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ええ、もちろん。
私は赤ちゃんの性別が知りたいです。

― 性別判定という短い、けれども永遠の旅 ―

性別判定検査が必要だった赤ちゃんのお母さん

中には、このような私の想いを疑問に思う人がいたり、性別に関係のないアイデンティティついて論じたり、人を愛するのに性別なんて関係ないじゃないかとおっしゃる方もいらっしゃることは承知しています。でも私は言っておきたい。私にとってはそんな話じゃなかった。性別はとても重大なことなのだということが、私の胸を本当に貫いたのです。

 

御覧の皆様へ

 

 何らかの障害や、他の人とは少し違う体を持って生まれたお子さんのご両親、特にお母様は、ショックに始まり、大きな不安、怒り、悲しみ、申し訳なさ、自信の無さ、寄る辺なさ、疑惑、懇願など、様々な気持ちを抱かれると思います。そして同時に、そう思う自分に対して、お子さんへの罪悪感を感じられる方もいらっしゃるでしょう。このような感情はとても苦しいもので、簡単にことばで言い表すことができるものではないと思います。その感情の強さは、時に、お子さんを亡くしてしまったというほどの強さにもなりえます。

 

 強調しておきたいのですが、ご両親がこのような感情を持たれるからと言って、だから悪い親だということには決してなりません。障害などを持って生まれた子どもの親御さんは、たいていの場合、このようなネガティブな感情を持たれるものです。そして、そういう感情の砂嵐の中をじっとくぐり抜けることで、むしろお子さんとの絆を深くしていくことも可能になるのです。そしてそのためには、どのような思いであれ、ご両親のお気持ちをしっかりと受け止めてくれる人が必要になります。

 

 ここでは、そのような親御さんのおひとりの体験談をご紹介します。待望の赤ちゃんの誕生から、性別がすぐには確定できないことが判明し、その後状態が判明するまでのたった4日間、でも、とてもとても長い4日間の体験と、その時の想いを、そのままに、ありのままに、赤裸々につづっていらっしゃいます。

 

 様々な方が、このサイトをご覧頂いていると思います。DSDを持って生まれたお子さんのご両親、現に大人になった方、医療に関わる皆さん、何らかの支援ができないかとお考えの皆さん、様々なお立場の方がいらっしゃると思います。それぞれに様々な思いを抱かれることかもしれません。

 

 時に、DSDを持つ子どもの親御さんたちは、ただでさえ様々な思いを抱かれているところを、「勝手に性別を決めている」「本当は中性なのに」「自分の子どもを恥ずかしく思っている」などという無理解から、不当な非難に曝され、更に追い詰められていくということがありました。

 

 確認しておきたいのですが、DSDを持つ子どもたちは、然るべき検査を受ければ女の子か男の子かが判明するようになっています。彼ら彼女らは、みなと変わらぬただの女性・男性です。トランスジェンダーのみなさんの性自認(性別同一性)の話でさえないのです。またDSDを持つ人々の様々なサポートグループでも、「然るべき検査の上で必ず男性か女性かを判定してください」と主張されています。DSDをジェンダーの問題だけで見ようとする視点は、大変偏った視点(偏見)で、多くのご家族を更に苦しい立場に立たせることになります。

 

 私たちが大事だと思うのは、とにかく、ご家族・ご本人そのままの想いを、そのままに、ありのままに、受け止めていくことだと思っています。どうか、無理解や偏見・色眼鏡から、人としての想いを忘れることがないようお願いしたいと思います。

 

 DSDを持って生まれたお子さんを持つご両親の中には、まだ体験が生々しいままになっている方もいらっしゃると思います。自分自身で振り返りができるとお考えであれば、目を通していただければと思います。
 

 私たちは「性のグラデーション」でも「男女の境界の無さ」でもありません。「男女を決めるな」とも言っておりません。むしろそのようなご意見は、私たちの女性・男性としての尊厳を深く傷つけるものです。

 DSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患)は、「女性にもいろいろな体がある、男性にもいろいろな体がある」ということです。

 

 どうか、お間違いのないようにお願い致します。

 

 詳しくは「DSDsとは何ですか?」のページをご覧ください。

でも彼女は私に決定的なことを説明したのです。赤ちゃんの性別を「確認」する必要があると。

 2008年。私はちっちゃな赤ちゃんを授かりました。けれどもこの子の世界との出会いには、性別に緊急のクエスチョンマークが付けられたのです。

 

