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ロキタンスキー症候群のある
女性たちの物語

隠れていた場所から一歩踏み出すことで、私たちは成長し、強さを示すことができます。ロキタンスキー症候群の仲間たちに自分の物語を話すことで、私たちは自由を感じ、ロキタンスキーがもたらす恥ずかしさや罪悪感から自由になれるのです。

 

御覧の皆様へ

 ロキタンスキー症候群(MRKH)とは、女性のDSDのひとつです。ロキタンスキー症候群は、主に思春期の無月経から、膣や子宮、卵管の一部もしくは全てが無い状態であることが判明します。女性にとっては、とても心痛められることが多く、またこれまで、同じような体の状態を持つ女性との出会いもないまま、孤独の中を過ごさせねばなりませんでした。

 現在,欧米ではロキタンスキー症候群のある女性への医療体制や,当事者女性たちのサポートグループも整備されるようになりましたが,世界には今でも十分なサポートも得られない女性たちがたくさんいらっしゃいます。それでも強く生きている女性たちの物語を中心に,さまざまな女性たちの体験談ご紹介します。

 

 彼女たちの姿は,日本のロキタンスキー症候群のある女性のみなさんがこれまで体験してこなくてはならなかった姿でもあります。このコーナーの体験談は,日本で同じような体験をしてこられた当事者の土多恵子さんに翻訳をいただきました。


 ロキタンスキー症候群をはじめとするDSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患)は、「女性にもいろいろな体がある、男性にもいろいろな体がある」ということです。

 私たちは「性のグラデーション」でも「男女の境界の無さ」でもありません。むしろそのようなご意見は、私たちの女性・男性としての尊厳を深く傷つけるものです。

​ ​どうか、お間違いのないようにお願い致します。

 

 詳しくは「DSDsとは何ですか?」のページをご覧ください。

アフガニスタンの女性(26歳)

 私の名前はFrishtaです。26歳で、アフガニスタンに住んでいます。生まれたときは栄養不良でしたが、生き延びることができました。


 19歳のとき、まだ初潮がなかったため、姉が私を医者に連れて行きました。超音波検査の結果、医師は私に「子宮がないか、とても小さいかもしれない」と告げました。アフガニスタンではMRIの検査費用が非常に高額だったため、姉は私にMRI検査を受けさせませんでした。


 自分が将来、子供を産んで母になれないことを知り動揺したものの、当時、私は法学部の1年生で大学の授業が忙しく、あまり深く考えませんでした。
 

 大学を卒業し、2年ほど働いた26歳の時、そろそろ結婚相手を探そうと考えました。まだ初潮がないので、改めて婦人科を受診することにしました。超音波検査の結果、「子宮がないか、非常に小さいかもしれない」と医師は言いました。ショックで頭がくらくらしました。
 

 医師は「将来母親になることも、子供を産むこともできないし、膣が閉じている可能性があるから、結婚して誰かとセックスすることもできない」と私に言いました。 私は動揺し、悲嘆し、人生に失望しました。

 私はもっと設備の整った病院に行くことにしました。ですが、そこで医師は、私にこう告げたのです。「私たち医師には、未婚の処女を診察する権限がありません」。

 

 私は今でも、自分の膣の状態や長さを知らないのです。


 アフガニスタンでは、結婚前の女の子は処女で処女膜がなければならないのです。アフガニスタンでは、結婚前に処女でない女性は、男性と不道徳な関係を持った、不良で売春婦だとみなされます。
 

 アフガニスタンの医師たちはロキタンスキー症候群を知りません。医師はMRI検査結果に「子宮がない」とだけ書きました。


 ですがインターネットで、月経がないこと、子宮がないことについて、自分で徹底的に調べた結果、自分がロキタンスキー症候群であることを確信しました。


 アフガニスタンの医師はロキタンスキー症候群について何も知らず、膣の手術ができる医療設備もありません。このような治療が受けられない状態が私を苦しめています。そして将来が不安です。
 

 私の秘密は触れてはいけないものとなりました。私が属している場所は、女性に対して厳しい習慣と伝統を持つ保守的で宗教的な社会なのです。

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部屋の中の象……触れてはいけない話
(ジョイスさん:フィリピン)

