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「たいていは中絶なさいます」と遺伝カウンセラーは言った…。:NIPTで息子さんのクラインフェルター症候群が判明した家族の物語





 ミシガン州ノースオークランド郡で進路カウンセラーをなさっているカーラさん(61歳)は、ローガンさん(31歳)のお母様です。ローガンさんはクラインフェルター症候群(47,XXY)を持っていることが出生前に診断されました。


診断

 ローガンさんを妊娠したとき、カーラさんは34歳でした。妊娠初期の様子は、以前の2回の妊娠と変わりありませんでした。ですが妊娠2ヶ月目の頃に出血がありました。医師から自然流産するかもしれないと言われ、カーラさんは2〜3日安静にしていました。すると出血は止まり、何の問題もないように思えました。


 カーラさんの年齢と出血のことを考慮した医師から、悪いところがないかを血液検査で確認しましょうと提案されました。その検査の結果が出たとき、カーラさんは、赤ちゃんに少し「正常でないところがあった」と知らされたのです。最初のうちは、たぶんダウン症候群か何かと思っていましたが、はっきりしたことは医師にもわかりませんでした。そこでカーラさんは羊水穿刺を受けました。その結果、お腹の中の息子さんが47,XXYを持っていると確認されました。

 医師は電話で検査結果を伝えてきただけで、それ以上のサポートや情報は提供してくれませんでした。カーラさんは結果を聞いて取り乱し、泣きながら義理のお姉さんに電話しました。ご主人には仕事からお帰りになってから伝えました。医師からの電話では、とくに詳しい相談もないままに、カーラさんを遺伝科に紹介しますと言われました。ショックを受けていたカーラさんは、そういうことは電話ではなく、対面で伝えられるべきではないかと感じたと言います。


 カーラさんはウェイン州立大学に電話して、遺伝科医の予約を取ろうとしましたが、診察を受けられるまでに何日もかかりました。その間、カーラさんは診断のことを理解しようと努力を続けました。クラインフェルター症候群のことは何も知りませんでしたから、生まれてくる息子さんは車椅子なしでは生活できないかもしれない、話せないのかもしれない、自立した生活は営めないかもしれない、などと想像していました。自分がそんなに大変な問題を抱えた子供の母親になれるのかと心配だったのです。それでも中絶は選択肢ですらないと思っていました。

 遺伝カウンセラーは、伝えるべき詳しい情報を持っているわけではありませんでした。カーラさんたちご夫妻に、お子さんがクラインフェルター症候群と診断された妊婦さんは、たいてい妊娠中絶を選ばれますと言いました。カーラさんはすでに妊娠何週目かになっていましたから、1週間以内に決めなければなりませんでした。カウンセラーは、息子さんはたぶん「とても背が高い」でしょうと言い、クラインフェルター症候群を持つ人はたいてい、「軽度から重度まで、いろいろな問題」を抱えているのだと言いました。



 教えてもらったわずかな情報では、カーラさんの恐怖は和らぎませんでした。カーラさんは極度に緊張し、眠ることも食べることもできなくなりました。どうしてももっと知りたくて、近所の図書館で調べ続けました。ところが、見つかったのは「衝撃的な」情報ばかりでした。カーラさんは、たまたまクラインフェルター症候群に関する研究書を見つけたのですが、そこには、刑務所の収容者集団との比較研究のことが書かれていました。つまり、クラインフェルター症候群を持つ人たちは、最終的には投獄されたり、もっとひどいことになるかもしれない「はずれ者」だとほのめかされていたのです(監訳者中:現在ではクラインフェルター症候群の男性の犯罪率は特段高くないことが分かっています)。カーラさんはさらに調べ、ようやくコロラド州郊外で診療している、ある医師にたどり着きました。その医師はカーラさんとの電話に1時間を費やし、質問に答えながら、クラインフェルター症候群はそんな「死刑宣告」のようなものではないと明言してくれました。そればかりか、この症候群による影響の大きさは人によって様々で、大学に行って生産的な暮らしをしている人も多いのだと言いました。さらに、カーラさんが目にしたネガティブな情報、とくに刑務所の収容者を取り上げていた本のことは無視していいですよ、と言ってくれました。


