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第8章:結論および本調査の限界と強み



 性分化疾患/インターセックスの体の状態には,様々な原因によって,内性器や外性器の発達が非定型的なものとなる,先天的な医学的-生物学的な体の状態群である。臨床像には様々なものがあり,当事者やその家族それぞれに対する影響や認識も様々であるが,親御さんや子どもたち,成人当事者の人々は,妊孕性の減退への対応や,(性器などについての)肯定的な自己イメージの発達,性生活の満足,体の状態についてのオープンさ,治療方針決定への参加といった,いくつか共通する心理医学的困難,社会的困難に直面することが多い。


 調査参加者および子どもたちは皆,自身を明確に男性/女性と認識しており,この事実は,インターセックス/性分化疾患についての最大の神話の一つ,すなわち,こういう体のバリエーションは男性・女性ではない(Xの)集団である,第三の性別のカテゴリーであるという神話を,直ちに否定するものであった。彼ら彼女らは,自分は男性もしくは女性として資格十分なのだろうか?という自己イメージの問題に極めて大きな痛みを感じているが,それは,男性らしさ/女性らしさという社会的/生物学的理想イメージ(彼ら彼女らは何者なのか? 彼ら彼女らは誰とともに何をするのか?)という規範に対する疑問が問われたり追求されることがほとんど無いためであり,そういう傾向は医療提供者やマスコミ,学校の教師によってもさらに強められていることもあった。現実の成人当事者や子どもたちは,自分の体験を,性別違和とも,トランスジェンダーの人々の体験に近いものともカテゴライズしておらず,生物学的な背景の本質的な違いが強調されていた。トランスジェンダーの人々との関連付けはとてもセンシティヴなものであるため,LGBT傘下の集団との殊更な関連付けは,この対象集団の社会的/医学的困難を理解したり改善するのに役立つとは考えられえていなかった。


 対象集団の名称付けも,更なる問題を呈している。このグループにはなにか一つの集団としての意識はあまりなく,大多数の体験専門者や親御さんたちは,インターセックスや性分化疾患といった用語両方共に嫌悪感を持っているからだ。それ以前に,圧倒的大多数の体験専門者が,自分の体の状態を,そういった用語との関連で聞いたこともないのだ。彼ら彼女らが使う用語は,医療提供者や,親戚・友人など,それぞれの知識や社会的文脈によっていくつかのバリエーションがあり,それぞれの体の状態特定の用語や体の状態の身体的な描写を使い分けているのである。


 体験専門者たちは,児童期・思春期・青年期の際に,体の状態についての知識や親御さんからの支えが,体の発達のバリエーションを有する人生の重要な要因となると述べた。親御さんたちも,適切なサポートを非常に重要な点とし,この問題の複雑さとセンシティヴさから,専門センター病院に配置された,専門家によるしっかりとした横断的な(医療面と心理面)支援を求めていた。医療提供者の知識の乏しさに遭遇したという親御さんや成人当事者の体験は,ストレスフルなものであった。ただ,このような体験がありながらも,現在のケアについては非常に満足していて,このケアについての満足は,親御さんや体験専門者の心理的ウェルビーイングが要因となっていた。しかし,フランドル/ベルギーの様々なセンター病院での現在のケアの内容は,医療の透明性とケアへのアクセシビリティを確保するためにも,臨床の内容の監査や個々のユーザーからのフィードバック,国の政策を通しての更なる調査が必要だろう。


 専門の心理的サポートは,心理的ガイダンスを行う前提条件自体(このテーマ特定の知識や患者家族側の疑問に対する適切な答えといった知識の欠如,使用言語の問題,アクセシビリティなど)が完全ではないために,意図するような結果をもたらすことができていない。また,たとえば外科手術が保険対象となっているのとは対照的に,心理的カウンセリングは全額有償になるという問題もある。DSDs様々な体の状態それぞれに応じたケアとQOLの知識を集約する調査機関もプラットフォームも,ベルギー/フランドルには欠けている。患者仲間同士がコンタクトを取れる構造は,DSDsすべての体の状態それぞれに応じたものが出揃っているわけではなく,医療提供者や患者家族も,そういったコンタクトの提供には慣れていない。構造的なコンタクトが限られているのは,リソースの問題もある。コンタクトをオーガナイズしているのは当事者家族のボランティアであるため,現況では持続的なものになるかどうかがおぼつかない状況である。こういった現在の状況は,医療提供者や利害団体双方の国際的ガイドラインが,患者仲間同士のコンタクトが全体的ケアアプローチの要であると推奨していることにも合致していない。とにかく,患者仲間同士のポジティヴなコンタクトとコミュニケーションは,自分の体の状態を受け止め,内面化された劣等感や恥辱といった感情に対抗するものとなりうる。