 私は自分が母親になれないことは知っていたし、それを自分のなかで受け入れようとしていました。ですが姪と甥が誕生したとき、私は純粋な喜びを感じ、もう赤ちゃんから距離をおけなくなったのです。「ベイビーステップ(少しずつ慣れていけばいいの)よ、ジョイス」と自分に言い聞かせました。


 そして(ロキタンスキー症候群への)認知向上活動だけなく、卵子提供により同じ疾患の女性を助けることができないか考え始めました。


 大人になってから私はひとりで医療を受ける機会を探していました。でもお金がかかるし、貯金も給料も全部使い果たしてしまう・・。これが私と夫の「部屋の中の象」でした。つまり、大きい問題だけど、見てみないふりをしてきたのです。
 

 ですが先週、私が勇気を出して夫に相談したとき、彼は携帯電話を手に取り、病院や費用必要な情報を検索して見つけてくれたのです。これは驚きでした。
 

 IVF(体外受精)や人口妊娠は、経済的に私たちにはまだ無理なことはわかっています。ですが、私はひとりじゃない、話し合える彼がいるんだという事実は、私に大きな喜びをもたらしました。
 

 私たちが交際し始めてから、彼は私を受け入れてくれることを知っていました。ですが、今日の喜びは、これまでと違うもっと純粋な喜びなのです。

 私たちはそれぞれ、さまざまな局面にいます。ある人は高い希望を持ち続け、ある人は妥協を選びます。そして、悲しみや痛みを伴う瞬間もあります。ですが、私たちロキタンスキー症候群の女性たちは、お互いに受け入れあい、力づけることができます。私は自分の喜びを見つけ、あなたも自分の喜びを見つけるはずなのです。

 

 私たちは愛に値しているのですから。

私に似た人はどこにいるの?
(パディアさん)

 あなたは今まで周りを見渡して、私のような女性はどこにいるのと思ったことがありますか? 私は「黒人や褐色人種の女性や人はどこにいるの!」と,時々叫びたくなります。


 私たちのロキタンスキー症候群(MRKH)コミュニティでは、パワフルな人たちが、私たちの要求や問題について積極的に発言しています。一方で、先住民、黒人、褐色人種のロキタンスキー症候群の患者は、十分な診察や医療を受けられない場合もあります。情報格差により、自分が夢に見るような人生を送る価値がないと感じる仲間もいます。私たちの中には、ロキタンスキー症候群の女性が健康的に生きる方法があることさえ教えられなかった人もいます。私たちは、地域での臨床治療に加えて、サポートグループの「ビューティフル『カラフル』(多色の)MRKH」が、ダイレーターで膣を拡張する方法など、正しい医療アドバイスをすべきだと思います。


 ロキタンスキー症候群の会議に参加したとき、私は馴染めなくて、自分の居場所がないように感じました。もし自分に似た人がいたら、医者や家族、友人のこと、そして彼女自身の人生について、たくさん質問するつもりでした。膣ダイレーターによる膣拡張や、手術などの治療に関する情報を得られなかった黒人女性などが他にもいるに違いないと思っていました。もし私が子どもを持とうと決めたら、どんな情報があるのだろう? 私は自分の子どもを産むことができるのだろうか、もしできないなら、ほかの選択肢は? 養子縁組や体外受精は可能なのだろうか?


 有色人種たちは、多くの偏見に直面しています。どうしたらこのシナリオを変えることができるか? 私たち有色人種の女性たちは、会議、SNS、1対1の対話で、議論してきました。より多くの有色人種の人たちが、自分たちの物語を発信していく機会を持てば、シナリオを変えることができるはずです。
 

 そしてとうとう私は,自分に似た顔を見つけました。彼女の体験談を聞き、私は喜び、そして悲しみました。喜びは、私たちの文化への理解を広めようと活動している彼女と会えたことです。彼女が自分の体験を話すときに示す、強さと勇気を感じたのは本当にうれしいことでした。


 対して、悲しいことは、声をあげたり伝えたりすることができない人が今でもいることです。私たちの中には、治療を受ける機会どころか、治療法があることさえ知らない人がいます。私は、いつの日か声を上げ、自分の物語を共有するつもりです。私の希望は、私が声を上げ、伝えることで、癒しになることです。


 隠れていた場所から一歩踏み出すことで、私たちは成長し、強さを示すことができます。ロキタンスキー症候群の仲間たちに自分の物語を話すことで、私たちは自由を感じ、ロキタンスキーがもたらす恥ずかしさや罪悪感から自由になれるのです。
 