 カーラさんは妊娠を続けることを決心します。そしてローガンさんが元気に生まれました。ローガンさんは出生後にいくつかの合併症を発症し、幼児期になるまで入退院を繰り返しました。カーラさんは、ローガンさんがお兄ちゃんたちのように、小児期特有のウイルスへの抵抗力を持っているわけではないことに気づきました。


ローガンさんを育てる

 最初のうちご夫妻は、カーラさんのご両親と義理のお姉さんを含む少数の人にしか、ローガンさんの状態のことを話しませんでした。話を聞いた人たちの反応は「理解できた」様子でしたが、それでもおふたりは、多くの部分は言わないでおくことにしました。ある高齢の伯母さんは、早速カーラさんの助けになろうとして、カーラさんが赤ちゃんのことで抱えていた不安や心配を和らげるために、「あらゆる正しいこと」を言いました。ローガンさんのお兄ちゃんたちは当時まだ5歳と7歳でしたから、カーラさんは妊娠中から、ローガンさんの状態のことは教えていませんでした。


 ローガンさんの成長途上でカーラさんはさらに調べ続け、ローガンさんに「普通」の暮らしをさせてあげたいなら、サポートが必要だと理解しました。ローガンさんには発達の遅れがみられていましたから、早期介入のプレスクールの面接を受けました。言葉に遅れがあり、細かい運動能力の発達を促す必要がありました。先生たちが自宅にやって来て、ローガンさんとともに、体幹部の筋肉を鍛えたり発語を促したりするセラピーに取り組みました。子供の頃のローガンさんは恥ずかしがり屋でしたが、いつしか心を開くようになり、社交的になっていきました。ローガンさんが大きくなるにつれ、ご夫妻は、ローガンさんには少し違いがあって、物事をゆっくり理解するのだということを、年長の息子さんたちにも教えました。それでも息子さんたちは、「彼に対して、腫れものに触わるような接し方はしませんでした」


 カーラさんが相談したコロラドの医師は、ローガンさんの状態のことを人に話す必要はないと言いました。ですが、ローガンさんが学校に上がる頃には、少し特別な援助が必要になっていました。カーラさんがローガンさんの状態のことを学校の方々に打ち明けると、彼のための個別教育プラン(IEP)が準備されました。ローガンさんを受け持つ先生方には知っていただく必要がありましたから、それからは彼の状態を秘密にせず、いろいろな方々にお話ししようとカーラさんは決心しました。多くの方々に知ってもらいましたが、とくに問題は起きませんでした。ローガンさんは4〜5年生までIEPを受け、特殊学級に行く必要はまったくありませんでした。学校での学習について行き、平均的な成績をとることができたのです。


 ローガンさんが6〜7歳の頃、カーラさんご夫妻は、ご本人にクラインフェルター症候群のことを伝えました。おふたりはローガンさんに何も隠さないことにして、大きくなっていくときに、自分でうまく対処しなければいけないのだと説明しました。ローガンさんはそれを冷静に受け止め、クラインフェルター症候群は「自分の一部にすぎない」と理解しました。


 11歳頃にローガンさんが思春期を迎えたとき、カーラさんご夫妻は、ほかのクラインフェルター症候群の男の子たちを診ている内分泌科医と連絡をとりました。この医師はクラインフェルター症候群に関するあらゆることをローガンさんに説明し、こんな風にからかったりしました。「いいかい、君は子供を作る能力はないけれど、だからと言っていろんな女の子たちと寝ていいってわけじゃない。だって、またほかの病気にかかってしまうかもしれないからね!」 ローガンさんはこの頃、テストステロン補充療法を受け始め、太ももの上の方に注射を打つようになりました。半年くらいの間はカーラさんが注射していましたが、それからはローガンさんが自分でやりました。

