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日本性分化疾患患者家族会連絡会:ネクスDSDジャパンは、世界のDSDs患者家族会・サポートグループと連携し、主にDSDを持つお子さんとご家族のための医療ケア、子育ての疑問などについて、世界中のサポートグループからの情報を発信し,日本の性分化疾患各種患者家族会との連携をしています。

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オランダの文部科学省に当たる教育文化科学省の解放政策局の要請により、政策研究機関である社会文化計画局が作成した、世界ではじめての国家機関による、DSDs(体の性の様々な発達:性分化疾患)を持つ人々の実態調査書を日本語に翻訳しました!

 

探索的調査としながらも、DSDsを持つ人々への綿密なインタビューや、世界中の患者団体、多くの調査研究からの情報などを総合し、誤解や偏見・無理解の多いDSDsについて、極めて客観的で当事者中心となった報告書になっています。

 

近年日本でも、教育現場や地方・国レベルで、性的マイノリティの人々の一つとしてDSDsが取り上げられるようになっていますが、DSDについての知識が不十分なまま進められている現状があります。

 

性教育などでDSDsについて触れたり、地方・国レベルでDSDを持つ人々と家族についての政策を進言したいとお考えの皆様には、とても参考になる資料です。是非ご参照下さい。

オランダ社会文化計画局報告書

 「インターセックスの状態/性分化疾患と共に生きる」

 

HOMEライフストーリーズ>私は女性です。男性型の染色体を持っています。

私は女性です。男性型の染色体を持っています。

I'm a woman with male Chromosom.

ケイティさん

アンドロゲン不応症(AIS)

 

 

そこではじめて、AISに呑み込まれるのではなく、自分の人生の一部にすることができると思え、それまで感じてきた孤独が鎮まりました。

御覧の皆様へ

私たちが問うているのは「男女の境界の無さ」ではありません。むしろそのようなご意見は、私たちの女性・男性としての尊厳を深く傷つけるものです。

私たちがお願いしているのは、「女性にもいろいろな体がある、男性にもいろいろな体がある」ということです。

どうか、お間違いのないようにお願い致します。

母に、あれって何?と聞くと、母は涙を浮かべ、泣き始めたのです。

あれは小学校5年生、テレビで生理用品のコマーシャルを見ていた時です。ほとんどの10歳の子と同じように、私も生理用品のことなんて聞いたことがありませんでした。でも私の場合、母に、あれって何?と聞くと、母は涙を浮かべ、泣き始めたのです。 皆さんは自分の娘に、その子が生理用品を必要とすることがないだろうって、どんな風に言いますか?この子には生理がない、子どもも持てない、そしてこれは、この子が他の女の子と何か違っている、ほんの一部に過ぎないんだということを。

 

外から見れば、ピッツバーグの郊外でテレビを見ている小さな子どもに、他の女の子と何かが違うところなんてありません。私は昔から女の子ぽかったし、ハロウィンにはキラキラのピンク色のドレスに、フェルト生地のプードルスカートをはいて、かわいいお化粧をすることで頭がいっぱいでした。

 

外見からは、私がアンドロゲン不応症、つまりAISと呼ばれる稀な体を持っているということは分かりません。(訳者注:ケイティさんはアンドロゲン不応症(AIS)の中でも、女性型のパターンで生まれてこられました。このパターンの場合は全くの女の子に生まれ成長されます。生まれた時のAISには男性型のパターンもあり、その場合は男の子に成長されます)。私はXY染色体を持って生まれたのです。男の子の組み合わせの。AISでは、XYの胎芽は、ペニスと陰嚢を形成するように伝える重要なホルモンに身体が反応しません。生命の一番最初の段階から、私の体はその信号を受け取れず、クリトリスと陰唇を持った女の子として成長したのです。でも、私の体の中のものは女の子とは違いました。

 

両親がこのことを知ったのは、私が6歳のときでした。シャワーを浴びているとき、足の付け根のしこりが痛み、私は叫び声をあげました。両親も医師もこれはヘルニアに違いないと、私を病院に連れて行きました。でも、外科医が手術したとき(ヘルニアはX線には映りにくく、手術で固定する必要があるのです)、しこりの後ろに腸のねじれはありませんでした。足の付根に降りはじめていたのは精巣だったのです。腹部の反対側にももうひとつ精巣が見つかりました。私には、膣の上部や、頚部、子宮、そして卵管がありませんでした。

私はこの名前は嫌いです。まるで私が男の成りそこないで、全然女じゃないように聞こえるからです。

1990年代、その頃はまだAISは「精巣(睾丸)性女性化症」と呼ばれていました。私はこの名前は嫌いです。まるで私が男の成りそこないで、全然女じゃないように聞こえるからです。1950年代以来、もし女性がこの診断を知ったら、気が狂うかレズビアンになると信じられていました。医師は愕然としている私の両親に、ちゃんと育つし適応もしていく、でもXY染色体や精巣を持っていることを知らせるべきではないと言いました。けれども両親は私に少しずつ話をしていく決意をしていました。

両親は私に解剖学の本を見せ、子宮は女性の中にある巣で、その中で赤ちゃんが育つんだと話しました。私にはそれがない、でも赤ちゃんの里親になって、心の巣で赤ちゃんを育て、家族の一員にしていくことができると。生理についても教えてもらい、自分にはそれがないだろうということも知りました。でも、私が更に本当のことを知ったのは、16歳になってからでした。

 

この年、私の妹が学校から生物学の宿題を持って帰ってきました。クラス全員に研究項目が振り分けられていて、妹の担当がAISだったのです。「お母さん、お父さん。これって絶対お姉ちゃんのこと言ってるみたい」。妹はある日の夕食時にそう言いました。「それにサポートグループのウェブサイトにお母さんの名前の人が出てる…」。

両親は顔を見合わせました。ふたりからすれば、私が18歳になるまで待ちたいと思っていたのです。でももう後戻りはできなくなりました。両親は、私と妹弟(私より15ヶ月若い双子)に、すべてを話をしたのです。父は最後に「お前が私たちの娘であることにかわりないよ」と言ってくれましたが、私は、なんで私が女の子じゃないってことになるの?と思うばかりでした。たしか私がその時に言ったのは、「他には誰が知ってるの?」ということだったと思います。

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