 自分のロキタンスキー症候群の経験を公表してから、私は自分の物語を語ることを恐れないことが大切だと学びました。私の物語は私の声だと学びました。そして、私の人生の旅は私の強さです。どのように共有するかは、私が自分で決めます。ロキタンスキー症候群であることは、私が立ち上がらり、声をあげる機会となりました。そして、私は自分のコミュニティとつながる方法を考え始めました。
 

 私、バディアの使命:それは私に似た人たちだけでなく、すべての人と知り合いになることです。そうすることで、ロキタンスキー症候群(MRKH)の最新情報を、誰もが入手でき、医療経験を共有することができます。私のゴールは、理解や認識を高め、黒人や褐色人種文化に対する偏見をなくすことです。まず最初に、文化的な制約で本当のことを話せない友人たちのために、私がそのギャップを埋めたいと思っています。


 最後に、私のとても大切な思いを伝えたいと思います。

 あなたの物語は、あなたの声だと知っていますか? あなたの人生の旅は、あなたの強さだと知っていますか? そして、いつ、どのように伝えるのか自分で決めることができます。ですが、もしあなたが声を上げないことを決めても、私たち黒人、褐色人種、先住民族の友人たちが、ロキタンスキー症候群(MRKH)のコミュニティへ、私たちの要求を上げていきます。

 こころの平和を。バディア・カリマ。

 

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私のロキタンスキーの旅路について簡単に
(アイシャさん)

  おうちを作ったり、お店屋さんごっこをしたり、いとこたちとお出かけしたり、友達とパーティーをしたり、私の生活は本当に普通でした。


 平均的に10歳で胸が膨らみ、陰毛が生えて、思春期を迎えました。ただ、1つだけ不思議だったのは、なぜか生理が始まらなかったことです。なぜ生理はこんなに長く、かくれんぼをしているの?
 

 母は心配しましたが、私はわりとクールでした。母は14歳で生理が始まったので、きっと私も母と同じ「遅咲き」なんだと思っていました。その後、病院での診察、血液検査、超音波検査、MRI検査を経て、MRKHの4文字(ロキタンスキー症候群)が新しく私の世界に入ってきました。
 

 私の世界はねじれ、自分が何者なのかわからなくなりました。まるで一夜にして、私は別の女性なり、私と他の女性たちを隔てる目に見えない壁が現れたのです。その壁とは、ロキタンスキー症候群(MRKH)のことだったのです。私は麻痺し、混乱し、迷い、バラバラに壊れてしまいました。イスラム教では、生理が来たとき、完成した女性になります。私はどこにいるのだろう?私はどこに属しているのだろう?私は完全な女性なのだろうか?


 私は一種のうつ病になりました。典型的なうつ病ではなく、友達と出かけて楽しそうにしていても、心の中はバラバラで、痛くてたまらなかったのです。一日に何度もトイレにこもって泣きました。家族にも、自分の苦しみを打ち明けられなかったのです。


 少しずつバラバラになった自分の心の修復の旅を始めました。そして自分自身を愛し、受け入れ、癒すまで7年かかりました。子どもを産めなくても、女性器官が欠けていても、アッラーの思し召しであり、私の個性であり、私は一個の完全な、美しい人間なのだと気づくことができました。


 今、私は自分が目指すのは、最初に思ったよりずっと深いものであることに気づき始めています。それは、他の子供たちや女性に力を与え、他の多くの人々に大きな変化をもたらすことです。アルハムドゥリィラァ(神アッラーに感謝します)。特別支援教育アシスタントとして働きながら、ロキタンスキー症候群の社会的認知向上活動家として、無言になりがちなイスラム教徒のロキタンスキー症候群の姉妹たちの声を代弁しています。
 

生まれつき腟を持たない少女に希望を
ジュリアンさん(ナイジェリア)

 Breaking Kenya newsの記事より

ジュリアンさん(ロキタンスキー症候群)

「他の女性と同じように、私は美しい家庭で子どもを産み、育てようと思っていました。ですが、神様は私に別の計画をお持ちのようでした。これが私自身だと受け入れまで、しばらく時間がかかりました」


ジュリアン・ピーター

「すべての女性は、健康的で充実した性生活を望んでいます。しかし、この疾患のために健康的な性生活を送ることができない女性は、当然ながら心理的苦痛を感じます」


ニジェリ・チェゲ医師

 