 テストステロン補充療法を始める前は、内分泌科医がローガンさんのテストステロンの血中濃度を定期的に測っていました。そして、新たに治療を始めるべき時期がきたことを判断し、カーラさんに告げました。病院ではローガンさんの関節も検査され、その時点で骨が融合していないことがわかったのですが、彼のテストステロン値が低すぎるせいで成長の遅れにつながっていると考えられたのです。ローガンさんはそれ以来、注射を打っていますが、別の方法によるテストステロン補充は行っていません。14歳の頃にはローガンさんが生殖可能な精子を持っているかが検査されましたが、そのような精子はないことがわかりました。カーラさんはこのことをとくに気にせず、問題だとも思いませんでした。ご主人も同じでした。ローガンさん自身も、そのことを聞いて思い悩んだりはしませんでした。


 テストステロン補充療法の影響がはっきりしてきたのは、ローガンさんが13歳になった頃でした。身長が192cmに達したのです。それでも思春期になると運動能力の遅れがみられました。カーラさんのほかの息子さんたちは、がっちりした体格なのに、ローガンさんは背が高く、やせ型です。テストステロンが体から失われていく頃には気分が動揺するようになり、涙を流したかと思えば怒りに燃えたりと変化しました。激しい怒りにかられたときは、ご自分でも制御できないと感じたそうです。それでも、ローガンさんはテストステロンの濃度が低くなってきたときに、自分で気づくことができるようになっていきました。そして、こんな風に叫んだりします。「そういや、Tを注射してない。そろそろ打たなきゃ!」



 10代で経験した感情の問題に対処するために、ご両親はローガンさんをカウンセリングに連れて行きました。カーラさんが見たところ、ローガンさんとあまり相性の良くなさそうなカウンセラーでしたが、しばらく一緒に過ごすうちに、ローガンさんは感情の揺らぎに対処する能力が高くなりました。そんなローガンさんは、共感性の高いところもある愛すべき性格です。兄弟たちよりずっと、抱きしめたくなるような可愛いらしさを持っていました。子供の頃のローガンさんは一人で遊ぶのが好きでしたが、ハイスクールではとても仲のいいお友だちが2〜3人でき、陸上競技に参加しました。


XXYと共に生きる


 大人になったローガンさんは独り立ちして、ルームメイトたちと一緒に暮らしています。建設業界でフルタイムで雇用されて働くかたわら、木工を習っています。ご家族ともずっと関係を保ち、数週間おきに連絡をとり合っています。


 カーラさんはメリーランドで開かれた、ある大会に参加したときに、「Living with XXY」を見つけました。その大会ではいろいろなご家族が知り合ったり、お母様同士が出会ったりして、それぞれの息子さんに関する多くの情報を手に入れました。ローガンさんも、その大会で同じ年頃のクラインフェルター症候群の男性たちと会うことができました。ローガンさんはフェイスブックで、47,XXYの男性のためのグループに参加しています。カーラさんは47,XXYの息子さんを持つお母様たちのための同じようなグループに加わっています。グループに参加すると、ほかのご家族の経験をつづったストーリーが読めますから、カーラさんにとって良い経験になっています。カーラさんは、早いうちにローガンさんの診断がわかったので、彼の成長途中の発達を見守ることができて、ありがたかったと思っています。


 カーラさんに、息子さんがクラインフェルター症候群と診断されたばかりの、ほかのお母様にどういう言葉をかけたいですかと尋ねてみました。カーラさんは、「悲観することはありません。きっと、お子さんが可愛いくてたまらなくなります。お母様にとって、かけがえのないお子さんになりますよ」と言いました。そしてこんな言葉を添えました。「子供たちはたいてい、いろいろな問題を抱えています。クラインフェルター症候群の診断が特別ひどいわけではありません。少しご苦労されるかもしれませんが、打ちひしがれるほどのことは何もないのです」


(この体験談の日本語翻訳は,有志の方に翻訳をいただきました。ありがとうございます!)

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