 お医者さんが赤ちゃんを私に手渡して、性別を知りたいですか?と私に訊いた時、私は興奮して叫びました。「男の子です!」。でも麻酔医さんは少し焦ったように、もっとよく見てくださいと言ってきます。私は笑って「だっておちんちんもあります。男の子じゃないですか」と答えましたが、小児科医さんは「そうですね…」と言うだけでした。

 

 赤ちゃんは私の胸でゆったりしていました。しばらく後(赤ちゃんの姿をしっかり見て、落ち着いて話をした後)、同じ小児科医さんが私に事の説明をしようとしましたが、私は理解するにはとても疲れていて、その意味を知るにはまだ何も分かっていない状態でした。

 

 「性別がはっきりしないってどういうことですか!?。かわいい男の子じゃないですか!なに馬鹿なことを言ってるんですか!?」。私は彼を追い立て、彼は言葉につまり、少し困惑していました。

 

 彼は何が起きているのか必死で説明しようとしているだけでしたが、私が毛布をギュッと握って、何が起きているか受け入れるのを拒んでいるのを彼は考慮して、その日はあきらめて去って行きました。

 

 保育器の中での集中的なケアに暮れ、夜が開けた次の朝、女性のお医者さんが私を小さな部屋に通し、私に椅子を勧め、赤ちゃんは別の部位から排尿をしてると説明しました。彼女の説明の間、私は座って「ああ…、ええ。はい…」と生返事をして、彼女が伝えようとしていることにまだ気がつかないようにしていました。

 

 でも彼女は私に決定的なことを説明したのです。赤ちゃんの性別を「確認」する必要があると。彼女は私にもう一度言いました。「可能性、わずかな可能性ですが、お子さんは男の子ではないかもしれません」。内性器の画像を取る必要があり、他にもいくつか検査をして性別を確定しなければならない。「最終的な」確定には、性染色体の検査も必要だろう。もし検査の結果が46XY なら、子どもは染色体的には男の子ということになる。もし46XXなら染色体的に女の子。XYとXX染色体の両方ともがあるように「染色体が混在している」ということもありうる。

 

 彼女は念を押しました。現在では一般的に、染色体が混在していても、男の子か女の子どちらの染色体が優勢になっているかわかるものなので、子どもの人生にはそれほど大きな影響はないだろうと。

 

 「ですので…、この段階ではお子さんの名前は少し待つことをお勧めします。出生届もこの段階ではまだ出さないようにしてください」。

 

 この言葉は、一枚10トンの鉄でできた手紙を渡されるように、私を打ちのめしました。私はただただ打ちひしがれ、完全に心砕かれました。それでもまだ私は、彼女が何を言ってるかはっきり分かりませんでした。否認することも、過度にポジティヴになったり過度にネガティヴになったりすることも、不用意なユーモアにすることも、そんな私が普段使っている心守る手段がすべて消滅し、私は現実から完全に引き離され、非常に奇妙で理解しがたい世界に放り込まれてしましました。

 

 私は涙の洪水に押し流されました。お医者さんの説明を無視することも否認することももうできなくなり、子どもに起こっていることを理解せねばならなくなったのです。

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恥に思ったとか、そんなことじゃありません。

全然違います。

 その日は私の人生にとって最高に幸せな日になるはずでした。実際そうでもありました。はじめて赤ん坊を抱いてお乳をあげる時は本当に幸せでした。はじめておむつを替えてあげる事も。

 

 でも同時に間違いなく、その日は私の人生にとって最もトラウマ的な日にもなりました。これ以上の言葉がないくらい、本当にトラウマ的だったのです。私の赤ん坊は保育器に入っていました。私にはそれだけでも相当なものでしたが、更にお医者さんは、私の赤ん坊、私の男の子が男の子ではないかもしれないと言っているのですから。その衝撃は説明し尽くせません。深い悲しみに私の心はズキズキと痛みました。

 

 私の母は「”赤ちゃん”って呼べばいいだけじゃない」と言いましたが、私にどんな選択肢があったでしょう?このまだ小さな子は男の子じゃないかもしれない、この4日間、私はこの子を知ることも名前を付けることもできなかったのです。