 ジュリアン・ピーターが造腟手術を受けてから4年になります。2008年の最初の手術は失敗しましたが、2回目は成功しました。

 32歳のジュリアンは、生まれつき子宮、腟、卵管がなく、腎臓はひとつだけの女性です。彼女は、ロキタンスキー症候群(MRKHもしくはメイヤー・ロキタンスキー・クスター・ハウザー症候群)と呼ばれる、女性生殖器系未発達の先天的疾患を持っています。

 ナイバシャリフェラル病院の顧問婦人科医であるニジェリ・チェゲ医師は、この疾患は腟の欠損や未発達を起こし、子宮や子宮頸部などの他の生殖器官への影響もあると説明します。

 ジュリアンはMRKH(ロキタンスキー症候群)のタイプ2型であり、タイプ2型は、肋骨の変形、先天性心疾患、泌尿器科疾患(骨盤腎、馬蹄腎)など生殖器官以外にも影響します。

 ニジェリ医師の説明によると、診察でブラインドポーチ腟が確認されることがありますが、腟が全欠損の場合は、腟のあるべき場所にくぼみが見られることがあるそうです。

 ジュリアンが自分の疾患を知ったのは17歳のときでした。通常、思春期まではこの疾患は見つかりません。

 「当時は高校3年生でした。手術しなければならないと医者に言われたのを覚えています。医師たちは、私の腟は外側から閉じているだけだと考え、腟管を開く手術を行いました。ですが、失敗したんです」と彼女は言います。「私は、もう一度検査を受けました。その結果、先天的に生殖器官がなく、腎臓もひとつしかないことが確認されました」。


ロキタンスキー症候群(MRKH)の症状

 ロキタンスキー症候群の症状のひとつは、15〜17歳までに初潮が来ないことです。

 ニジェリ医師によると、ロキタンスキーの少女たちは、乳房の発達、正常な身長、正常な体毛、腰の発達などの正常な第二次性徴があります。

 唯一の違いは、月経が来ないことです。これらの少女の78%が、ホルモンを分泌する正常な卵巣を持っているからため、女性の第二次性徴が見られます。

 周期的な腹痛を経験する女性もいます。 7-10%の女性たちの子宮内膜は機能しており、月経時に子宮内膜は剥がれ落ちるのですが、腟がないか未発達であるため、排出されずに溜まり、周期的な腹痛を起こすのです。
 
また、腟や子宮が未発達なため、妊娠できません。腟袋がないため、性交はできないか、女性にかなりの痛みを伴うことがあるとニジェリ医師は言います。「ロキタンスキー症候群のタイプ2型では、生殖器以外に泌尿器系にも障害がおこります。尿路結石の再発や尿失禁などを呈する患者さんもいます」。

 ロキタンスキーであることを知った時、ジュリアンの生活は一変しました。精神的な影響もありました。

 最初、ジュリアンは医師の診断が間違っていると思いました。

 「悪い夢から覚めればいいと願いました。そして苦しみました。他の女性たちと同じように、私にも人生の計画があったのです」とジュリアンは言います。「自分の子どもを持つという人生計画です。男の子を2人産んで、美しい家庭で育てるという計画です。でも、神様は私に別の計画をお持ちのようでした。これが私自身だと受け入れるまで、しばらく時間がかかりました」。

 ジュリアンがロキタンスキー症候群であることが分かってから、このことは家族の間で話題になることはありませんでした。ジュリアンは長い間、家族は関心がないと思っていました。しかし、家族はそれぞれが自分の症状を通して自分の旅を歩んでいることを、後から理解するようになりました。

 「私が自分の道を歩まなくてはいけないように、母も同じでした。でも、私には、私の病気を理解してくれる人が必要でした。私と同じ症状を持っている人が。そして2014年、同じ問題を持つ他の女性たちとつながったのです。そして今、平穏を感じています」とジュリアンは言います。

 腟がないこの疾患を理解するために、ニジェリ医師は、女性の陰部の腟口について説明します。「腟口は、腟唇(大陰唇と小陰唇)、クリトリス、尿道口(おしっこをするところ)、腟口(月経が排出され、性交時にペニスが挿入され、出産時に赤ちゃんが通過するところ)から構成されています」。「腟は内部にあり、管状です。腟を診察するために、検鏡と呼ばれるものを使用します。腟がないというのは、腟管がないということです。腟唇、クリトリス、尿道など、外陰部はすべて正常で、存在します。欠けているのは腟管だけです」とニジェリ医師は言います。

