何かが足りない気がしていた ー シーザーさんの物語(クラインフェルター症候群)
- nexdsdJAPAN
- 2 日前
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僕が初めて「クラインフェルター症候群の診断を世界に共有する」という体験を語ったのは、2023年1月のことだった。今、28歳になった僕はカリフォルニア州ホリスターに住み、XXYという自分の特性を受け止めながら、日々を生きている。
建設業界で電気技師として働く僕は、目標に向かって努力し、自分に誇りを持っている。ここまでの道のりは簡単じゃなかったけど、だからこそ今の僕がある。XXYであることは、僕の強さの一部なんだ。
子ども時代:「何かが足りない気がした」

僕の幼少期は、ごく普通だった。友達もいたし、小学校の成績も悪くなかった。週末は家族のパーティーレンタルの仕事を手伝っていた。でも、中学校に入った頃から少しずつ違和感を感じ始めた。
周りの同級生が身体的に成長し始める中で、僕だけが取り残されているように感じた。背は伸びたけど、体格は変わらなかった。特に思春期の子たちは見た目に敏感だから、自信を失っていった。周りの男子が変わっていくのを見て、自分はそうならなかった。それがずっと心に残ってる。
僕は医者に相談した。若いけれど優しい先生だった。でも、クラインフェルター症候群の初期サインを見逃してしまったんだ。他の人ならもっと早く診断されるところだった。何度も検査を受けたけど、誰にも僕の違和感の理由はわからなかった。取り残されて、身動きが取れない気がしてた。
高校に入る頃には、成績も落ちて、感情面の問題も増していた。サッカー部に入って仲間を求めたけど、体力差がさらに浮き彫りになった。人一倍練習しても、筋肉は増えないし、持久力も足りなかった。マスゲイナーやプロテインも試したけど、効果なし。弟や友達の方が先にひげが生え始めて、周囲から「弟の方が年上みたい」と言われることもあった。
人間関係の中で

僕は社交的な方で、友達は作りやすい。でも、恋愛となると話は別だった。初めて付き合ったのは20歳のとき。でも、すごく不安で、関係に迷いがあった。時には「本当にこの関係がほしいのか?」とすら思ってしまって、結局別れることもあった。恋愛に関しては、脳の中の何かが足りないような感じがしてた。
診断との出会い:運命のいたずら

21歳のとき、僕は空軍に志願した。すべてのテストに合格したんだけど、身体検査で医師が精巣のサイズが小さいことに気づいた。そこで一時的に不合格となり、泌尿器科の紹介を受けた。
血液検査では、FSHとLHの値が通常の4倍。次に下垂体のMRIを撮ったけど、異常はなし。最後にテストステロン値を調べたら、80歳の男性並みに低かった。そして、染色体検査の結果、ついに答えが出た。「君には47本の染色体がある」——クラインフェルター症候群(XXY)の診断だった。
テストステロンが規制物質であるため、軍への入隊は不可能になった。最初はショックだったけど、今思えば、これは僕の人生を変える大きな転機だった。あの出来事がすべてを変えた。物の見方も、生き方も。
XXYとともに生きる本当の自分

僕は診断を家族や友人に伝えるようにした。それは、自分らしく生きるために必要だった。言わないと、自分が自分じゃない気がするんだ。多くの人は驚く。なぜなら、クラインフェルター症候群は見た目では分かりにくいことが多いから。でも、僕にとっては人生の大きな一部だから、隠す理由なんてない。
テストステロン開始:「やっと理想の自分に出会えた」

最初はジェルタイプのテストステロン療法を始めたけど、高価で手間がかかるし、効果もいまひとつだった。そこで注射に切り替えたんだ。最初は筋肉痛があって大変だったけど、その効果はすごかった。エネルギーが増して、集中力も戻り、筋肉もつき始めた。もしテストステロンを使っていなかったら、このインタビューにも応じられなかったと思う。
今では、僕は規則正しい生活をしている。ボディビルに取り組み、クリーンな食事を心がけ、呼吸法や冷水シャワーまで実践している。身体と心の両方を大切にしてるんだ。
今も続く挑戦
今でも一番話しづらいのは「思春期」の話。他の男性が経験したことと、自分の経験があまりに違っていて、孤独を感じることがある。もし16歳でテストステロンを始めていれば、今頃もっと発達していたはずだ。
あと、子どもの話題もつらい。最初から子どもを持つつもりはなかったけど、「持てる」と思っていたのに「おそらく無理」と知ったときのショックは大きかった。子どもの話題って、すごく頻繁に出るんだよね。そして“できないかも”って言うと、みんな哀れむような目で見るんだ。
適切な医療に出会うまでも時間がかかった。何人もの医者を経て、ようやく僕を「テストステロンを使う患者」としてではなく、一人の人間として向き合ってくれる先生に出会えた。今の先生は、感情面も身体面もちゃんと気にかけてくれる。話していて安心できるんだ。
僕が伝えたいこと

診断を受けたときは圧倒されるけど、それが人生を良い方向に変えることもある——僕はそのことを正直に伝えたい。今の時代は治療法がある。試行錯誤は必要かもしれないけど、前向きでいれば人生は良くなる。
XXYと診断された子どもを持つ親御さんには、こう伝えたい。「その子は“普通の子”だよ。ただ染色体が1本多いだけ。それは違いであり、特別さでもある。」
疑問があるなら、検査を求めてほしい。そして、ちゃんと時間をかけて寄り添ってくれる医師を探してほしい。
XXYであることに誇りを持って
僕は自分に誇りを持っている——余分なX染色体も含めて。この余分なXは、まるで“X-MEN”のようなものなんだ。僕は可能性の象徴になりたい。染色体の違いを持つ人が、どんなことを達成できるかを世界に示したい。
もちろん、少し努力が必要かもしれない。でも、可能性は確かにある。僕は、染色体の違いを持っていても、どこまでも行けることを証明したい。努力すれば、きっとできる。
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