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イーデン・アトウッドさん(アンドロゲン不応症)とお子さん

子どもを愛する。自分を愛する。

イーデン・アトウッドさん

アンドロゲン不応症(AIS)女性

私が息子に最も望んでいるのは,自分自身を愛してほしいということ。そして,息子にそう望むには,私が私自身を愛していなければいけない,そういう私を息子に見せなければならないのだと。

 

御覧の皆様へ

私たちは「性のグラデーション」でも「男女の境界の無さ」でもありません。むしろそのようなご意見は、私たちの女性・男性としての尊厳を深く傷つけるものです。

アンドロゲン不応症をはじめとするDSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患)は、「女性にもいろいろな体がある、男性にもいろいろな体がある」ということです。

どうか、お間違いのないようにお願い致します。

詳しくは「DSDsとは何ですか?」のページをご覧ください。

息子の母親になってからは,自分自身を愛し,大切にすることの大切さを息子に伝えたいと思いました。

 今ほど母を愛したことはありません。私たちの関係は決して簡単なものではありませんでした。ですが,自分が母親になった今,母親は,子どものためには最善を尽くしたくなる,そんな気持ちが理解できるようになりました。それに,母親というのは,いつも疲れ果てて,せっかちで,ストレスだらけで,自分の無力さに腹をたてるものだということも理解できました。それでも,母親であるということは,私の人生に道標と力を与えてくれました。母であるということは,私のすべてのものを,さらに意味のあるものにしてくれました。

 私の息子は,養子縁組で来てくれた,黒人の男の子です。私は息子に,自分自身を誇りに思い,他の人との違うところ,同じところ,両方を受けとめてほしいと思っています。大部分が白人のコミュニティでは,息子は自分の違いを隠すことができません。他の人と違うということがどのような感じなのか,私もわかります。でも私は,息子と違って,自分の違いを隠すことができました。そして,実際,長い間そうしてきました。でも,息子の母親になってからは,自分自身を愛し,大切にすることの大切さを息子に伝えたいと思いました。

 

 これは,私の母のひとりの娘としての,この息子の母親としての私の物語の一部です。

イーデン・アトウッドさん(アンドロゲン不応症)とお子さん
秘密は孤独を生みます。私は,他の何よりも,私の秘密を愛してくれる人を渇望しました。

 若い女性なら誰でも人生のどこかで 雑誌を手に取って表紙の女性を見て,「私は物足りない」と思うものでしょう。ある人にとっては,このような思いは一過性のものでしかなく,他の人にとっては,それは自分自身を愛することができないという生涯の苦悩の現れでもありえます。多くの場合,雑誌の表紙を飾っている女性でさえ,自分には欠けているところがあると思っているものです。

 

 そう。私にはわかります。私の写真は,女優,モデル,ミュージシャンとして雑誌の表紙やテレビ画面を飾ってきました。そして,私は自分が十分であると感じたことはなかったのです。それどころか,無価値だとさえ感じたこともありました。実は私は,あるひとつの秘密を隠していたのです。もし誰かに見つかったら,私はすべてを失うことになるだろうと思いこんでいた秘密。それはとても恐ろしいものでした。

 自分を無価値を感じることは,耐え難い心の痛みを引き起こします。それはとても暗い場所につながり,信じられないほど絶望的な選択をする動機にもなります。私は,私の秘密を抱える力を育ててもらうには十分とは言えない両親のもとに生まれた一人っ子でした。私たち家族は,私の秘密についてまっとうに話すことはありませんでした。もちろん,父も母も私も知っていました。でも,いつだって家族の心に迫ってくるその秘密の存在を,誰も口には出せなかったのです。

 

 秘密は孤独を生みます。私は,他の何よりも,私の秘密を愛してくれる人を渇望しました。一人の人が本当に私を愛してくれさえすれば,きっと全てがうまくいくはずなんだと。本当はまず,私が自分自身を愛せなければならなかったはずでした。でも,私はそれをずっと前にあきらめていたのです。

絶望と焦燥。私の人生の選択は,とても痛みを伴う下り坂を転がり落ちるものになっていました。

 そう。15年の間,私は自分を愛されない見世物小屋の住人のように思っていました。そんな思いが私のあらゆる決断に影響を与えていました。絶望と焦燥。私の人生の選択は,とても痛みを伴う下り坂を転がり落ちるものになっていました。

