ないのはとても残念です。彼は,私が今までに会った中でいちばん親切で,いちばん正直なドクターで,私を信じてくれています。もう何度も彼に会ってきてます。


 読んでいただいたとおり,なんだかメチャクチャな人生で,本当に苦労しています。判明してから20年後だったら,もう少し慣れていてもいい気もするんですけどね。このグループに参加することが私の助けになればと思っています。


 読んでくれて,ありがとうございました。

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スワイヤー症候群女性とは?

 スワイヤー症候群とは、女性のDSDsのひとつです。染色体はXYですが、原性腺(卵巣や精巣に分化していく元の組織)が発達せず、それによりアンドロゲンの影響を全く受けないために、人間の原型である女性のままで生まれてくる体の状態です。一般的にこの体の状態が判明するのは思春期前後で、スワイヤー症候群を持つ女の子ご本人も、ご家族も大きなショックを受けられることがほとんどです。

 ですが,同じ体の状態を持つ女性たちの出会い,そして周囲の支えがあれば,乗り越えていけるものなのです。

スワイヤー症候群のある女性

スワイヤー症候群が判明したアビィさんの体験談動画

アンドロゲン不応症やスワイヤー症候群など
XY女性の物語
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