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何かが足りない気がしていた ー シーザーさんの物語(クラインフェルター症候群)

  • 執筆者の写真: nexdsdJAPAN
    nexdsdJAPAN
  • 2 日前
  • 読了時間: 5分




 僕が初めて「クラインフェルター症候群の診断を世界に共有する」という体験を語ったのは、2023年1月のことだった。今、28歳になった僕はカリフォルニア州ホリスターに住み、XXYという自分の特性を受け止めながら、日々を生きている。


 建設業界で電気技師として働く僕は、目標に向かって努力し、自分に誇りを持っている。ここまでの道のりは簡単じゃなかったけど、だからこそ今の僕がある。XXYであることは、僕の強さの一部なんだ。




子ども時代:「何かが足りない気がした」




 僕の幼少期は、ごく普通だった。友達もいたし、小学校の成績も悪くなかった。週末は家族のパーティーレンタルの仕事を手伝っていた。でも、中学校に入った頃から少しずつ違和感を感じ始めた。


 周りの同級生が身体的に成長し始める中で、僕だけが取り残されているように感じた。背は伸びたけど、体格は変わらなかった。特に思春期の子たちは見た目に敏感だから、自信を失っていった。周りの男子が変わっていくのを見て、自分はそうならなかった。それがずっと心に残ってる。


 僕は医者に相談した。若いけれど優しい先生だった。でも、クラインフェルター症候群の初期サインを見逃してしまったんだ。他の人ならもっと早く診断されるところだった。何度も検査を受けたけど、誰にも僕の違和感の理由はわからなかった。取り残されて、身動きが取れない気がしてた。


 高校に入る頃には、成績も落ちて、感情面の問題も増していた。サッカー部に入って仲間を求めたけど、体力差がさらに浮き彫りになった。人一倍練習しても、筋肉は増えないし、持久力も足りなかった。マスゲイナーやプロテインも試したけど、効果なし。弟や友達の方が先にひげが生え始めて、周囲から「弟の方が年上みたい」と言われることもあった。




人間関係の中で



 僕は社交的な方で、友達は作りやすい。でも、恋愛となると話は別だった。初めて付き合ったのは20歳のとき。でも、すごく不安で、関係に迷いがあった。時には「本当にこの関係がほしいのか?」とすら思ってしまって、結局別れることもあった。恋愛に関しては、脳の中の何かが足りないような感じがしてた。




診断との出会い:運命のいたずら



 21歳のとき、僕は空軍に志願した。すべてのテストに合格したんだけど、身体検査で医師が精巣のサイズが小さいことに気づいた。そこで一時的に不合格となり、泌尿器科の紹介を受けた。


 血液検査では、FSHとLHの値が通常の4倍。次に下垂体のMRIを撮ったけど、異常はなし。最後にテストステロン値を調べたら、80歳の男性並みに低かった。そして、染色体検査の結果、ついに答えが出た。「君には47本の染色体がある」——クラインフェルター症候群(XXY)の診断だった。


 テストステロンが規制物質であるため、軍への入隊は不可能になった。最初はショックだったけど、今思えば、これは僕の人生を変える大きな転機だった。あの出来事がすべてを変えた。物の見方も、生き方も。



XXYとともに生きる本当の自分



 僕は診断を家族や友人に伝えるようにした。それは、自分らしく生きるために必要だった。言わないと、自分が自分じゃない気がするんだ。多くの人は驚く。なぜなら、クラインフェルター症候群は見た目では分かりにくいことが多いから。でも、僕にとっては人生の大きな一部だから、隠す理由なんてない。



テストステロン開始:「やっと理想の自分に出会えた」



 最初はジェルタイプのテストステロン療法を始めたけど、高価で手間がかかるし、効果もいまひとつだった。そこで注射に切り替えたんだ。最初は筋肉痛があって大変だったけど、その効果はすごかった。エネルギーが増して、集中力も戻り、筋肉もつき始めた。もしテストステロンを使っていなかったら、このインタビューにも応じられなかったと思う。


