第5章:医療ケアの体験





A.医学的治療について


 外性器の見た目あるいは性腺への外科手術,そして子どもへのこういった医学的介入についての彼/彼女へのインフォームドコンセントといったテーマは,政治的(あるいは医学的)領域での中心の話題になっている。しかしながら,こういった問題は,すべてのインターセックスの体の状態/性分化疾患に関わるものではないことをまず強調しておかねばならない。多くのインターセックスの体の状態で,そういうテーマは特段議論されていない(たとえば古典的ターナー症候群),あるいは診断が思春期もしくは青年期のみである体の状態(CAISやMRKH),手術についてのインフォームドチョイスに十分に参加できる年齢の当事者(すべての治療選択肢のメリットとリスクを伝えられる)という場合が大多数である。また,外科手術的介入にも体の状態によって(そしてそのウェルビーイングへの効果にも)様々なものがある。


 見た目が違う形状の外性器の外科手術は,たとえば,1度限りのもの(たとえば陰核減縮)もあるが,手術が複雑になるために(たとえば高度尿道下裂),複数回の手術が必要となるような体の状態もある。

 年齢が経って新たな問題が起きることもあれば,新たな合併症が発生し手術が必要となることもある。さらに,同じ体の状態/症候群でもばらつきが大きいため,ひとりひとりの治療選択や決断が個々に異なってくる。また,医学的介入としてホルモン治療もあるが,これも体の状態によってその目的が異なってくる。たとえばCAHでは,出生時から抗ストレスホルモンの分泌が不足しているため,そのホルモンの補充が必要となる。またターナー症候群などの体の状態では,性腺が機能していないため,ホルモンを補充しないと二次性徴が起きない。したがって,医学的治療(幼年期・青年期・成人期での外科手術,性腺摘出,ホルモン治療)の転帰に関する議論は,(体の状態の)多様性と,特定の集団の反応を一般化できないということを考慮するべきである。


1.幼少期の外性器手術


 1950年台から1990年代まで,インターセックスの体の状態/性分化疾患のケア方針では,外科手術は,非定型的な外性器の見た目を持つ人々には良好な性心理的well‐beingをもたらす手段であると考えられていた(Money & Ehrhardt, 1972)。


 しかし徐々に,この医学的必要性は,恣意的な基準なのではないか(図4参照)と疑問が付されるようになっている。性別判定に関してそれほどはっきりしないわけではないケース (Lee et al., 2016)での,児童期に外性器の見た目を変えることを主な目的とした不可逆的な外性器への手術介入に対する慎重な姿勢見識が拡大しつつある。こういう姿勢は,たとえばCAHを持つ女児での外科手術に関するコンセンサス・ステートメントや特定ガイドラインといった,近年の多くの臨床ガイドラインでも公的に支持されている(Speiser et al., 2010)。そういったケースよりも明らかな外性器の違いについては,意見は分かれたままで,それは果たして医学的な必要性によるものなのか,あるいは社会的な要請によるものなのかが議論の焦点になっている(Mouriquand et al., 2016)。


図4)北米インターセックス協会が作成した「ファラオメーター」の図

 児童期の「女性化」もしくは「男性化」手術の非医学的な必要性の目的は,外性器の見た目を「非典型的」なものではないようにすること(2)の時もあれば,泌尿器的な適用(たとえば,排尿の飛び散りを調節する,あるいは男児が立って排尿できるようにするなど)の時もあれば,人生の後の性的な能力を広げる(たとえば,ペニスが屈曲していて勃起が困難になるケース)だけに限られない場合もある(de Win, Cuckow, Hoebeke, & Wood, 2012)。児童期での早期介入と,後期介入,あるいは非介入,いずれが,このような子どものための最善の結果となるかは,しっかりとした長期間の方法によるアウトカムの比較研究が欠如しているため,明らかではない。一般的にも,児童期の外科的介入(様々な医師が様々な病院で様々な技法で行っている)の結果を評価するのは難しくもある。この評価には,たいてい15-20年後の,性的なウェルビーイングやセクシャリティ,泌尿器的機能,そして外性器の見た目への影響を評価せねばならないからだ。さらに外科手術の技法は急速に進化しており,常に「時代遅れの」技法の結果を評価するしかできず,子どもに対するリスクを桶の湯水と一緒に流すことになるのである。


