ヘイリーの希望:塩基喪失型CAH(先天性副腎皮質過形成)診断から今日までの私たちの歩み
- 2 日前
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御覧の皆様へ
私たちは「性のグラデーション」でも「男女の境界の無さ」でもありません。むしろそのようなご意見は、私たちの女性・男性としての尊厳を深く傷つけるものです。
先天性副腎皮質過形成(CAH)女性をはじめとするDSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患)は、「女性にもいろいろな疾患がある、男性にもいろいろな疾患がある」ということです。
どうか、お間違いのないようにお願い致します。
詳しくは「DSDsとは何ですか?」のページをご覧ください。
何よりもまず……どうかパニックにならないでください!
言うは易く行うは難しであることはよく分かっています。でも、自分(そして他のほぼすべての人)にとって全く馴染みのない病気をお子さんが診断されたとき、動揺してしまうのは間違いなくごく自然な本能です。診断を受けてからの最初の数日間、誰もが未来を見通せる魔法の鏡を持てればいいのに、と心から願わずにはいられません。
ヘイリーが生まれる日、夫と私は、長女のときと同じように、入院手続きをする前に病院の礼拝堂へ向かいました。長女ケイティのときと同じように、すべてがうまくいき、出産がスムーズに進み、赤ちゃんが元気で、親子ともども順調に回復できるようにと、座って静かに祈っていました。でもヘイリーのときは、妊娠中ずっと(その不安に押しつぶされないようにはしていましたが)、何かが違うと本能的に感じていました。ヘイリーの帝王切開のために、入院前の礼拝堂に入ったとき、私は声を上げて泣き崩れました。この9ヶ月間、心の奥底にたまっていた正体不明の緊張感が一気に溢れ出したのです。なぜなのか本当の理由は分からないまま、私はただ恐怖に震えていました。どういうわけか、私は自分が必死になって守り、戦わなければならない大切な授かりものを迎えるのだと、ずっと分かっていました。具体的な状況までは分からなかったものの、子供のために必死で戦う夢や、ときには悪夢を見ることもありました。目が覚めるとそれが夢であったことに安堵しつつも、夢は私に何かの準備をさせているのだと感じていました。この小さな赤ちゃんと私は、共に激しい戦いに挑むことになるのだと分かっていました。

私たちのヘイリーは体重約4,500gで生まれました。これは妊娠期間中ずっと、私がかなりの妊娠糖尿病だったおかげ(?)です。愛の塊のような大きな、本当に大きなお祝いの赤ちゃんだっただけでなく、彼女は誰から見ても(そして今でも私の目から見ても)、完璧でした……手足の指は10本ずつ、薔薇色の頬に、輝くブルーの瞳!
生まれた翌朝、小児科医ともう一人の医師がとても深刻な表情で病室に入ってくるまで、私たちは何一つ心配な兆候などないと思っていました。医師たちは、ヘイリーにいくつかの問題があるかもしれないと言いました。続けて、彼女に泌尿生殖器の異常が見られると説明したのですが、内性器を確認するための超音波検査や染色体検査について非常に早口で話されたため、私は彼らが何を言っているのか、それが何を意味しているのかを十分に理解することができませんでした。
え? 何? 私は今、かわいくてて小さな女の子を産んだばかりなのに……なぜ彼女の染色体を疑う必要があるの? 今でも覚えているのは、ただ静かな衝撃が私を包み込んだこと、そして、これこそが私に用意されてていた試練なのだと悟ったことです。「もし~だったらどうしよう」という不安と、これからどんな状況が待ち受けていようとも、何が何でもこの子を守り抜くのだという強い防衛本能が湧き上がりました。それから間もなくして医師たちが戻ってきて、超音波検査の結果、子宮と卵巣が確認されたため、彼女が女の子であることは間違いないと言いました。ただ、本日中に出る染色体などの他の検査結果を待って、100%確定させるとのことでした。