 今では、僕は規則正しい生活をしている。ボディビルに取り組み、クリーンな食事を心がけ、呼吸法や冷水シャワーまで実践している。身体と心の両方を大切にしてるんだ。



今も続く挑戦


 今でも一番話しづらいのは「思春期」の話。他の男性が経験したことと、自分の経験があまりに違っていて、孤独を感じることがある。もし16歳でテストステロンを始めていれば、今頃もっと発達していたはずだ。


 あと、子どもの話題もつらい。最初から子どもを持つつもりはなかったけど、「持てる」と思っていたのに「おそらく無理」と知ったときのショックは大きかった。子どもの話題って、すごく頻繁に出るんだよね。そして“できないかも”って言うと、みんな哀れむような目で見るんだ。


 適切な医療に出会うまでも時間がかかった。何人もの医者を経て、ようやく僕を「テストステロンを使う患者」としてではなく、一人の人間として向き合ってくれる先生に出会えた。今の先生は、感情面も身体面もちゃんと気にかけてくれる。話していて安心できるんだ。



僕が伝えたいこと



 診断を受けたときは圧倒されるけど、それが人生を良い方向に変えることもある——僕はそのことを正直に伝えたい。今の時代は治療法がある。試行錯誤は必要かもしれないけど、前向きでいれば人生は良くなる。


 XXYと診断された子どもを持つ親御さんには、こう伝えたい。「その子は“普通の子”だよ。ただ染色体が1本多いだけ。それは違いであり、特別さでもある。」


 疑問があるなら、検査を求めてほしい。そして、ちゃんと時間をかけて寄り添ってくれる医師を探してほしい。




XXYであることに誇りを持って


 僕は自分に誇りを持っている——余分なX染色体も含めて。この余分なXは、まるで“X-MEN”のようなものなんだ。僕は可能性の象徴になりたい。染色体の違いを持つ人が、どんなことを達成できるかを世界に示したい。


 もちろん、少し努力が必要かもしれない。でも、可能性は確かにある。僕は、染色体の違いを持っていても、どこまでも行けることを証明したい。努力すれば、きっとできる。



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海外国家機関DSDs調査報告書

ベルギー国家機関性分化疾患/インターセックス調査報告書
オランダ社会文化計画局「インターセックスの状態・性分化疾患と共に生きる」表紙

 近年、教育現場や地方・国レベルで、LGBTQ等性的マイノリティの人々についての啓発が行われるようになっています。その中で,DSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患)が取り上げられるようになっていますが、昔の「男でも女でもない」という偏見誤解DSDについての知識が不十分なまま進められている現状があります。

 そんな中,人権施策や性教育先進国のオランダとベルギーの国家機関が,DSDsを持つ人々とご家族の皆さんの実態調査を行い報告書を出版しました。

 どちらもDSDsを持つ人々への綿密なインタビューや、世界中の患者団体、多くの調査研究からの情報などを総合し、誤解や偏見・無理解の多いDSDsについて、極めて客観的で当事者中心となった報告書になっています。世界でもこのような調査を行った国はこの2カ国だけで,どちらの報告とも,DSDsを持つ人々に対する「男でも女でもない」というイメージこそが偏見であることを指摘しています。

 ネクスDSDジャパンでは,この両報告書の日本語翻訳を行いました。

DSDs総合論考

 大変残念ながら,大学の先生方でもDSDsに対する「男でも女でもない」「グラデーション」などの誤解や偏見が大きい状況です。

 

 ですが,とてもありがたいことに,ジェンダー法学会の先生方にお声がけをいただき,『ジェンダー法研究7号』にDSDsについての論考を寄稿させていただきました(ヨヘイル著「DSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患/インターセックス) 排除と見世物小屋の分裂」)。

 今回,信山社様と編集委員の先生方のご許可をいただき,この拙論をブログにアップさせていただきました。

 DSDsの医学的知見は大きく進展し,当事者の人々の実態も明らかになってきています。ぜひ大学の先生方も,DSDsと当事者の人々に対する知見のアップデートをお願いいたします。

 

 (当事者・家族の皆さんにはつらい記述があります)。

ジェンダー法研究:性分化疾患/インターセックス総合論考
ジェンダー法研究:性分化疾患/インターセックス総合論考
性分化疾患YouTubeサイト(インターセックス)
ネクスDSDジャパン:日本性分化疾患患者家族会連絡会
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