日本性分化疾患患者家族会連絡会

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日本性分化疾患患者家族会連絡会:ネクスDSDジャパンは、世界のDSDs患者家族会・サポートグループと連携し、主にDSDを持つお子さんとご家族のための医療ケア、子育ての疑問などについて、世界中のサポートグループからの情報を発信し,日本の性分化疾患各種患者家族会との連携をしています。

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オランダの文部科学省に当たる教育文化科学省の解放政策局の要請により、政策研究機関である社会文化計画局が作成した、世界ではじめての国家機関による、DSDs(体の性の様々な発達:性分化疾患)を持つ人々の実態調査書を日本語に翻訳しました!

 

探索的調査としながらも、DSDsを持つ人々への綿密なインタビューや、世界中の患者団体、多くの調査研究からの情報などを総合し、誤解や偏見・無理解の多いDSDsについて、極めて客観的で当事者中心となった報告書になっています。

 

近年日本でも、教育現場や地方・国レベルで、性的マイノリティの人々の一つとしてDSDsが取り上げられるようになっていますが、DSDについての知識が不十分なまま進められている現状があります。

 

性教育などでDSDsについて触れたり、地方・国レベルでDSDを持つ人々と家族についての政策を進言したいとお考えの皆様には、とても参考になる資料です。是非ご参照下さい。

オランダ社会文化計画局報告書

 「インターセックスの状態/性分化疾患と共に生きる」

 

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ジャクリーンさんインタヴュー

BYMRKH interviews Jaclyn Schultz and welcomes her to the BYMRKH team!

ジャクリーンさん(性分化疾患:MRKH)

ジャクリーンさん

MRKH(ロキタンスキー症候群)

 

MRKHを持っていることに食いつくされないよう、自分の人生を定められないようにがんばってほしい。この人生には素晴らしいことがたくさんある。否定的になって自暴自棄にならないで。学校にいくこと、進学することに集中して、いいことも考えるようにしよう。まだ分からないかもしれないけど、全てには理由がある、最後には乗り越えていける。

 ジャクリーンはミシガン州立大学の大学院生で、広告学の修士号を取るために勉強しながら、ブロガン&パートナーズという広告会社でフルタイムで働いている女性です。広告会社ではメディアバイヤーを担当。ジャクリーンがBeautiful You MRKH Foundationにコンタクトしてきたのは、MRKHの啓発をしたいということ、それにグループに興味を持ってくれたから。何度か話をしていく中で、MRKHを持つ女性の人生を良いものにして行きたい、すべての年代のポジティヴなロールモデルになりたいという、彼女の熱意を感じました。Beautiful Youは、喜んでジャクリーンと活動を共にし、チームに迎えることにしました。

 ここ数ヶ月の間、彼女の話はとても素晴らしいものだと感じ、私たちとしては、みんなにも彼女のことを知ってもらおうとインタヴューをすることにしました。ジャクリーンには彼女自身のことについて質問し、MRKHのこと、MRKHは彼女の人生にどのような影響を与えたのか、お聞きしました。

克服して、笑顔でこう言うの。「思い知ったか、ざまあみろ!」って。

インタヴュアー:MRKHを持っていることでどんな体験をしたのか、人生にどんな影響を与えたのか話していただけますか?

ジャクリーン: 十代の頃ってとてもじゃないけど簡単なものじゃないって、女性全員がうなずいてくれると思います。女の子の十代って本当大変!女性ホルモンが体の隅々まで行き渡って、みんな大人の女性になっていくし、高校で友達ができるかどうか、いい成績がとれるか、みんなと馴染んでいけるか、男子からからかわれたりしないか、もうみんな色々な心配がある。そして、ある日は学校に行って、クラスで何とかうまくやっていけるようにしてる。でもそんな次の日には、病院の一室で、世界が全てひっくり返ってしまうようなニュースを聞く。すぐには理解できないようなニュースを。私にとってはそんな感じでした。

 MRKHと診断されたのは15歳の時です。その時はそれがどういうことなのか全く理解できませんでした。分かったのは、父と母が完全に打ち砕かれているということくらい。生理は来ないだろう(それは悪くないんだけど)。そして自分の子どもは持てない(これは嫌でした)。高校では友達数人にしか、そのことは話さなかったです。じゃないと、浮いてしまうことになるし。当時は、それだけは嫌だったんです。MRKHのことを明らかにしはじめたのは大学に入ってからです。人と違うのは悪いことじゃない、私の独自性なんだって思って。ちょっと怒ってたというのもあった。もうこれ以上隠し事なんてしたくないって。ずっと必死に隠してきたんですが。でも私にとっては、秘密にすればするほど、MRKHのことが実際よりも重荷になっていって。明らかにして話すようにしていくと、気持ちが楽になっていきました。それに、赤ちゃんを持つこともずっと後のことだし、あまりそのことを気にしないようにした。
代理母や養子縁組もありえるし、私が結婚したいと思う人なら、どちらの選択肢でも愛情は変わらないだろうからって。なので、とにかく大学に行って、卒業して、広告会社の仕事を手に入れて、修士号を取るためにまた大学に戻って、たまたまミス・ミシガン・USA大会に出て、ミス・ミシガンに選ばれちゃった。

 こんな、何かを成し遂げていくことについては、MRKHを持っていることは話しませんでした。落ち込むような、ずっと落ち込ませるような人生上の葛藤のことも。ただただ、そういうこと・人に向き合って、そこから這い上がることに必死だった。克服して、笑顔でこう言うの。「思い知ったか、ざまあみろ!」って。MRKHが私に教えてくれた。助けもしてくれました。人生で、涙で落ち込むようなことがあっても、そんな人がいても、自分自身の中に深く入っていって、またそこから登ってくることが大切なんだって、そういうことを教えてくれた。

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