御覧の皆様へ
ロキタンスキー症候群(MRKH)とは、女性のDSDのひとつです。ロキタンスキー症候群は、主に思春期の無月経から、膣や子宮、卵管の一部もしくは全てが無い状態であることが判明します。女性にとっては、とても心痛められることが多く、またこれまで、同じような体の状態を持つ女性との出会いもないまま、孤独の中を過ごさせねばなりませんでした。
現在,欧米ではロキタンスキー症候群のある女性への医療体制や,当事者女性たちのサポートグループも整備されるようになりましたが,それでもその苦しみや悩みがすべて解決されるわけではありません。
ロキタンスキー症候群をはじめとするDSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患)は、「女性にもいろいろな体がある、男性にもいろいろな体がある」ということです。
私たちは「性のグラデーション」でも「男女の境界の無さ」でもありません。むしろそのようなご意見は、私たちの女性・男性としての尊厳を深く傷つけるものです。
どうか、お間違いのないようにお願い致します。
詳しくは「DSDsとは何ですか?」のページをご覧ください。
ロキタンスキーにはよくある孤独と孤立への心の準備はなかったんです。
私の長年の間での最大の苦しみは、自分がロキタンスキー症候群と呼ばれる先天性欠損を持っているという事実をどのように受け入れていくか、それを学ぶことでした。
ロキタンスキー症候群だと分かったのは17歳の時。その事実は私の心を徹底的に打ち砕きました。私の子宮は適切に発達しておらず、膣も一部分しか発達していないということを、あんな年頃に知ったのですから。この診断は私の心に傷を与えました。つまり、このことは、私には子どもは持てないだろうということを意味していましたから。
診断から1ヶ月以内に、ネオヴァギナと呼ばれるものを作るため、私は、植皮片を必要とする大きな手術を受けました。これで私は治った、そう言う人もいました。少し考えてみてください。17歳の1ヶ月の間で、診断を受け、手術を受け、「治った」っていうことを。
数カ月後、私はセックスができる体にはなっていました。でも、私は、ロキタンスキーを持って生きていくという心の準備はできませんでした。ロキタンスキーにはよくある孤独と孤立への心の準備はなかったんです。「タンポン持ってる?」とか「また生理が来たー」なんていう、普段の普通の会話をどうやっていくかっていう心の準備も。
他の女性とは深い友達関係を持つことはあまりありませんでした。私のいい友だちの大半は男性でした。そっちの方がずっと楽だったんです。その方が何も説明する必要もないので、私が私でいられたんです。


カウンセラーさんは、ロキタンスキーのことを、ひとつの死として 、生まれてこない私の赤ちゃんを喪の体験として体験することを許してくれました。
大学生時代、私は自分を定義するのに苦しみました。私は女性なの? 私はインターセックスというものなの? 私は異性愛なの? 私はレズビアンなの? 体の状態は私のセクシャリティに影響するの? 外では色々な人が色々なことを言ってました。
魂がさまよい続けた後、私は知りました。違う。やはり私は私だ。私は女性なんだ。私はX染色体をふたつ持っている。私は確かに女性に生まれ育ってるんだと。
大学院生時代は、友達が結婚して赤ちゃんが授かるのを眺めていました。友達が妊娠した時は私の一部は一緒に喜んでいました。でも、私の一部は深く心を痛めていました。私の喪失を。妊娠できないことを。
私はカウンセリングに通い、カウンセラーさんは、ロキタンスキーのことを、ひとつの死として、生まれてこない私の赤ちゃんを喪の体験として体験することを許してくれました。それからの10年間、私はたくさんの夢を見ました。妊娠する夢、赤ちゃんにご飯をあげるのを忘れる夢、子宮外妊娠する夢、そして自分の赤ちゃんを抱きしめる夢。こんな夢が来た時にはできるだけ眠り続けようとしました。それだけが、自分の赤ちゃんを慈しみ、他の女性と同じようになれる唯一の機会だったんですから。
結婚してからは、隣近所の人がどれだけうるさいか驚かされました。「お子さんはまだなの?」「きっともうすぐよ」「お子さんは何人?」。こういう質問はくり返されました。そしてその度に、私はちょっとだけ肩身の狭い思いをしていました。
どうやってそういう質問を止めるかも身につけました。誰かがそういうことを訊いてきたら、その人の目を見てはっきりこう言うのです。「複雑なんです」。そうすると勇気が湧いてきて、相手が不愉快に思っても気にならないようになりました。だってそういう人は、私に会ったっていうだけで、とても個人的なことを訊いてくるような人たちなんですから。
これからはもっとすばらしい日々が訪れると思っています。
2009年、私はロキタンスキー症候群を持つ女性のためのアートセラピーのワークショップに参加しました。それは私の人生を変えました。最初はひとりの大人として、ロキタンスキーを持つ他の女性と会っていたのですが、そこでは振りをする必要はありませんでした。不意に誰かが私の心を傷つけるようなことを言ったり、他の人に不愉快な思いをさせることをしなければならない心配をする必要もありませんでした。その経験は、たったひとつの、大きな、いちばん私のためになることでした。
2年前、私は医学生の前でロキタンスキー症候群について公に「カミングアウト」しました。アナーバーまで旅をして、臨床医のグループに会いました。そのうちの何人かは私の個人的な友達でした。私は自分の経験を完全に全て話をしました。それは解放的な体験でした。自由を感じたのです。
それからは私は、ロキタンスキー症候群を持つ女性のためのグループを4つ作って、参加しました。それにFacebookのサポートグループの運営を協力し、ロキタンスキー症候群について公に話すことも始めています。それに「Beautiful You MRKH Foundation」の設立にも協力しました。世界中のすばらしい女性たちと出会ってきました(実際にお会いもしました)。
私の人生は2年前よりもずっと大きなものになりました。そして私自身をオープンにすること、人々を招き入れることに、大きな深い充実感を感じています。もう止まりません。これからはもっとすばらしい日々が訪れると思っています。
ここ10年で、ロキタンスキーを持つことの肯定的な面を感じることができたと心から言えます。別の人生だったらそうじゃなかっただろう、ずっと素敵な人間になれたと思います。

ロキタンスキー症候群とは?
ロキタンスキー症候群(MRKH)とは、女性のDSDs:体の性の様々な発達のひとつです。ロキタンスキー症候群は、主に思春期の無月経から、膣や子宮、卵管の一部もしくは全てが無い状態であることが判明します。女性にとっては、とても心痛められることが多く、またこれまで、同じような体の状態を持つ女性との出会いもないまま、孤独の中を過ごさせねばなりませんでした。
アメリカのロキタンスキー症候群を持つ女性と女の子のサポートグループ、The Beautiful Youは、ロキタンスキー症候群についての情報発信とピアサポートをされています。

ロキタンスキー症候群を持つ3人の女性が「自分自身の言葉で」自分の人生を語るビデオです。