 さらに,臨床上の実際の変化を評価するにはまだ早いということもありうる。2006年のコンセンサス・ステイトメントは,児童期の不可逆的な手術について更に「待って様子を見る」方針を打ち立て始めることを考慮したが,現在の大多数の科学的調査研究は,ステイトメントが出された時期あたりやそれ以前に手術を受けた人々のコホート集団に関するものなのである。したがって,2006年以降に生まれた児童たちのコホート集団での結果評価(ただし,2017年時点で実際的なレベルでの結果はまだ完全に評価されていない)が非常に大きなものともなるのだ。


(2)しかしながら,幅広い表現系型のバリエーションを仮定すれば,典型的あるいは「普通の」外性器の見た目を定義できる基準がない(Lloyd, Crouch, Minto, Liao, & Creighton, 2005を参照)。



1.1 成人当事者


 出生時に診断された体の状態を持つ体験専門者の4分の3の人が,性器の手術(たとえばクリトリス減縮術,膣形成術,陰唇拡大術,尿道下裂の手術)を,子どもの頃に受けていた。このような手術についての意見は割れている。体験専門者の中には,治療のタイミングや医学的必要性を疑問視せず,まだ子どもの頃のこういう治療について後悔していないという人もいた。たとえば,あれは「必要悪でした」(40代のCAHを持つ女性。陰唇とクリトリスの減縮術について)という言葉が示しているし,「もし必要ないなら不必要な手術なんてしないですよね」(PAISを持つ男性:19歳。尿道下裂の手術について)と,医師に対する大きな信頼感を持つ人もいた。このグループの人々はみな,思春期にもさらなる性器の手術を受けているが,治療のタイミングや医学的必要性について疑問を投げかける人もいた。


 CAHを持つひとりの女性(40代)は,子どもの時ではなく,後になって造膣術のオペを受け,「もっと若い時に子どもは手術を受けてるんですよね。手術は私にとっては,全部終わって,本当にとても幸せになりました。すべてが変わって良くなってます。子どもの時はあまり問題ないですし,こういうことにわずらわされないですから」と,良い変化だとしている。CAHを持つ別の女性は,クリトリス減縮術の医学的必要性に懸念を持っていたが,それは機能的な話での手術結果が望んでいたようなものではなく,そういうことをよく分かった上での決断ができるように,情報や考える時間,ピアサポートが必要だというものであった。


「ええ。インターネットや今の人々なら,もっと調査研究ができるというのもあると思います。彼ら(医師たち)が言うことや勧めてくることを,「本当に私に必要なことって?」とか「それってもしかして必要ないんじゃない?」って本当に知ることなしにそのまま信頼するのって実際とても難しいことですから。だから私は,なんと言うか…。もちろん私はお医者さんじゃないです。でも早い時期から手術を何度も受ける必要があるのかどうか,私には分からないんです。あの時ももっとちゃんと知ることができていればって。[…]もし知っていれば,「やめときます。もっと待ちたい」って言って,多分男性とベッドに入って,まずどんなふうになるか確認して,「うまくいってないかどうか」分かったり,彼が,「なんだか違うね」って私に言ったら,それからやっとどうすれば良いのか考えることができるでしょう。とても残念に思ってるのは…,何度も手術を受けて,神経が切れてしまって,感覚のほとんどを失って。私にとっては,そういうのがこの問題の悲しい側面なんです。一番後悔してることで…。母に言ったことがあるんです。「お母さんは最善のことをしたいと思ってたって分かる。ちゃんと教えてもくれたし。でも,もう少し待たなくちゃいけなかったんだと思う」って。母は言いました。「私はいつもあなたのために最善のことをしたいと思ってたからこそ,あなたがそういうことを言わなくちゃいけないのはとても辛いことだったと思う」って。多分私でも,母と同じことをやったんじゃないかと思います。分からないですが…。でも私が特に思うのは,親もお医者さんももう少し時間をかけて,どうするか深く考えてもいいんじゃないかってこと。お医者さんも,他のお医者さんや他の患者さんを紹介するべきなんじゃないかって」(CAHを持つ女性:33歳)。


