
5α還元酵素欠損症を持って
生まれた赤ちゃんのお母さん
夫も私も、私達の人生が娘と終えるのか、息子と終えるのか、そのことは気にしていません。けれども、娘が自分自身で決断を下さねばならないその時を想うと、少し胸が苦しくなる毎日です。
何らかの障害や、他の人とは少し違う体を持って生まれたお子さんのご両親、特にお母様は、ショックに始まり、大きな不安、怒り、悲しみ、申し訳なさ、自信の無さ、寄る辺なさ、疑惑、懇願など、様々な気持ちを抱かれると思います。そして同時に、そう思う自分に対して、お子さんへの罪悪感を感じられる方もいらっしゃるでしょう。このような感情はとても苦しいもので、簡単にことばで言い表すことができるものではないと思います。その感情の強さは、時に、お子さんを亡くしてしまったというほどの強さにもなりえます。
強調しておきたいのですが、ご両親がこのような感情を持たれるからと言って、だから悪い親だということには決してなりません。障害などを持って生まれた子どもの親御さんは、たいていの場合、このようなネガティブな感情を持たれるものです。そして、そういう感情の砂嵐の中をじっとくぐり抜けることで、むしろお子さんとの絆を深くしていくことも可能になるのです。そしてそのためには、どのような思いであれ、ご両親のお気持ちをしっかりと受け止めてくれる人が必要になります。
ここでは、そのような親御さんのおひとりの体験談をご紹介します。待望の赤ちゃんの誕生でしたが、赤ちゃんが性別がすぐには分かりにくい外性器の状態を持って生まれ、地方にお住まいということもあって信頼できるお医者さんとの出会いに恵まれず、確定した診断が出るまでに時間がかなりかかった親御さんの体験談です。(日本では地方ごとにDSDの拠点病院となっているところがあります)。
様々な方が、このサイトをご覧頂いていると思います。DSDを持って生まれたお子さんのご両親、現に大人になった方、医療に関わる皆さん、何らかの支援ができないかとお考えの皆さん、様々なお立場の方がいらっしゃると思います。それぞれに様々な思いを抱かれることかもしれません。私たちが大事だと思うのは、とにかく、そのままの想いを、そのままに、ありのままに、受け止めていくことだと思っています。
DSDを持って生まれたお子さんを持つご両親の中には、まだ体験が生々しいままになっている方もいらっしゃると思います。自分自身で振り返りができるとお考えであれば、目を通していただければと思います。
娘は今でもそうなのですが、穏やかに静かにこの世界に生まれてきました。
娘が生まれてから1年たちますが、あの日のことを話すとやっぱり涙が止まらなくなります。あの日は、私の人生でも、もっとも信じがたく恐ろしい思いをした日でした。
2010年11月22日午前1時ごろ、本当にひどい陣痛と出血で、私は夫に病院に連れて行ってもらいました。まだ35週と6日にしかなっていませんでしたので、入院の準備 もしておらず、いくつか検査をしたら帰れるのだろうと思っていましたから、何も持たずに病院に行きました。その12時間後、私たちの娘、エヴァは生まれました。
彼女は今でもそうなのですが、穏やかに静かにこの世界に生まれてきました。自発呼吸がありませんでしたので、私たちは彼女をさすり続けねばならず、産声も覚えていません。彼女は申し分のない赤ちゃんでした。生まれてすぐにFacebookにもポストを送信しました。「生まれました!4週間早い目の2950グラムです!」。夫は苗字の綴りを間違ってポストしてしまい、私の母からさんざんからかわれました。
父がエヴァを抱いていたのですが、その表情から、父がなにか差し迫ったものを感じているのが分かりました。
やった!生まれた!お薬も使わず自分でやり遂げた!でも、私が飛び上がらんばかりの思いだったのは、お医者さんが真剣な顔をして入ってきて、スタッフに声をかけているのを見かけるまででした。夫と私は部屋に取り残されました。お医者さんの表情から、何か嫌なことが起きていることが分かりました。エヴァの性器が異常に肥大しているのが見つかり、検査したところ精巣のように思われる。お医者さんたちは私たちに告げました。性別がすぐにはっきりしない性器を持って生まれた赤ちゃんは、もしナトリウムを正常に処理できない身体なら、死に至ることもありうる。なので、すぐに赤ちゃんを新生児室に移したい。そう言われたこと以外はあまり覚えていません。