 暗黒の日々の中で,私は人からの愛ばかりを求める吸血鬼のようになっていました。何十年にもわたって,様々な男性と駆け引きする毎日を過ごしていました。私を愛するように誘惑し,愛されなかった時は,愛情を勝ち取るために手段を選びませんでした。もし相手から私の愛情を求められた時は,私は彼らが何かおかしいのだとさえ思っていました。

 

 私は,まるでグルーチョ・マルクスのように,「どうか私の退会をお許しください。私のような者を会員として迎え入れるようなクラブに,私はいたくありません」ということを繰り返すばかりでした。(訳者注:グルーチョ・マルクスは昔のアメリカのコメディアン。ブツブツと神経質に文句ばかり言う芸風で,このセリフは,自分を求める人を拒否するようなひねくれた態度を表しています)

 そして,私は,結局は最後に,この決まり文句が真実であることを理解するに至りました。「あなたはまず自分自身を愛する必要がある」という。

 私の話が,私と同じような経験をした人たちだけでなく,自分を愛することに苦闘したことのある人たちの支えになれば幸いです。

イーデン・アトウッドさん(アンドロゲン不応症)

それを知らされて、私は両親の方を向いて、「じゃあもう今日からピアスを入れていいよね!」って私は言ったんです。それですぐに予約を入れて、ピアスを入れてもらって(笑)。その時はそれがどういうことなのか、自分でもよく分かってなかったんです。

秘密にし続けるというのは,人の心をすり減らすものです。

 15歳の時,メイヨー・クリニックの医師は,私をアンドロゲン不応症(AIS)と診断しました。AISは稀な体の状態で,約2万人に1人の割合で出生すると言われています。ほとんど誰も知ることのない体の状態でした。

 

 AISを一言で言えば,XY染色体の胎児(男性に多い染色体の胎児)が,X染色体のAR遺伝子に違いがあるために,男性に多いアンドロゲンに反応しない体の状態です。これが起こると,胎児は母親のお腹の中で女性に育つのです。私を含め,多くの場合,子どもは全く女性に生まれてきます。当時はこのような女性の性腺はガンになりやすいと言われていて,性腺を摘出する手術が行われていました。(訳者注:現在では,完全型AIS女性の性腺のガン化の可能性は思春期まではかなり低いことが分かっています。ただし,完全型でも思春期終わりから,あるいは部分型AISの場合はがん化の可能性が高くなります)

 医師が私のAISを発見したのは,思春期を過ぎても私に初潮が訪れなかったからです。私は手術を受けました。「前ガン性のねじれた卵巣」と説明されたものを摘出するための。でも,それは嘘でした。両親でさえ私に嘘をつきました。なぜなら医師が,真実は私にトラウマを与えると断言したからです。そして,実際に彼らは正しかった。他の人が恐怖を避けるために,私の出生の秘密について話すことを避けているのを見続けることでも,私はトラウマを受けたのです。

 

  私は親や医師の嘘を信じ,自分の体は恐ろしいもので,隠さなくてはいけない何かだと思ったのです。このようなトラウマは,10代から30代までの私の人生のすべてに影響を及ぼしました。

 

 秘密にし続けるというのは,人の心をすり減らすものです。私は,自分の秘密がマスコミにばれてすべてを失うのではないか,そんな不安を常に抱えて生きていました。

 やがて私は,誰もが,自分で恐ろしいと思った真実を隠しながら生きているのだと気が付いていきました。嘘ゆえに「しなければならないこと」「してはならないこと」を抱えて生きていると,孤独になり,そして絶望に至るのだということも。

彼女の話は私の話と同じでした。彼女はさらに,他にも同じ体の状態の女性がいると言ったのです。

 1996年,日本でのツアー中,私はインターネットを検索し始めました。東京のホテルのビジネスセンターに座って,私はアルタビスタ(訳者注:昔のGoogleのようなもの)の検索バーに「アンドロゲン不応症」と入力しました。すると,私の質問に返信が返ってきて,電話番号が表示されたのです。

 

 唖然としながら,私はアメリカの家に帰るまでもなく,その電話をかけました。返信をくれた電話の相手,パトリシアとは何時間も話したものです。彼女の話は私の話と同じでした。彼女はさらに,他にも同じ体の状態の女性がいると言ったのです。初めてのサポートグループのミーティングに参加したとき,私は自分の仲間を見つけることについてスピーチをしました。

 

 涙があふれて止まりませんでした。そこから,私の10年来の嘘の傷が癒され始めたのです。

 数年後,私はジャズ・ギグのためにシンガポールに渡航し,ある日の午後,ホテルのプールサイドで,J.D.サリンジャーの「フラニーとズーイ」を一挙に読みました。最後の輝かしい3ページを読みながら,心の底から涙が出てきました。もう一時あれば,霧も晴れたことでしょう。