ロキタンスキー症候群(MRKH)の原因

 ロキタンスキー症候群の正確な原因は特定されていませんが、遺伝子変異が関係していると推察されています。

 「ロキタンスキー症候群は心理的な障害、つまり、少女たちの自尊心や自信に影響を与えます。」とニジェリ医師は説明します。「自分を責めたり、嫌いになったりすることもあります。ですから、十分なカウンセリングを行い、ART(生殖補助医療)により、通常の性生活、さらには生殖が可能であることを伝えることが重要なのです」。

 ジュリアンの場合、タンザニアのアルーシャにあるマタニティ・アフリカで2回目の手術を受けるまで、性交ができませんでした。彼女は幸運にも手術代を払わずに済みました。

 マダガスカル出身のブリーン・マイケル医師は、世界保健機関(WHO)と連携しており、あらゆることに対応してくれました。

 「彼は、ザンビアで私と同じ問題を持つ女性の手術をしたことがあります。その女性が、私たちと彼をつないでくれたのです。そしてブリーン医師に感謝しています。この手術で人生が変わりました」とジュリアンは言います。「2回目の手術もうまくいかなかったときに備えて、心の準備をしていました」。「成功するためには、覚悟しなければなりません。私は丸々1カ月間、病院にいました。4日に一度、洗浄と診察のために手術室に戻されるのです。簡単ではありません」。

 造腟手術後、性交ができるようになりました。「セックスに痛みはなく、合併症もまったくありません。腟を作ったのは、性交を可能にするためでした」。

 ジュリアンは現在交際中のボーイフレンドがいます。二人は2011年から友人関係で、彼は付き合い始める前から、彼女の疾患を知っていました。

 「あなたが別れたいと思うなら、私はあなたを縛りつけない。私は1日1日を大切に生きています。もし明日、あなたがやっぱりダメだと思ったら、私はあなたを解放してあげる」とジュリアンは言います。「私のような女性と一緒になることに抵抗がある人もいます。でも、もし彼が一緒にいたいなら、留まらせてあげればいい。なぜなら彼がそれを望むのだから」。


治療法

 ニジェリ医師によると、治療の主な目的は性機能を回復させることです。「すべての女性は、健康的で充実した性生活を望んでいます。しかし、この疾患のために健康的な性生活を送ることができない女性は、当然ながら、心理的苦痛を感じます」と医師は言います。 「しかし、一度治療(外科的、非外科的)を行えば、性生活を楽しむことができます」。

 治療は、外科的または非外科的に行うことができます。最初の選択肢は非外科的治療です。非外科的治療は特別なダイレーター(拡張器)を使用して腟を優しく拡張し、すこしずつ開きます。この手法では決められた手順を行う忍耐が必要です。もし患者さんにパートナーがいれば、そのペニスを使い(穏やかな性交を促し)、腟をすこしずつ拡張していくことができます。

 外科的な造腟は、非外科的治療がうまくいかなかった患者や、非外科的方法を行いたくない患者、決められた手順を行うことができない患者に行います。

 「患者さんには、手術後も、新しく作った腟口が閉じてしまわないように、術後はダイレーター(拡張器)を使用する必要があることを十分に説明することが重要です」と、ニジェリ医師は言います。「治療には、泌尿器科医、精神科医、内分泌学者、形成外科医などを含むチームが必要になることもあります」と付け加えます。

 また、腟と子宮が未発達または欠損しているため、残念ながら自然妊娠は不可能です。しかし、ほとんどの患者は卵巣が正常に機能しているため、採卵や妊娠キャリア(代理母)を伴う生殖補助医療技術(ART)を受けることが可能です。

 ニジェリ医師は、このような女性のために、子宮移植の可能性について研究が進められていると述べています。

 また、養子縁組の選択肢もあり、ジュリアンは養子縁組を考えています。姉は結婚して2人の男の子を持つというジュリアンが夢に見た生活を送っていますが、ジュリアンは姉の幸せを喜び、彼女自身も美しい人生を送ることをあきらめません。