すべての検査結果が出て、彼女が本当に女の子であることが証明された後、私たちは小児内分泌科の医師に、先天性副腎皮質過形成(CAH)とは何なのか、そして生涯にわたる影響(もしあれば、ですが!)について尋ねました。医師は非常にシンプルな言葉で、彼女には生涯にわたる服薬が必要であり、それは毎日ビタミン剤のサプリメントを飲むようなものだと考えればよい、と説明してくれました。それはCAHの真実としては非常に簡略化されすぎた、お世辞にも十分とは言えない説明でしたが、医師もおそらく、私の目の前で私が精神的に崩壊してしまうのを避けたかったのでしょう。当時、私はまだ非常に混乱しており、一刻も早くパソコンで調べたいと切望していましたが、彼の「大したことではない」という態度を、警戒交じりの楽観主義として受け止めました。彼が私のために話を分かりやすくしようとしてくれているのは分かりましたが、私は真実のすべてを知りたかったのです……これから何が起こるのか、どうやって彼女を助ければいいのか、何に気をつければいいのか、何を心配すべきで、どう行動すればいいのか。見つけられる限りの、ありとあらゆる微細な情報が欲しかったのですが、帝王切開の傷の回復を待つ病院のベッドの上では、それは叶いませんでした。
私は一刻も早く病院を出て、この新しく愛しい我が子と逃げ出したい衝動に駆られ、帝王切開から1日半後、退院の許可を求めました。すべては順調でした。病院にいる間の私は、少しうわの空状態だったようにも思いますが、過度に心配はしていませんでした。彼女はあまりにも愛らしく、愛の塊のような子だったので、新米の親なら誰でもそうするように、私は彼女のすべての動きを愛情深く見つめ、凝視していました。しかし、私たちがこれから共に未知の領域へと足を踏み入れ、しばらくの間は私が彼女の船の船長にならなければならないと分かっていたため、彼女を守りたいという私の本能は格段に強くなっていました。彼女のため、私たちのために、これから訪れる不確かな未来に怯えていました。
家に帰り、ネットで読んだ内容は私を愕然とさせ、死ぬほど恐怖に陥れました。あの内分泌科医は、副腎ショック(アドレナル・クライシス)や死の可能性、あるいは親たちが夜も眠れなくなるような、この病気の恐ろしい側面については一切触れていなかったのです。私は自分を知識で武装しようと決意しました。娘たちが眠っている間、私はパソコンの前に座り、ありとあらゆる知識を吸収しました。起こりうるすべての反応、兆候、注意すべき症状、そのときインターネット上にあった「すべて」の情報(当時はあまり多くありませんでしたが)を頭に叩き込みました。
当時は、娘が激しく泣き続けるのは、私の不安を察知しているからだと真面目に信じていましたが、それを除けば、ヘイリーの最初の数ヶ月間は実質的にとても順調でした。今にして思えば、彼女の体が自力で必要な量のコルチゾールを作り出し、維持できるようになるまでは、おそらくホルモンレベルの影響で腹痛を起こしていたのだと分かります。そんな中、私が赤ちゃんをあやすための製品や、おもちゃ、音の鳴るものを手当たり次第に買い漁ったため、地域のドラッグストアの売り上げは大いに潤ったことでしょう。
私たちは、スーパーで買った哺乳瓶の吸い口が付いた液体薬用のフィーダーでお薬を溶かしていました。これはネットで購入できますし、店舗でも買えます。なぜか私たちの地域ではその店にしか置いておらず、おそらく20個は買ったと思います。マンチキン社のメディケーターといいます。吸い口付きの計量カップにしては、ずいぶんと大仰な名前です。コルテフやフロリネフなど、彼女が服用していた錠剤(またはその組み合わせ)を砕き、小さじ4分の1ほどのとても熱いお湯を加え、完全に溶かしてから、カップの残りの部分に調乳したミルクを満たしていました。