 お医者さんの勧めをなんとか飲み込んで、私は自分自身も守るように、性別に関係のないように、必死に考え、振る舞い、うまくやっていこうとしました。「この子は男の子だ」と思い出させるようなものは病室から全部取り払い(ありがたいことに、他の赤ちゃんや親御さんのいる一般病棟から少し離れた部屋を用意してもらえました)、絶対「私の男の子」、「彼」ではなく、「私の赤ちゃん」について話すよう神経を使っていました。この小さな可愛い2,270グラムの赤ちゃんと親子関係を作っていくのに、男性や女性という考えが入ってこないよう必死だったのです。

 

 赤ちゃんのことを周りの人にどう話すか話さないのか、それも私にのしかかったことでした。まだ名前を決めていないということを知っている人には話をしましたが、そういう人以外の友達や家族には、生まれたことも知らせませんでした。そんな4日間、私は一緒に病院にいた母としか話さず、母には妹にだけは話してもいいということにしました。他の人には話せませんでした。恥に思ったとか、そんなことじゃありません。全然違います。実際身体が追いつかなくて、全く説明できなかったのです。

 

 それは本当にたいへんなことでした。もし父や誰かに電話をしたら、「子どもの様子はどうだ?名前はまだなのか?」と聞いてくるでしょう(皆さんもそうしますよね)。そうすれば私は、「ええ…、赤ちゃんは元気よ。うん、でも、まだ名前思いつかなくて…」と答えるしかありません。そういう会話の間、私は必死で泣くのをこらえることでしょう。泣いてしまうと、なにか悪いことでもあったのかと分かってしまい、そうなると、でも私には説明するこころの準備なんてできなかったのですから。

 

 赤ちゃんが生まれたときみんなが知りたいことは3つ、性別と名前と体重です。私の赤ちゃんとの最初の出会いは、疑問形ではじまったのです。「あなたはお子さんの性別を知りたいですか?」と。出産と子育てという経験に、それはとても重要なことです。状況を伝えた妹でさえ、名前は何かと聞いてきたのですから。新しい命がやって来たときには、誰でも自動的に聞くことのひとつなのですから。でも、私の子どもには名前がありませんでした。性別もありませんでした。それはまるで、私の赤ちゃんが身元不明のように感じられるものでした。

 

 ですので、私は産みの苦しみを味わったことさえ誰にも言いませんでした。何が起こったのか、誰にも知られたくなかったのです。誰からも孤立することが、性別のことを聞かれたりしない一番いい方法に思えました。私は妙に実際的になっていきました。「ダメージコントロール」する方法を考え始めたのです。友達が私と赤ちゃんに会いに家に来てもらうのは先に延ばそう。こうも考えました。もし女の子だということになったら、「ええ?女の子って言ったよ。勘違いしたんじゃない?」と言えばいい、(必要になったら)説明しなきゃいけない、でも、勘違いした振りをしてもらって、他の人には自分たちが間違ってたと言ってもらわなくちゃいけない。でももし友達が赤ちゃんを見たら、もし私に話しかけてきたら、友達から友達へ話が伝わるだろうし、そうなったら、もうもっともらしい言い訳はできなくなってしまう…。私はあらゆるシナリオを想像し、疑問が出てこないような、はっきりしないことがバレないような、言いくるめられるような話を作ろうとしていました。

 

 隠すことばかりで恥ずかしく思ってるんだと思われるかもしれません。ですが、恥ずかしいとかそういうのではないのです。本当に。そうではなくて、周りの人はもちろん、私自身にさえ、このことを説明しきれなかったのです。他にどうしようもありませんでした。起こっていることを理解するには、私には時間と場所が必要でした。病棟の看護師さんは、私には友達も家族もいないと思ったかもしれません。10日間入院しているのに、最初の週にはほとんど訪れる人がいませんでしたから。誰とも会えないのは耐えられるものではありませんでした。

 

 この時期、私は孤独で、しかし、孤独でいることが唯一私のできることだったのです。

実際の体験では、私の一番の恐怖は、自分の子どもを、男の子を失ってしまうかもということだったのです。

 けれども、性別のことは考えず、人から孤立しておこうとすることで、私はひどく苦しみ、本当に大きな悲しみにさいなまれました。

 

 子どもは保育器の中で酸素補充をしなければいけない状態でしたので、子どもを失ってしまうのではないかと怖くなり、私はその夜泣き明かしました。次の夜と3日目、4日目の夜は、私の男の子を失ってしまうのではと、やはり泣き明かしました。ただただそれだけでした。