 機能的な心理カウンセリングと患者仲間とのコンタクトは,親御さんや成人当事者の体の状態についての他者に対する適切なオープンさのコントロール感にも役立ってくる。「周りに隠し続けるべき秘密」という感覚になってくると,社会的情緒的なウェルビーイングを犠牲にし,(たとえば自分自身や子どものプライバシーに関して)大きな緊張感をもたらすことになるからだ。また,適切なカウンセリングと患者仲間とのコンタクトは,成人当事者や親御さんに対して,ケアや早く決断しなくてはいけないというプレッシャーの中での指針となり,このような体の状態を扱うストレスの軽減に役立つことにもなる。更に,特に不可逆的な治療に関して落ち着いて考えられるようになるためにも,成人当事者(たち)(の親御さんたち)が,(医療についてだけでなく)もっと広い範囲で,こういった話し相手になる人と出会えることが重要である。しかし,医療提供者と,ピアサポート・心理師との良好な関係は,医療的介入となるものならないものどちらでも,当事者の子どももしくは親御さんの健康リスクに関する最も正確で最新の調査情報へのアクセスを増やしていくことが依然重要である。


 性器の手術といった介入は,自分の体の状態に対処していくのに役立ったという成人当事者もいれば,逆に悪くなったとする人もいたが,これは,この介入によって自分は普通でやっていけるという感覚を強めることになったか,逆に介入されることによって自分は普通ではないという感覚を強めるものになったかによって違っていた。親御さんは外科的介入に後悔はしておらず,体験専門者たちも親のこの決断を疑問視する人はいなかったが,彼ら彼女らが受けた非外科的な介入については,医療提供者や親御さんたちと,体験専門者たちそれぞれで昔を振り返って語ってもらったところでは,信頼する価値のあるケアプロセスだったと見なされていなかったと結論付けねばならない。子どもが自分自身で治療方針を決定できる年齢になるまでには,自尊心が保てないことや,(医療や社会の場での)体験に対応することが,非外科的介入での主な役割になると考えられる。したがって,親御さんや医療提供者が,不確かさにどのように対応していくか,そのスキルを強めていくことが第一となろう。


 インターセックスの体の状態/性分化疾患は相対的に表から目に見えるものではなく,体の状態を周りに明らかにすることはあまりないということは,やはりこの分野の重要なテーマであり,かつ差別と認識される体験やQOLへの直接的な影響を及ぼす要因になりうるものである。このような体の状態を持つ人々とその家族は,周囲から起きるかもしれない否定的な(やっかいな)反応を不安に感じていて,子どもが学校やレジャーなどの社会活動に参加して,(何らかの体の違いがある場合)他の子どもから体の状態についてなにか言われるのではないか?,あるいは(生物の授業などで妊娠や染色体の話になって)子どもが疑問に思うのではないかなど,子どもが疎外されることを懸念して,親御さんが(過剰な)保護や積極的な介入を行うようになることもあろう。成人当事者の中にも,自分の体の状態を誰かに話したいとは思わず,他人からの拒否を恐れる故に,「十分な」社会参加や,(特定の仕事に応募したりすぐさま仕事を得たりする,あるいは恋愛関係など)自分の夢を追い求めることができないことがあると感じる人がいた。しかし,体験専門者や家族は,自分自身で学びを深め,(パートナーや親友だけでなく,患者仲間やポジティブな医療提供者との)印象深い人間関係が,恐れや恥辱に対抗しうるものとなり,精神的なウェルビーイングや社会的連帯,自己イメージ,恋愛といった面に良い影響を与えることを示唆した。周りの人々とのこのような関係性は,人生や生活,社会参加における,この問題に関するより説得力のある答えにはなる。しかし,この特定の問題に対するより構造的な調査に今より多くのリソースが割り当てられれば,差別があることも見えてくる可能性はある。ジェンダーバリエーションの文脈での,社会関係での差別や社会的差別(そして本質的な人権)に対するより全体的なアプローチを行うためには,利害団体や患者仲間,医療提供者,政策立案者との間のオープンなコミュニケーションと協働も重要である。