 (再)手術は,性器の感覚やオーガズムの減退など,後の人生でのウェルビーイングやセクシャリティに予期しないネガティヴな影響を与えうる(匿名者, 1994, Creighton, L Minto, & J Steele, 2001)。今回の(限られた集団である)体験専門者には,術後の外性器について,恐怖やスティグマとして認識したり,親密な関係や医療状況での身体のコントロールを失う原因となったと示唆する人はいなかったが,他の研究調査ではそういった例が報告されている(Meyer-Bahlburg, Khuri, Reyes-Portillo, & New, 2016)。


 また,ひとりの調査参加者が,不可逆的な手術が行われ,子どもの時に選ばれた性が,後の人生で自分の性別同一性とマッチできなかったことをほのめかしたが,インターセックスの体の状態/性分化疾患を持たない人々でも,そういうことはかなりあり得ることだとも同時に言及した。


「自分の身体にあまり良い気分がしないものがあったらって想像してみてください。でももういろいろ行われていて引き下がらなくちゃいけないって状況を…。それは…,それはとてもつらいですよね。私もそうだと認めます。そうだったって…。事前には何もわからない。…でも,CAHじゃない人で,今の自分をこれで良しとは感じてなくて,男の子になりたいとか女の子になりたいと思うような人もいますよね。だから『そういうこともあるから延期します』って。[…]私自身は個人的には,(子どもの早期の手術に)賛成なんです。でもみんながそうじゃないってことも理解しています…。でも,CAHには『ジェンダーの問題があるのだ』ってあまりに簡単に言いすぎなんじゃないかって思うことがあります」(CAHを持つ女性:40代)。



 この最後の人はこういう考えから,インターセックスの体の状態/性分化疾患でのジェンダー(性別)の問題について,いくらか存在するだろう混乱についても勉強されていた。インターセックスの体の状態/性分化疾患を持つ人々は,自分自身を女性もしくは男性であると感じることが多く,それは(医師の判定による)出生時の性別と一致したものである。彼ら彼女らは見た目も男性もしくは女性だし,性別同一性(自分を男性もしくは女性と感じるか?)も適合しているのが一般である(Cohen-Kettenis, 2010)。この問題はトランスジェンダーの人々の問題ではない。出生時の性別と自分を男性もしくは女性と感じるかという感覚の不一致を体験するのは,トランスジェンダーの人々なのである (Cohen-Kettenis, 2010)。性分化疾患/インターセックスの体の状態を持つ個人でも,人生の何処かの時点で出生時に判定された性別と自分の性別同一性がマッチしないと感じるかもしれない人がいるのは,性分化疾患/インターセックスの体の状態を持たない人々の一般人口でもそういう人がいるのと同じであるに過ぎないのだ。結果として,自分が自分自身をいかに体験している(体験したい)かをもっと近づけるために,法的な手続きで名前や体の特徴を適合させることを決定することもできる(NNID, 2013; OII-Europe & ILGA-Europe, 2015)。今回の対象集団で公的に性別移行した人はいないが,多くの科学的研究が,性別違和(もしくは判定性別に不満を持っている・感じている)のリスクを示唆してはいる。しかし,それはやはり少数なのだ。特定の型の性分化疾患/インターセックスの体の状態,たとえばCAHや46,XY DSDのいくつか特定の型で高くなるというものもあるが,そこには実は社会的な文脈の要因がはたらいている (更に詳しくはCohen-Kettenis, 2010を参照) (Callens et al., 2016b; Dessens, Slijper, & Drop, 2005)。性分化疾患/インターセックスの体の状態における性別違和というのは,トランスジェンダーの人々の性別違和とは異なる形式を取りうるということも指摘するのも重要である。もし性別に対する心理的な疑いが伴うという場合は,それは男性もしくは女性としての自尊心に関係することが多く,あるいは男性もしくは女性としての社会から向けられる期待の判断についての疑問を持っているのである。それはたとえば,「生物学的な子どもを産めないから私は女性として十分ではない」「膣への貫通ができないから,自分は十全に兼ね備えた男性/女性ではない」(Davis, 2015)といったものなのだ。 1.2 親御さん


