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日本性分化疾患患者家族会連絡会:ネクスDSDジャパンは、世界のDSDs患者家族会・サポートグループと連携し、主にDSDを持つお子さんとご家族のための医療ケア、子育ての疑問などについて、世界中のサポートグループからの情報を発信し,日本の性分化疾患各種患者家族会との連携をしています。

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オランダの文部科学省に当たる教育文化科学省の解放政策局の要請により、政策研究機関である社会文化計画局が作成した、世界ではじめての国家機関による、DSDs(体の性の様々な発達:性分化疾患)を持つ人々の実態調査書を日本語に翻訳しました!

 

探索的調査としながらも、DSDsを持つ人々への綿密なインタビューや、世界中の患者団体、多くの調査研究からの情報などを総合し、誤解や偏見・無理解の多いDSDsについて、極めて客観的で当事者中心となった報告書になっています。

 

近年日本でも、教育現場や地方・国レベルで、性的マイノリティの人々の一つとしてDSDsが取り上げられるようになっていますが、DSDについての知識が不十分なまま進められている現状があります。

 

性教育などでDSDsについて触れたり、地方・国レベルでDSDを持つ人々と家族についての政策を進言したいとお考えの皆様には、とても参考になる資料です。是非ご参照下さい。

オランダ社会文化計画局報告書

 「インターセックスの状態/性分化疾患と共に生きる」

 

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アビィのランの花

Aby's orchid story

 アビィ

スワイヤー症候群

 

 

DSDを持っていることは、いつも悲しいだけではない、いつも重荷なだけでもない。うれしいと思うことにもつながることであり、自信を持っていい、決して誰かに任せられない自分自身の人生なんだ、だってそれが恐ろしくとも素晴らしく私自身を形作っているのだから。 

私は恐怖に襲われていました

 私は17歳の女の子です。本当に恵まれた普通の生活を送ってきました。でも、中学生の時です。私は少しずつなにか違うものを感じ始めていました。私の友達は胸が大きくなって、生理やいろいろなことが始まっていきます。けれども私には何も起こらなかったんです。中学の1年生までは、あまり気にしていませんでした。

 

 でも、6月3日、その日のことは今でも覚えています。母は私の体は全然大丈夫なのだということを確かめるために、私を婦人科の病院に連れて行きました。待合室で、重い気分になりながら、涙が出てきて、何かがおかしいのだという予感を感じていたのを今でも覚えています。お医者さんは私の体を見て、いくつかの検査をし、そして私に告げました。思春期の第一段階がまだ始まっていないと。彼女は私の血をとり、超音波検査をし、どんなことが起きているのかその可能性について話しました。次の日もう一度病院に行って、MRIやいろいろな検査を受けるときには、私は恐怖に襲われていました。両親と私はお医者さんのオフィスまで階段を上がり、そして更に検査を受けました。お医者さんが私たちに椅子を勧め、ドアを閉めます。私はガタガタ震えていました。

 MRI検査で、私には子どもを生む能力がない。彼女は説明を始めました。私は頭が重くなり、呼吸が深くなっていきました。胸に熱いものを感じたかと思うと、私は彼女のオフィスで突然嘔吐し、そのまま気を失ってしまいました。両親とお医者さんは私を静かな部屋に運び、しばらく休ませ、更に血液を採っている間、お医者さんはは両親に全てを話していました。

 

 私たちは押し黙ったまま、エレベーターを降り、駐車場に出ます。車が通りに出た時、私は母に聞きました。「どういうこと?私には赤ちゃんができないの?」。母は大きな痛みをたたえた涙を浮かべて、悲しみに打ちひしがれた顔で私に向かい、私には赤ちゃんができないことを告げました。

 私の魂は深く沈みこみました。

 帰りの途、私は呆然としたままでした。妹には一言だけ声をかけて、母のベッドに横たわり、テレビで赤ちゃんのおむつのCMを見る度に泣いていました。CMでは、お母さんが喜びをたたえた眼差しで自分の赤ちゃんを見つめ、赤ちゃんもまたそういう目でお母さんを見つめていました。私の将来の夢は打ち砕かれました。子どもの世話をしたい、いつか赤ちゃんを作りたい、お母さんになりたい、そんなことを夢見ていた少女として、その夜ずっと、私は悲しみに打ちひしがれていました。なぜこんなことが?なぜ私は子どもが産めないの?私は自分が失ったもの、自分自身を哀しんでいたんです。

 私はこんなことは全く偶然に起こったことだと思っていました。母が自分で調べて、私に
AISのことを話した、あの7月17日までは。母は「アンドロゲン不応症(AIS)」などの医学用語と、私はXYであること、精巣があること、そして手術を受けなければならないことを私に話しました。それはまるで悪夢でした。病院に行った時と同じ感情に私はまた襲われました。もっとひどくなって。こんなひどい体験はありませんでした。自分が誰なのか、何なのかさえ分からなくなるような。

こころの痛み、それに誰にも話せないことがとても重かったんです。

 私は吐き気がしました。私はもう私自身ではなく、何か気持ち悪い、他の人と違ったものであることを嫌に思ったのです。お願いだから、もうやめて!と私は心の中で叫びました。私はケイティ(CAISの女性です)にメールを送りました。私にはそれしか思いつかなかったのですが、これは助けになりました。私はただただ何も知らなかった頃に戻りたいと思っていました。次の週に私は、芽細胞腫(訳者注:がさいぼうしゅ:小児がんの一種。)が発症していた性腺を取り除くための手術を受けました。死ぬほど怖かったです。

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