 

 私は男の子を産み、だからこそ男の子を育てるつもりだったのです。けれども、この子は実は女の子かもしれないという可能性がある!自分が母親であることはもちろん分かっていました。けれども、男の子の母親なのか女の子の母親なのか、それだけが分からなかったのです。

 

 これを読んでいらっしゃる方の中には、そんなことそれほど重大なことではない!と思われる方もいらっしゃるかもしれません。妊娠中の人なら、幸せで健康であれば、そんなこと問題ないじゃないと思われるかもしれません。ですが、実際に体験した中では、それはとても重大なことで、私は病室の中でひとり座り、胸も張り裂けんばかりに、ただ泣くしかなかったのです。それは完全に根本的に重大なことだったのです。

 

 実際の体験では、私の一番の恐怖は、子どもを、男の子を失ってしまうかもということだったのです。この喪失感は本当にリアルなもので、恐怖が私をさいなみました。赤ちゃんはひとりなのに、潜在的には、男の子か女の子、二人の赤ちゃんがいるように感じられました。私はこの子が女の子だとは思えず、かと言って同時に私は、この子を男の子だと思わないよう必死でした。もしかしたら女の子を授かったのかもしれない、だったら女の子を育てるという意味のある旅をしよう、そういうこともありうるとは、私は分かっていました。でも、それが分かっていても、私は、巨大で恐ろしく、心痛む喪失感でいっぱいだったのです。

 

 私は、私があの時産んだ男の子がほしいと思っていましたし、何度も母に「あの時、かわいい男の子を産んだのに!」と泣いて言っていたのを今でも覚えています。

 

 中には、このような私の想いを疑問に思う人がいたり、性別に関係のないアイデンティティついて論じたり、人を愛するのに性別なんて関係ないじゃないかとおっしゃる方もいらっしゃることは承知しています。でも私は言っておきたい。私にとってはそんな話じゃなかった。性別はとても重大なことなのだということが、私の胸を本当に貫いたのです。

Image by Phoebe Strafford
Image by Jay Mantri

この間、私を支えてくれるような専門のサポートはありませんでした。

 あの4日間、私は呆然としながら、さまよっていました。最初の数日は子どもにお乳をあげることもできず、彼をわずかに抱っこするだけでした。彼との関係を築きあげるのは、とても難しかったです。今この文章を書いていると、実際とても難しかったことを思い出します。赤ちゃんとの親子の絆を結ぶのが難しかったのは、あの時実際に赤ちゃんとの間に本物の壁があったからだということも、今なら分かります。子どもとの、心の、社会の、そして気持ちの隔たりに加えて、具体的な隔たりもあったのです(子どもは保育器に入っていなければなりませんでしたから)。最初の数日間は、赤ちゃんとの距離が大きかったと思います。その距離を埋めるには数ヶ月かかりました。この不確かな時の心理的、感情的影響は今でも私の中に残っています。3年経った今でも、その数日間の心の痛みを感じられるのです。

 

 この間、私を支えてくれるような専門のサポートはありませんでした。ですので、私は自分で乗り越えねばなりませんでした。

 

 ただ、何人かとても親身になってくれた医療スタッフの方がいてくれて、ある看護師さんにはとても支えてもらえました。彼女は私が泣きじゃくって、その時起きていたことから自分を切り離している間ずっと、私の手を握ってくれていたのです。医療的には、皆さんほとんどの場合親身になってくださいました。

 

 けれども、やはり、起きていることを受け入れていくのを支えてくれる人は誰もいませんでした。私がこの状況を統合し文脈化するのをサポートする専門家が病院に配置されていなかったのです。このような状況が持つ心理的影響に対するアドバイスは一切なく、カウンセリングを勧められることもありませんでした。

 

 結果を待つこの数日間、そしてその後も、私にはどこも、そういうところを勧められることは全くありませんでした。そして、これだけは言いたいのですが、このことが更に一層私の孤独を強めました。私の兄弟夫婦の子どもは口唇口蓋裂の状態(訳者注:口唇の一部に裂け目が現れる先天的状態のこと)で生まれたのですが、ふたりはすぐに、生まれる前の時点で心理的支援を受け、サポートグループに入れていました。他の子どもにはなんて説明すればいいのか、子ども本人にはどんな影響があるのか、ふたりはアドバイスを受けることができました。当事者と専門家による心強いサポートネットワークに加われたのです。