 出生時に顕著に非定型的な外性器の見た目(陰核肥大や高度尿道下裂,陰唇や膣もしくは陰嚢の萠出など)で生まれた子どもたちの親御さんのほとんど全員が,子どもの頃の手術を選択していた。このような親御さんは,外性器が非定型的であることによって,自分の子どもや親御さんたちがさらされるであろう周りからのネガティヴな感情や,社会的に必然的に起きるだろうことを回避するために,自分で「正しい」ことができると強く信じていた。そう考えることで親御さんたちは,何もしないことで起きるかもしれない,子どもの社会的アイデンティティや安全,将来の自尊心のリスクよりも,外科手術のリスク(感覚脱失や,合併症の可能性,その次の手術など)を取っているのだ。たとえば男の子が立って排尿できるといった手術の整形術的転帰が,その子どもの性別(同一性)と身体的機能の調和があるという意味で,オペの成功のパラメーターとなっている (Jürgensen et al, 2006を参照)。


 非可逆的な外科手術との関連で,子どもの将来の性別同一性についての疑問を持つ親御さんの数は限られていたが,言外のメッセージ(時にはそういうことがないように話をされることもある)としては,性別違和の機会を手術を行う青信号としていると解釈できた。


「彼ら(医師)がその時『ええ。遺伝子的には完全な女の子でも,こういう児童は男の子のように感じたりします』と言ってたら,待ってみようって思ったかもしれません。でもお医者さんはとても明快でした」(CAHを持つ児童の母親)。


 もうひとりの親御さんも,担当の医師が,本質的な性別同一性の体験での外性器の見た目の重要性や,性別の(操作的な)「構築可能性」といった内容に言及したことを証言した。


「お医者さんがやって来て,『女の子です』って言ったんです。それに『男の子に手術するなんてありえませんから』とも。…それで私は訊いたんです。『もしこの子が後になって,男の子になりたいって言ったら?』と。するともうひとりのお医者さんがいて,『今まで私はそういう経験はありません』って言って」(性染色体DSDを持つ10代の子どもの母親)。


 親御さんは,子どもの最善の利益のために行ったと真摯に考えているので,手術をすることに決めたことを後悔している人はひとりもいなかった。外科手術は人生のどこかの時点で行われなければならないとするなら,自分の子どもに難しい決定の重荷を背負わせたくないとも想っているからだ。保護者の中には,後の人生で,子どもに手術をするか決めさせるのは,子どもに過度の重荷になると考える人もいた(Callens, Longman & Motmans, 2016)。


「はい。インターネットで調べました。そこには辛い体験をした人の体験談が書かれていて,『これは自然なものだから,手術する必要はない』とも書いてありました。だから迷いました。『もしかしたら成長するまで待ったほうがいいのでは?』って。でも次のお医者さんとの話し合いで,お医者さんは『子どものためには手術したほうがいい』と言ってるような印象を受けました。[…]それからっていうのもありますが,子どものためには,この子に重荷を背負わせるなんてできないと思いました。どういう問題が起きようと,手術するかどうかの選択は私が引き受けるべきだと。だから私たちが息子に代わって決意しました。だって,子どもの幸せのために決意するというのは,究極的に親の役割でもあるからです」(XY DSDを持つ子どもの母親)。

 親御さんの中には,こういう手術はもっと年齢が経ってから行うこともできると説明された人もいたが,医師の勧めは子どもの時に介入したいという医師の望みの上での話だったとも想起された。


「選択肢はありますと言われました。それは確かにはっきり言われました。でも私たちがそのアドバイスについてお医者さんに訊くと,こうも言われたんです。『後よりも早めに手術したほうがいいと思います』と。[…](医師が)私にあまりインターネットを見てもらいたくなかったのもその理由のひとつでした。お医者さんは昔からクリトリスを小さくすることをされていて,それに怒ってる人々が,幼い時は手術するべきじゃないと言っているからですよね。でもお医者さんの方は『もう昔みたいなことはありません。今はもう技術がずっと改良されてますから』と。なので,お医者さんはもちろん早期の手術を勧めてこられました。その方が身体組織の悪化が少ないからということだったと思います。[…]傷はすぐに良くなったので本当嬉しいです。お医者さんも,娘が『保育園に行けますよ』って。『お母さんがお尋ねになられてことで手術を求めて満足する人があまり多くなかったのは最初の頃だけです』とも」(CAHを持つ女の子の母親)。