「人生より大切な病気や疾患などはありません。私自身が主役であり、疾患が私自身ではありません。あなたも主役であり、自分の人生に起こることをコントロールすることができます。あなたが自分自身をどう扱うかで、人々のあなたへの対応が変わります」とジュリアンは言います。

学んだこと

 「人生には、自分が望まないことも起こることがあります。そのとき、自分自身と他の人のために強くなることを学ぶのです。誰もあなたの人生を生きてはくれないのです」とジュリアンは言います。

 彼女の友人は多くないですが、彼らはジュリアンに先入観を持って接しません。しかし外には耐えられない世界があります。中には、何度も中絶を行った結果、子供を産めなくなったと信じている人もいるのです。

 「アフリカでは子供を産まないことは犯罪なのです。子どもを産めないことで、誰もがあなたを裁きます」。 「初めて公表した時は陰口を叩かれましたが、そんな陰口は無視しました。人を判断してはいけない。閉ざされたドアの向こうで、他の人がどんな人生を送り、どうやって困難を乗り越えようとしているなんて、わからないのだから」


 ジュリアンのご両親への助言は、子供が歩む人生をサポートしてあげてくださいとのことです。政府へは、ロキタンスキー症候群の治療を国民健康保険で支払えるようにすべきだと要求します。

 ジュリアンは、「今、社会は助け合うことを学ぶ時期であり、それは義務ではなく、善意によるべきです」と言います。「子どもは神からの贈り物であることも理解しましょう。女性が子どもを産み、男性が父親となることは、すべての人に当たり前に与えられたものではないのです。不妊で悩んでいる男性がたくさんいるのに、私たちはその人たちをサポートできていないのです」。「家族は、本来なら彼らを助けるはずですが、残念ながら心を傷つけることがあります。今こそ私たちは、彼らの人生の旅路を楽にしてあげることを学ぶ時です。子どもが持てず泣いている女性や男性がいるのに、私たちは勝手なことを言っていいでしょうか?」

 ジュリアンは、子どもの有無や独身、既婚に関わらず、すべての人が良い人生を送る価値のある人間なのだから、他の人が何を必要としているのか、思いやりを持ってほしい、と言います。

 「子どもがいなければ、人生に価値がないと考えるのは間違っています。子どもをもつことだけが人間の価値じゃないのです。私には自分の生活もあります。でも、中には無礼で無神経な言葉があるのです」。 

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女性のセクシュアルヘルス(性に関する健康)について偏見のない対話が可能な社会をめざして。子宮をもたず生まれたマレーシア人アーティスト,ワニ・アルディさん。

NEWS18の記事より

 

 マレーシアのアーティスト、ワニ・アルディはロキタンスキー症候群(MRKH:メイヤー・ロキタンスキー・クスター・ハウザー症候群)であり、生まれつき子宮がありません。マレーシアでは、セクシュアルヘルス(性の健康)に関して文化的なタブーがあり、多くの当事者女性たちは、ロキタンスキー症候群は恥ずかしいことだと考え、サポートや治療を受けようとしません。

 作家でパフォーマーのマレーシア人、ワニ・アーディは、17歳まで初潮が始まらず、何人もの医者に相談しました。すべての医者が彼女に同じことを言いました。「子宮がありません」。

 その診察に医師たちが困惑し、ワニは同級生とうまく付き合えなくなったことを、20年後の今も思い出します。


 「10代の頃、私はとても孤独でした。なぜなら、その時、私は他人と違うのだと知ったからです」。

 ワニが彼女の疾患名がロキタンスキー症候群(MRKH:メイヤー・ロキタンスキー・クスター・ハウザー症候群)だと知ったのは20代になってからでした。 ロキタンスキー症候群とは、生まれつき子宮や腟などの内性器がないか、未発達であることを意味します。

 ロキタンスキー症候群は5,000人に1人の女性が発症し、その原因は不明です。

 イスラム教徒のワニによると、マレーシアでは、セクシュアルヘルス(性の健康)に関して文化的なタブーがあり、多くの当事者女性たちは、ロキタンスキー症候群は恥ずかしいことだと考え、サポートや治療を受けようとしません。

 ワニ自身も、歌手、詩人、作家、脚本家としてのキャリアを積んできている何年ものあいだ、自分がロキタンスキー症候群であることを秘密にしてきました。


 しかし、米国を拠点とするロキタンスキー女性のためのオンラインサポートグループに参加した後、ワニは地元の人と交流したいと思うようになりました。

 「世界中にいるロキタンスキーの女性たちと交流したとき以上に、私の国で私と似た環境や文化で育ったロキタンスキーの女性たちと会えれば、もっと心が通い合えるはずだと思います」と彼女は言いました。