本調査の限界と強み


 本調査の限界のひとつは,参加者の方法論的な選択に関わるものであるが,それは一方では,ケアと人生・生活状況の認識バリエーションについて,広範囲の全体像を描けているという点で,本調査の強みともなっている。


 調査参加者の大多数は,ベルギーとフランドルで最大のUZ Gent病院の体の性の発達センターのデータベースからアプローチした人々である。このセンターは多職種チームケアを提供しており,DSDs調査研究の国際的な役割も果たしている。したがって,この病院でケアを受けている患者の子どもとその家族,成人当事者のQOLが,この国全体の当事者の人々全体を,どの程度代表するものになっているかは不明である。現実的には,対象集団のQOLは,本調査で提示された状況よりも悪い可能性がある。


 本調査の2つ目の限界は,参加者の男性と女性の割合,父親と母親の割合のバランス,移民の背景を持った人のバランスにかけていることである。よって,男女の違い,文化の違いと分析することができなかった。男性も女性も,また移民の背景を持った人はも,共通した多くの特徴と体験を持っているが,それぞれ特有の懸念事項,スティグマの体験,体の状態の対応方とオープンさのあり方の違いがありうる。したがって,この対象集団のQOLの調査においては,よりそれぞれ特有の特性に応じた注意深い視点が必要となる。


 本調査の3番目の限界は,QOLについて,子ども時代の医療体験の実際の影響・効果の知見を得られなかったことだ。この全体像を知るためには,長期間での調査が必要となり,その中で,親御さんや子どもたち,成人当事者の医療方針決定の利益を考えた上でのQOLも調査できるだろう。本調査は,後ろ向き研究の特徴を持ち,調査参加者が想起したことが,当時の時点での治療と方針決定で話し合われたことに実際に合ったものかどうかは明確ではないため,必要とされる長期間の調査では,診察での相談そのものや,たとえば,治療方針の選択肢の話し合いと決定の過程に調査者が参加するという案も興味深いだろう。


 本調査の強みの第一は,若い成人当事者や成人当事者,親御さんたちの生の考え・意見の知見を得たことである。今回の参加者の大多数は,これまで決してこういう調査には参加しなかった人々で,その意味では本調査は,「非日常的な状況にさらされている日常の人々」の生(なま)の声を見失っている,医療提供者や国際的な当事者団体の代表に対しての批判的検討を要するもの(Cools et al, 2016, Magritte, 2012) ,そして政策関係者が声が大きな(活動家の)人の話しか聞いていないことを告発するものとなったことである。本調査の参加者は,否定的側面・肯定的側面でも,この体の状態の体験に関する新たな位相を与えてくださり,それは,当事者家族の人々のレジリエンスと,医学界との協働や話し合いを行いたいという意思,そして,このような体の状態群に関しての患者家族に対するケアと情報提供だけでなく,(一般)社会での意識のあり方の改善の必要性を指摘するものであった。


 本調査の第二の強みは,「生活の質(QOL)」や生(なま)の人生・生活状況という広い考えに関われたことである。このような体の状態群についての現在のQOL調査は,健康状態に関するQOLの範囲に限られている。しかし,理解すべきQOLはそれよりももっと広いものであり,個人が自分の望みを叶えられる機会に関係するものでもある。本調査は,学校や休暇,仕事への社会的参加や,認識された差別について初めて目を向けたものであり,更なる調査の機会を提供するものである。


 本調査で調査された人生・生活上の問題の範囲は非常に広範囲のものであったため,調査結果も様々なレベルの政府組織に関係することになる。さらに議論されることになるだろう推奨政策のいくつかは,地方よりも連邦全体の政策に関わることになるだろう。しかし,ここでは,統合的な報告として,重要な推奨政策をまとめてみたい。

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