最初の1年間、3ヶ月ごとに小児内分泌科に通って採血をする以外は、完全に何事もなく過ごせたのは本当に幸運でした。ヘイリーが塩基喪失型CAH(SWCAH)であることは非常に早い段階で分かっていたため、生後2日目にはすでに服薬を始めていました。そのため、多くの人が経験するような初期の健康危機に直面することはありませんでした(特に外見上の兆候が出にくいSWCAHの男の子などは、初期に重篤な状態に陥りやすいのです)。彼女は生後2ヶ月半ほどで寝返りを始め、4ヶ月でハイハイ、10ヶ月になるかならないかで歩き始めました。全体として、他の子供たちと比べても成長の節目(マイルストーン)は順調か、むしろ少し早いくらいでした。おしゃべりも大好きで、長女のケイティが一時期経験したような言葉の遅れも一切ありませんでした。
最初の1年間、私たちは細心の注意を払って生活し、体調が悪そうな人には絶対に娘を近づけないようにしていました(これは今でも続けています)。お店に行って誰かが咳やくしゃみをするのが聞こえると、私はくるりと向きを変えて反対方向へ走って逃げます。これは、咳をした本人には必ずしも理解されるわけではありません。娘がCAHであることを知りながら、病気の子をヘイリーの近くに連れてきて、「ああ、大したことないわよ、ただの風邪だから!」と言う人もいました。でも、ただの風邪や発熱が、私の子どもにとっては副腎不全やショック状態を引き起こす原因になり得るのです。ですから、私にとっては「重大事」以外の何物でもありません。それだけのことです。
最初の危機が訪れたのは、彼女が13ヶ月を目前にしたときでした。寒さとインフルエンザの季節(10月下旬)で、前日の夜は元気にベッドに入ったのですが、夜中に目を覚ますと、熱を出して激しく何度も嘔吐し始めました。熱自体はそれほど高くなかったのですが、嘔吐が止まりませんでした。実はその時点まで、私は「嘔吐が副腎危機の兆候になり得る」という記述をどこでも読んだことがなかったため、何が起きているのか分かりませんでした。ただのお腹の風邪(胃腸炎)だと思っていたのです。彼女はぐったりとして元気がなくなり、私たちは急いでかかりつけの小児科医のもとへ連れて行きました。向かう途中で小児内分泌科の医師に電話をかけ、緊急の折り返しを求めるメッセージを残しました。彼女がまさに副腎危機の真っ最中であることにはまだ気づいていませんでしたが、初めての病気だったため、あらゆる予防策を講じていました。
小児科医は、胃腸を落ち着かせるための抗生物質と薬を処方してくれました。私たちが小児科のオフィスを出ようとしたとき、内分泌科の医師から折り返しの電話があり、彼は「今すぐヘイリーにソル・コーテフの注射を打たなければならない」と言いました。処方されていた注射器は1回分だけで、それは30分ほど離れた自宅にあることを説明しました。このとき、医師の声にただならぬ緊迫感を察知した私たちは、薬局で処方薬を待っているところでしたが、それをキャンセルして、できる限り急いで家に帰り、注射を打つことに決めました。
もしこれまでに経験したことがないなら、最初の1回は緊張と恐怖の塊になります。私はパニックになりながらも、CAHのサポートグループ、ケアズ・ファウンデーション(CARES Foundation)のウェブサイトから印刷した指示書に一字一句従おうと必死でした。頭の中で何度もシミュレーションはしていましたが、娘の太ももに実際に注射を打つのはこれが初めてだったのです。これは本当に恐ろしい経験になり得ます。自分の子どもに痛みを味わせるというのは、親の本能に反することだからです。しかし、怯える必要はありません。まず、深く息を吸って、できるだけ冷静さを保つよう努めてください。
注射の打ち方の指示については、注射キットと一緒に保管しておくためのパンフレットを数冊取り寄せておくとよいでしょう。
必須ではありませんが、赤ちゃんや子どもを膝の上に抱っこしてくれる人がいると、ずっと楽になります(私の夫は、彼自身も恐怖で怯えながら、渋々やってくれました!)。子どもに針を刺すという考え自体が神経をすり減らすので、心の中でこう呪文を繰り返してください。「この子が生きるためにこれが必要なんだ、この子が生きるためにこれが必要なんだ」と。そして、ただ実行するのです。繰り返しになりますが、決して簡単なことではありません。でも、あなたには「できます」し、親として「やらなければならない」のです!