 国際女性デーが近づく中、ワニは、女性と社会が母性を再構築する手助けができればと言います。

 2014年、ワニは自身がロキタンスキー症候群であることを公表し、その直後にマレーシアの支援団体を設立しました。その団体は近隣のインドネシア人やシンガポール人を含む200人以上の会員を抱えるまでに成長しました。

 また、1月に放映されたロキタンスキー症候群の女性を主人公にしたテレビシリーズ「Rahimah Tanpa Rahim」(子宮のないラヒマ)に出演し、コンサルタントも務めています。

 医師たちは、ワニの提唱によってロキタンスキー症候群やその他の性関連疾患への認識が高まったと評価しています。

 婦人科医のハリザ・ハティム医師はワニの活動について、こう言いました。「彼女のおかげで、多くの女の子が勇気を出して相談し、診察に来るようになりました」。


 

ロキタンスキーという絆
(アルゼンチンに住む女性)

 私はアルゼンチンの北、サルタという街に住んでいます。38歳。ロキタンスキー症候群を持っています。

 

 17歳の時です。私は初潮が来るのを待っていました。。。でも、それは来ませんでした。両親は最初からいませんでした。だから、婦人科医にはひとりで行きました。そのうち生理が来るのだろう、私はそう思っていました。ですが、驚いたことにそれは間違いだったんです。最初にあるお医者さんに会った時、そのお医者さんは別の同僚のお医者さんを呼び出し、またそのお医者さんも、更にヘルプが必要だと、また別の同僚のお医者さんを呼び出しました。これはもう十分に心落ち着かない状況で、ただただ新しいお医者さんが加わっていくだけだったのです。私の体には、なにか悪いところがある、私は気づき始めていました。

 エコー検査を受けました。その後私は呼び出され、先天的な変異がある、膣と子宮がないと告げられました。この知らせは、私を粉々にしました。遠い、別の病院に行って腹腔鏡の検査を受けねばならないと言われました。そして、私には生物学的なつながりのある子どもは持てないだろうとも。それはとてもつらい話で、私は何を考えたらいいのか、自分が感じている感情をどうしたらいいのか、全く分からなくなりました。私は、難しい診断名を前に、ただ怯え孤独を感じる、ただの10代の女の子でした。

 もちろん、私が怯えたのは、診断名のことだけではありません。


 両親からの支えもなく、治療代もなく、自分の感情も自分だけで処理していかねばなりませんでした。

 私は自分に起きていることを隠す術を覚え、誰にもそのことは言いませんでした。仲のいい友達にも。拒否されるのが怖かったんです。それで、女性の友達と一緒にいるのがつらくなって来ました。私は孤立しはじめ、女性の友達を持ちたいとは思わなくなりました。ふたりの男性の友達と過ごすだけでした。でも、そのふたりにも自分の状況については一言も話しませんでした。

 外科手術以外の治療選択肢はないか、お医者さんを渡り歩きました。けれども、どのお医者さんも、私の状態について知っている人はいませんでした。患者の私が、お医者さんに自分の体の状態を説明しなきゃいけなかったんです。私が知っているのは、それが遺伝子からの先天的な変異であるということだけ。それを専門家にわざわざ説明しなくちゃいけないのは、私には不公平に感じ、イライラすることもありました。それはとても嫌なことで、ロキタンスキー症候群に関係のない時でも、お医者さんに会うのはためらいを感じました。足を痛めた時も、ただ病院に行くというだけで、私は恐れでいっぱいになりました。

 私の国ではお医者さんはお金儲けに精一杯で、ひとりの患者のこころや生活にはあまり興味を持たれません。彼らには倫理がなく、保険制度は無慈悲なものにもなりえます。別に全てのお医者さんがそうだと言おうとは思っていません。ですが、これが私の国での、医療医学の世界での体験だったのです。