誕生から2時間後、エヴァは新生児室に一晩移され、次の朝には隣の街の病院の新生児集中治療室(NICU)に搬送されることになりました。それからの時間、たくさんのお医者さんが部屋を行ったり来たりしつづけましたが、娘が何とかその一晩を生き延びられるよう必死で祈ってた以外のことは、あまり覚えていません。
火曜日の朝、エヴァは救急車で東隣の街の病院に搬送され、NICUに入りました。スタッフからは、まずは少し家に戻って一度シャワーを浴びて、少しの間身体を休めてくださいと言ってもらえました。病院の皆さんはとてもいい人たちで、NICUにいる間エヴァをみてくれるチームの方との話し合いがはじまりました。小児内分泌学医のH先生。彼はとてもいい人で、アンドロゲン不応症のことと、来週精巣を除去しようと思うことを説明してくれました。エヴァは未熟児の状態で生まれており、ナトリウム処理の問題があるかもしれないから、数週間かそれ以上入院をしてもらうことになるだろうとH先生はおっしゃいました。ちょうどサンクスギビングデイ(訳者注:アメリカの祝日)の週なので、検査結果は遅れるかもしれない。だから検査結果が戻るまで、性別判定はそれまで待たなくてはならないと先生から告げられました。でも、夫も私も妊娠中から「女の子の赤ちゃん」と言っていましたので、こういう状況はすぐに飲み込むことはできず、先生方には赤ちゃんを「女の子」と扱うように主張しました。
両親は入院中ずっとそばに居てくれましたので、誰かがエヴァの横に交代でいることができました。前日に出産したばかりでしたので、私は肉体的にも精神的にも具合が悪く、別のところで横になったままでした。私が病室に入ったとき、父と夫がエヴァのそばに居てくれていました。父と夫、エヴァの周りを医療スタッフの人たちが取り囲んでいました。父がエヴァを抱いていたのですが、その表情から、父がなにか差し迫ったものを感じているのが分かりました。話を進めていた医師が自己紹介し(小児泌尿器科医でした)、話が続けられました。私はまず、私がそばに居ることなく赤ちゃんの検査をしたことに腹が立ってきて、その医師の話を聞けば聞くほどに、更に腹が立ってきました。彼は娘の誕生を私たちが周りに知らせたことを激しく責め立て、もっと検査が終わるまで、家族にも友人にも話すべきではなかったと言い、夫のスペイン語(夫の母国語です)にまで難癖をつける場面もありました。彼は、思春期で男の子になる女の子の話を延々と続け、娘のが意見を男の子みたいに見えるようにする再構築手術について話し始めました。「あなた方ふたり(私と夫のことです)が関係している可能性はあるか?」といったようなことを私は言われ、私の生殖能力の問題がエヴァに関係しているかもしれないということも言われました。私には多嚢胞性卵巣症候群があり、私の体内の過剰な男性ホルモンがエヴァの発達に影響した可能性もあるとまくし立てました。今から考えるなら、部屋に入った時に、私はその医師の話を止めさせるべきでした。新しく来て何が起こっているか分からず恐怖に苛まれている私たちふたりに、あまりに多くの情報が無造作に投げつけられ、その医師は「症例」を見つけて興奮しているようだったのですから。
私は母の許可を得ておばに今起きていることを話したのですが、そうするとおばはアコード・アライアンス(訳者注:アメリカのDSDを持つ人々と家族のためのサポート団体)のウェブサイトのリンクを送ってくれました。ウェブサイトに載っていた「家族のためのハンドブック」には、あの医師が言ってることと全く逆のことが勧めてあり、信頼できる小さなグループに話をするよう勇気づけてくれるものでした。またこのウェブサイトは、医師のテストケースにさせないよう赤ちゃんを守る勇気も与えてくれました。数日語、私と夫は娘を抱いて、あの小児泌尿器科医がインターン生(訳者注:医学部卒業後に実地訓練を受けている研修医)を連れて入ってくるのを待っていました。医師はインターン生に検査をさせていいか聞きましたが、私たちははっきりと断りました。医師はそのインターン生に検査を任さなければ、退院するまでもう自分には会えないことになると言いましたが、私たちはそれで構わないと告げました。彼はドカドカ足を鳴らして立ち去り、もう戻ってくることはありませんでした。