 非定型的な外性器の見た目が続くことで,どの程度親子間のきずなや受け止めのプロセスが大きく阻害されることになるかは明らかではない(Crissman et al, 2011, Wolfe-Christensen et al, 2012)。しかし親御さんの中には,周りからのネガティヴな反応や疑義,社会的スティグマの可能性を恐れ(それは関係する医師に示唆されることもある),子どもを(時には自分たちも)守りたいと想う人もいる(Duguid et al, 2007)。多くの外科医が主張するのは,傷の治りや組織の回復は成人期よりも子どもの時の方がスムーズで,機能的にも整形的にも良い結果になるということだが,その当の外科医の熟練度が良い結果の決定因であるというのもあるかもしれない(Mouriquand et al..,2014)。


 将来は,この選択が子どもにとっても満足するものだったかどうか明らかにしなくてはいけない日が来る。


 限定されたものであるが,若い人々の中には,親が幼いころの手術に関して決めたと知って安堵する人もいることを示す調査もある(Fagerholm et al.,2011, Meyer-Bahlburg et al.,2004)。しかし,子どもの声や子どもが将来このことをどう考えるかということは,親御さんたちの手術に関する決断の話ではカバーされなかったことが印象的であった。


 子どもが成人になってからの性的感覚・快感に関わる,手術の潜在的な結果可能性を認識している親御さんはいなかった。親御さんたちは,身体的機能とネガティヴな心理社会的障壁(将来の性的パートナーを見つけたり,いじめに遭ったりなど)に対して,子どもの頃の手術が予防になると真摯に望んでいるのだ (Crissman et al, 2011)。


 最後に。外性器手術を選択した親御さんたちは,自分の子どもにはこの話をオープンにしていた,あるいは子どもに先走って話すこともしたくないと思っていることを示された。子どもが続いての手術について疑問があるかどうかひとつずつ確かめ,子どもに説明できていることもである。この親御さんがお話されたようにである。「もし娘が必要としたりなにか質問があれば,娘には完全に全部(の情報)を話したいと思ってます。いつでも自分で判断できるようにって」(卵精巣性DSDを持つ10代の子どもの母親)。


 親御さんの中には,こういう手術はもっと年齢が経ってから行うこともできると説明された人もいたが,医師の勧めは子どもの時に介入したいという医師の望みの上での話だったとも想起された。


 まだ幼い子どもの親御さんの中には,医師と子どもが良い関係でいられるよう努力していると語った人たちもいた。もし子どもがなにかの疑問を持った場合,いつでも医師のところに行けるような信頼感を持ってもらうためだ。


「(夫と私は)いつも子どもと一緒に診察全部に行くようにしています。一緒に行って,疑問に思ったことはなんでもお医者さんに訊けるって,息子に分かってもらうためです。それに,医学的なことについては,私以外に分かる人がいるということも知っておいてもらえるように。[…]もしペニスになにか悪いところがある場合,もうその時には,母親と一緒に行って一緒に訊こうなんて息子も思わないでしょうから」(混合性性腺異形成を持つ男の子の母親)。



2.思春期後半もしくは青年期での性器治療


2.1 成人当事者


 思春期前後に判明する体の状態の女性(n=6)では,その半数が膣を拡張することを目的とする,性器への外科的介入を(思春期後半もしくは青年期に)受けていた。その中の1人はこの型の介入を後悔していた。彼女は本当は自分で行うダイレーション治療(たとえば段階的にサイズを大きくしていく)を求めていたのだが,担当の医師がこの選択肢の経験が無いと言ったのだった。残りの半分の女性では,介入の必要なし(ポジティブな意味で)とした女性(n=1),代わりの自分で行うダイレーション治療を選択した女性(n=2)であった。


 基本的にはこれらの治療は,体験専門者が「普通」だと感じる,もしくは「普通のセックス」を期待できるよう,(彼女たち自身のためということで)受け入れられ,かつ(将来の)性的パートナーのために行われるものである。