  年月が過ぎていきました。私は肉体的にだけでなく、社会文化的なレベルでも、心損なわれていきました。アルゼンチンは、まず大きな家族を持つことに重きが置かれる社会なんです。この国では、ひと家族に子どもが4、5人いるのが当たり前で、女性の役割は母・妻になることなんですから。私は自分の国に馴染めなさを感じ、今でもほとんど日常的に悲しい質問をされています。子どもはいるの?いつなの?と。私のような年齢の女性に子どもがいないのは、普通じゃないことに見えて、私に子どもがいないことに、ほとんどの人は驚き、理解しようとはしてくれないのです。絶対に養子縁組はしない、絶対母親にはならないと私は決心していました。自分には子どもを持つ能力がないということは、自分が母親になりたいのか、なりたくないのかなんて選べないということと同じくらいに、私の心を痛めました。私は選ぶこともできず、ただ心痛めるだけでした。

 でも、長年一番私に影響を与えていたのは、私の体の中の悪いところを正確に知ることでもなく、そういう状態がどんな名前で呼ばれるのかということでもなく、そのことをどう扱っていくのかということでもありませんでした。私はお医者さんへの恐れによって、病院から遠ざかっていました。ですので、30歳になった時、私はインターネットで調べ始めたのです。

 自分の体の状態について読んだことを全部、私は自分のものにしだしました。私は「MRKH」を持っている、それはメイヤー・ロキタンスキー・クスター・ハウザー症候群を略した名前だということ、ダイレーションのこと、手術を望まない場合の治療選択肢。なぜ私の股関節と背中が長年痛みを持っていたのかも分かりました。その痛みは、私の卵巣が明らかに普通に排卵している、その痛みだったのです。私は自分が何があっても全くの女性なんだと分かって感謝しました。長年感じていたような奇人変人ではなかったのです。私には子宮がない、そのことを証明するために、私は断層撮影法を受けることにしました。

 しばらくダイレーションをして、それが効果的だとも分かりました。私が普通の人生を送るのに役に立ってくれています。

 ロキタンスキー症候群は身体的にだけでなく、心理的にもたいへん複雑なものです。私は芸術を心理療法として使いました。このおかげで、私は私自身を表現し、孤立から脱し、創造的な女性になり、自分を美しく感じられるようになりました。母親になれないことで絶望の淵に陥らないようにも。今では分かります。女性は強いのだ、内面的にも外面的にも美しく、自分自身の子どもを持てなくても、女性として価値がないなんてことではないんだと。

 33歳、私はまた再び、ロキタンスキー症候群を乗り越えねばならないことになりました。私のかわいい姪がロキタンスキー症候群と診断されたのです。私は大きな衝撃を受け、深く心を揺るがしました。ずっと私は姪とは親しい関係で、彼女が生まれてからずっと特別な関係を結んでいました。私の妹が亡くなった時、姪は私の娘であるように感じました。
(訳者注:ロキタンスキー症候群は遺伝性のものではありません)

 今回姪の体の状態が判明した時には、幸いにも私が既にロキタンスキー症候群のことを十分に知っている状況でした。幸運だと言ったのは、もしそうじゃなかったら、すぐにブエノスアイレスまで飛んで、自動的に手術を受けなきゃいけないことになってしまうからです。

 私たちふたりは、治療選択肢について話しあい、ダイレーションにすることにしました。(お医者さんは、そういう方法があることさえご存知ありませんでした)。これは彼女にとっても効果的な治療法になりつつあります。私と姪は以前の関係からは卒業し、新しい関係を結ぶようになりました。ロキタンスキーという絆を。18歳の歳の差にも関わらず、私たちふたりはなんでも話す間柄です。

 今では分かります。自分自身を知ることは重要なことなのだと。あなたがどんな状況にあっても、あなた自身を受け止めることが重要なのだと。自分を孤立させようとしてはいけないことが重要なんだと。こういう身体が、あなたを他の人より劣った存在にすることはありません。私の物語が将来の世代の人々に役立てればと願います。

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ロキタンスキー症候群(MRKH)とは?

ロキタンスキー症候群(MRKH)とは、女性のDSDs:体の性の様々な発達のひとつです。ロキタンスキー症候群は、主に思春期の無月経から、膣や子宮、卵管の一部もしくは全てが無い状態であることが判明します。女性にとっては、とても心痛められることが多く、特にまだ医療体制やサポートグループの整備されていない国では、同じような体の状態を持つ女性との出会いもないまま、孤独の中を過ごさせねばなりません。

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フィンランドのロキタンスキー症候群の女性たちのメッセージ

ロキタンスキー症候群(MRKH)のある女性の物語
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