 

 私はとてもうらやましいです。もしあの時、そういう支援を少しでも受けられていたら、ここまでの心痛は幾分和らいだと思います。数年後、心の痛みを幾分かでも対処できるよう、私は自分の仕事を通してカウンセラーを探しました。体験したことに対して私が自分で変化を起こせたことがあったとしたら、このことだけでしょう。

 

 カウンセリングやピアサポートのようないくつかの形態の専門の支援が、性分化疾患を持つ子どもの親に勧められるべきです。これは特に、性別判定が必要な状況には重要です。この課題に両親が対応していくのを支援していく中で、自分の子どもが自分自身のことを理解し、受け入れていく手助けを、私たちができるようになるのですから。

その青のシーツは、やっと赤ちゃんの性別が分かったという、スタッフからのちょっとしたお祝いでした。

 入院していた間に私が一番うれしかったのは、夜、染色体検査の結果を受け取ったことです。私は自分の小さな男の子にお乳をあげるために階段を降り、そこには青のシーツの上に寝ている私の赤ちゃんがいました。それは小さなことに聞こえるかもしれません。ですが、私にはとてつもなく大きな事でした。

 

 私はうれしくてただただ泣くだけでした。その青のシーツは、やっと赤ちゃんの性別が分かったという、スタッフからのちょっとしたお祝いでした。このシーツの上に、私は小さな青い犬のぬいぐるみを置きました。これは、私の赤ちゃんがかわいい男の子であるお祝いに、病院のお店で買ったものです。

 

 私がじっと待ち続ける時間はこれで終りました。たった4日間のことでしたが、私には数ヶ月のことに思えました。その後知ったことですが、お子さんの性別が確定するには更に長い時間を待ち続けねばならない親御さんも多いのです。私たちはまだ、短い方だったのでしょう。

小児科医の調査幼児
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その後のこと…

 (2011年7月)

 

 この体験談の男の子は、その後、高度尿道下裂と診断されました。

 

 彼は今3歳になって、賢くて元気な男の子に成長されています。

 

 この体験談を書いてくださったお母さんは現在、患者のご家族にピアサポートを提供するにはどうすれば一番いいか、お勤めの地方病院と一緒になって模索されています。 

尿道下裂とは?

 尿道下裂とは、男性のペニスにおいて、排尿するための外尿道口が平均的な位置よりも手前のほうに後退して開いている状態です。程度の軽いものがこの状態全体の60~70%以上をしめ、日本では男児の出生数約1,300人に対して1人程度みられます。原因は様々で、このお話の中にもあるように、男児XYの尿道下裂の状態だけの場合がほとんどですが、時に性染色体が通常と異なる状態であるなどの場合もあります。

 

 現在欧米では、尿道下裂の状態で生まれた男の子・男性たちが辛い思いをしないよう、医療での支援体制や、サポートグループが整備されています。辛い思いも嫌な思いもみんなで共有して、活き活きと人生を生きていらっしゃいます。

尿道下裂を持つ男の子・男性とその家族のためのサポートグループ

尿道下裂を持つ男性たち

尿道下裂を持つ男の子たちとそのきょうだい・家族の皆さん

軽度尿道下裂で生まれたスティーヴンソン上院議員(イギリス)

軽度尿道下裂で生まれたスティーヴンソン上院議員(イギリス)

尿道下裂サポートグループ大会の様子

尿道下裂を持つ男性たち

尿道下裂を持つ男性たち

重度尿道下裂で生まれたウィリーさん

重度尿道下裂で生まれたウィリーさん

尿道下裂の状態で生まれた男性たち

尿道下裂を持つ男性と、支援者の医療人類学者アリス・ドレガーさん

 DSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患)は、「男か女か曖昧な人」「両方合わせ持った人」「男でも女でもない性」「第三の性別」などを差す概念ではありません。「性別を決めるな」とも言っていません。私たちが訴えているのは「然るべき検査の上での男の子か女の子かの性別判定」であり、当事者・家族への精神的サポートです。また、体の性の発達状態は、性別同一性・性的指向とも関係はありません。尿道下裂の状態で生まれた男の子は全くの男性です。

家族の物語
DSDsを持つ男性たちの物語