28歳で人生を再定義したベン― 海上オペレーターから世界を旅する探検者へ :クラインフェルター症候群のあるベンさんの物語
- nexdsdJAPAN
- 5 日前
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御覧の皆様へ
私たちは「性のグラデーション」でも「男女の境界の無さ」でもありません。むしろそのようなご意見は、私たちの女性・男性としての尊厳を深く傷つけるものです。
クラインフェルター症候群(XXY男性)をはじめとするDSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患)は、「女性にもいろいろな体がある、男性にもいろいろな体がある」ということです。
DSDs全般やクラインフェルター症候群に対する「男でも女でもない」などの偏見は,新型出生前検査(NIPT)での中絶選択のリスクにも繋がります。
どうか、お間違いのないようにお願い致します。
詳しくは「DSDsとは何ですか?」のページをご覧ください。
ベン・アダムズは、北海のFPSO(浮体式生産貯蔵積出設備)船で、コントロールルーム・オペレーターとして働いています。現場は非常にタフで、一歩間違えば操業停止や重大事故につながる環境の中で、圧力や流量、安全プロトコルなどをリアルタイムで監視しています。
彼がこの仕事で特に気に入っているのは、数週間の海上勤務の後にまとまった休暇が取れること。その時間は、心身をリセットし、愛する人たちとつながるための貴重な時間です。休暇中のベンは、妻と旅行に出かけたり、自然の中でハイキングを楽しんだりするアクティブな姿がよく見られます。
静かな始まり ― 幼少期の聴覚障害
ベンの幼少期は、静けさと混乱に包まれていました。幼児期、彼は音や声にあまり反応せず、両親は心配して医師の診察を受けました。検査の結果、耳の奥に液体がたまり、一時的な難聴を引き起こしていると判明。解決策は、「鼓膜チューブ(グロメット)」の挿入でした。
手術後、音は少しずつ聞こえるようになりましたが、世界はまだどこかぼんやりしているように感じられたといいます。言葉の習得は遅れ、集団の中での会話や授業の理解についていけず、悔しさを感じる日々が続きました。
けれども、その「静けさ」は、ベンにある力を与えました。耳だけでなく、表情、声のトーン、雰囲気から人を理解する観察力と共感力を育てたのです。今ではその力が、思いやり深い友人であり、信頼できる聞き手としての彼の特長になっています。
手で学ぶことの中に見つけた強さ

幼少期は苦戦が多かったベンですが、実践的な学びに出会ってから人生が変わります。座学や試験では成績が振るわなかったものの、工具や木材、設計図を前にすると、彼の目は輝きました。
木工、製図、数学では特に才能を発揮。教師たちは、彼のシステムの構造や仕組みを直感的に理解する力を高く評価しました。16歳で高校を卒業後、技術系の専門学校へ進学。5年間、機械工学とプロセスエンジニアリングに没頭しました。そこでは、「集中できない子」ではなく、「誰も解けない問題を解決する男」として認められる存在でした。
28歳での転機 ― 健康と診断がもたらしたもの
28歳のある日、セルフチェック中にしこりを発見し、不安に駆られました。「ガン」「抗がん剤」といった言葉が頭をよぎるなか、病院通いや検査、手術の日々が続きました。
結果、腫瘍は良性でしたが、術後の検査で「テストステロン値の異常」が判明。さらに追検査で、クラインフェルター症候群(XXY)と診断されました。
それまで、ベンはこの病名を聞いたこともありませんでした。男性に最も多い性染色体異常であること、診断が成人期まで遅れることが多いことを初めて知りました。
診断を受け止める ― 恐れ、不安、そして安堵

このニュースは衝撃でしたが、どこか安堵もあったといいます。これまで感じてきた疑問――思春期の遅れ、気分の浮き沈み、慢性的な疲労や自信のなさに、ようやく説明がついたからです。
彼と両親は、論文を読み、医師に相談し、サポートグループに参加しました。ただ、がんの恐怖を乗り越えた直後だったこともあり、すべてがそれほど大きな衝撃には感じられなかったそうです。この診断は「不幸」ではなく、「明確さ」だったのです。
人間関係と自分らしさの確立
子ども時代、ベンは社会的な場が苦手でした。目を合わせるのが難しく、集団の中では消耗してしまう。友達づくりには勇気と時間が必要でした。
けれども、少しずつ自信がつくにつれ、彼をそのまま受け入れてくれる仲間ができていきました。その多くが今でも大切な友人たちです。15年以上たった今も、笑い合い、支え合い、ときに一緒に冒険しています。
恋愛と「理解し合える人」との出会い

恋愛は別の挑戦でした。何度か交際を経験しましたが、長続きしないことが多かったといいます。彼が望んでいたのは、表面的でない深いつながりでした。
2021年7月、手術から間もない頃、ケルティと出会います。初デートは、正直で、自然で、よく笑った時間だったそうです。出会ったその日から2人はほぼ一緒に過ごし、1年半後に結婚。今では、自然、冒険、共有体験を大切にしながら、一緒に人生を歩んでいます。
家族計画と新しい形の「選択」

診断後の最も難しい話題の一つは、不妊の可能性でした。クラインフェルター症候群の多くは、精子の生成が少ない、あるいは欠如しており、自然妊娠は難しいとされています。
けれども、ここでも運命は味方しました。ベンもケルティも、もともと子どもを望む気持ちは強くなかったのです。
もちろん、「歩めない道」に対して一瞬の喪失感はありました。でも2人は、持っていないものではなく、「今あるもの」に目を向けることを選びました。子どものいない人生は、空虚ではなく、自由と可能性に満ちたものでした。
テストステロン治療で人生に光が差す
治療前、ベンは霧の中にいるような感覚でした。疲労、無気力、感情の平坦さ…。でも、テストステロン注射を3か月に1度始めてから、すべてが変わったといいます。
エネルギーが戻り、気分も安定し、日々に活力が戻ってきました。これは単なるホルモン補充ではなく、「人生の質」そのものの話です。ベンは、その変化を全身で受け入れています。
ベンからXXYの仲間たちへのメッセージ

「この診断がすべてじゃない。自分自身を大切にしてほしい。自分の個性を愛してくれ」。
ベンは、クラインフェルター症候群と向き合うすべての人たちに伝えたいと思っています。不安になってもいい。戸惑っても、悲しんでもいい。でも最後には、これは自分のすべてではなく、「一部」なのだと気づいてほしい。
自分を愛すること、支え、そして自己探求。それらは、医学情報と同じくらい大切なものです。
最後に:ただ生きるのではなく、「生き抜く」こと
ベンの物語は、成長・癒し・そして再定義の軌跡です。遅い言葉の習得、誤解された子ども時代、そして健康不安と診断を乗り越え、彼は今、謙虚さと優しさを持って、確かに「生きて」います。
彼は、クラインフェルター症候群でも希望と喜びにあふれた人生を送れることの証人です。知らなかった未来が、怖いものではなく、何か素晴らしい始まりになるということを教えてくれます。
ベンにとって、人生とは――完璧であることではなく、本物であること。そして、目を開いて、喜びとともに生きることなのです。
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