 

 でもそれは私の巡礼の旅のはじまりに過ぎませんでした。サリンジャーのメッセージ,心の底からの受け止めと「1であるということ(ワンネス))」を理解し,それを私の人生としていくことには,ここから数年以上かかることになりました。

 私は,自分の魂の成長を扱った本を貪るように読み続けました。ティク・ナット・ハンや,ペマ・チョドロンのような仏教の先生の言葉がとても心に響きました。別に信者になったわけではありません。でも,私は仏教の教えに,物事をあるがままに受け止める方法を見つけることができたのです。

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ホームでの時間の中で私が子どもたちを見ていた目,あなたは愛される価値のある人間なのだという目線は,私自身を見る目線にもなったのです。

 30歳に近づいて,私はますます赤ちゃんのことを考えるようになりました。子どもを育てるには,養子縁組をしなければならないことはわかっていました。でも,旅をしながらのジャズのキャリアは養子縁組の申請には役立たないだろうとも想像していました。

 

 私は故郷に帰ることにしました。モンタナの家とモンタナ大学に。何年も前に始めた演劇の学位を取得した後,何をすればいいかわからなかった私は,ここから道がひらけていくのではないかと確信していました。

 ミズーラに戻ってもお金がなく,仕事が必要でした。ですが,ミズーラ・ユース・ホームズ(訳者注:子どもの養子縁組を積極的に行っている児童養護施設)が私を雇ってくれたのです。そこでの私の仕事は,子どもたちが自分の行動に責任を持つことを学び,自分を犠牲者のように思わずにすむようになっていくこと。それは子どもたちに対するだけではなく,私自身に対するものにもなったと言っていいでしょう。

 

 ホームでの時間の中で私が子どもたちを見ていた目,あなたは愛される価値のある人間なのだという目線は,私自身を見る目線にもなったのです。それでも,過去の軽率で絶望的な選択よりも,すこやかな選択が自分に自然に感じられるようになるまでには,さらに数年かかりました。

息子にそう望むには,私が私自身を愛していなければいけない,そういう私を息子に見せなければならないのだ。

 35歳。私は夢を実現し,子どもの母親になりました。母になったことで,私は今までにない人生最大の経験をしました。母であるために,私は自分のできる限りベストな状態の自分になることができるようになりました。

 

 私が息子に最も望んでいるのは,自分自身を愛してほしいということ。そして,息子にそう望むには,私が私自身を愛していなければいけない,そういう私を息子に見せなければならないのだと気付きが私の中に芽生えました。そう。母親になるということが,私が自分自身を愛する最終のステップになったのです。

 今,私は母親,レコーディングアーティスト,音楽教師,そして私が愛するコミュニティのメンバーになっています。私は今も,自分自身を,愛と敬意を持って大切にすることに取り組み続けています。

 

 そして今,私が何よりも知っているのは,この人生では,人は,他者に愛と敬意を与えた分しか,自分に愛と敬意は与えられないということ。そして同じくらい重要なことに,自分自身に愛と敬意を与えた分しか,他者からそれを得られないということです。

 

 自分の秘密を見出し,隠し,そして明らかにした私の経験について,声に出すたび,そして言葉を書くたびに,私は自分自身をもっともっと受け止め,愛していけるようになっています。母親になったことで,私は自分自身を愛する勇気を与えられました。その愛を息子の模範とし,困難とそれに挑む姿勢を通して,逆に私は,私自身の母が与えてくれた愛を振り返ることができるようになったのです。

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アンドロゲン不応症(AIS)女性とは?

 アンドロゲン不応症(AIS)とは、女性のDSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患)のひとつです。AISでは、染色体はXYで性腺も精巣なのですが、男性に多いアンドロゲンホルモンに体の細胞が反応しない状態のために、母親の胎内の段階から、まったくの女性に生まれてきました。ですが、子宮や膣の一部がなく、生物学的な子どもを持つことができません。一般的に女性のこの体の状態が判明するのは思春期前後で、ご本人もご家族も大きなショックを受けられることがほとんどです。

 イーデン・アトウッドさんは、日本でもツアーをしたことがある有名なジャズ・シンガーです。日本のAISなどのXY女性のサポートグループの設立は、日本のAIS当事者女性の方とイーデンさんとの出会いがきっかけなのです。

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イーデン・アトウッドさんのインタビューとライブ動画

アンドロゲン不応症(AIS)など
XY女性の物語