子どもが自分の体調を言葉で説明できず、夜中に助けを呼ぶこともできない最初の2〜3年間が、群を抜いて最も過酷な時期です。ヘイリーはいつも夜に体調を崩し始めるようだったので、最初の数年間、私はほとんど眠れませんでした。
子どもがどんな食べ物を好むか、何で笑顔になるかを理解していくのと同じように、自分の子どもに現れるサインや症状が何であるかも、自然と把握できるようになります。私たちは娘のためにこの病気とうまく付き合う方法を学びましたが、子どもは一人ひとり異なり、CAHの現れ方も千差万別です。副腎危機の始まり方は、子どもによってさまざまな形で現れます。ヘイリーの場合は「嘔吐」が最初のサインだったので、私たちや周囲の人間が絶対に見落とすことがないという意味で、私たちは幸運でした。でも、もっと分かりにくい、かすかな兆候で副腎危機が始まるお子さんを持つ親御さんも知っています。もし、お子さんの健康状態に少しでも疑念を抱いたら、医師に電話するか、救急外来に連れて行くか(その際、必ず「副腎不全の持病がある」と伝えてください)、あるいはソル・コーテフの注射を打ってください。親自身だけでなく、子どもを預かるすべての人に話をし、万が一のときに「ソル・コーテフの注射を打てない」という状況が絶対に起きないようにしなければなりません。
手術をするべきか、せざるべきか?
ヘイリーが1歳になったとき、私たちは彼女の泌尿器科的な手術について真剣に考え始めました。私は膨大なリサーチを行い、2006年秋のケアズ・ファウンデーションのカンファレンスで出会ったある医師のことがずっと頭から離れませんでした。当時も、そして現在も、手術を行う「適切な」時期や、そもそも手術をすべきなのかどうか、そして誰が最も執刀医として適格で、優れた手術成果を上げているのかについては、多くの議論やさまざまな研究が存在しています。
ある医師がそのカンファレンスでプレゼンテーションを行いました。夫と私は、彼の専門知識だけでなく、その細やかな配慮と、このテーマに対する語り口に深い銘を受けました。聞いていて辛い内容も多く含まれていましたが、彼は親が抱く懸念のほとんどを網羅し、思いやりと専門性を持って語ってくれました。プレゼンターとして非常に有能であっただけでなく、よくある「お高くとまった臨床医」として話したり、カンペをただ読み上げたりするような医師ではありませんでした。彼は医療に変化をもたらしたいと願い、世界中の子どもたちのために熱心に取り組んできた人でした。
プレゼンテーションの後、夫と私はその医師のところへ話をしに行き、彼の経験に基づいた保険の適用や推奨される年齢についていくつか質問をしました。彼は時間を割いて私たちのすべての質問に答えてくれ、保険の詳細についてさらに問い合わせができるよう、オフィスの名刺を渡してくれました。
私はすでにCAHの手術を行う外科医について調べており、真剣に検討している医師が2人いました。その筆頭があの医師でした。彼が常に第一候補だった理由は、彼が小児科医であり、泌尿器科医であり、そして形成外科医でもあったからです。他に見つけた医師たちは、手術の各工程を分担して行う「チーム」を組んでいましたが、私たちが探した中で、手術のさまざまな側面を一人で一気に行えるのは彼だけでした。また、彼は担当した子どもたちの神経線維の束を温存し、将来的な失禁の可能性を大幅に軽減させるという、驚異的な治療実績の統計を持っていました。そして何より、実際に会ったときに、彼という人間を心から好きになれたことが大きな後悔のない決め手となりました。彼は派手なタイプではありませんが、非常に聡明でプロフェッショナルでした。決定打となったのは、彼がプレゼンテーション中に言ったこの言葉でした。「もし私の子どもがCAHであれば、私はまったく同じ方法でこの手術を行い、その結果に100%の自信を持ちます」。後で私は彼に娘さんがいるかどうか尋ねたところ、彼は「娘がいます。そしてさっき言った言葉に嘘はありません」と答えてくれました。
そして、彼はその言葉通りにしてくれました。
私たちの州のメディケイド(訳者注:低所得者向け医療補助)システムと交渉し、議員への訪問や電話、さらには大統領への直訴の手紙まで送り、メディケイドにヘイリーの手術費用を支払わせるまでに1年半の闘いが必要でした。医師のスタッフは、私たちが議員に提出するための推薦状を書いてくれるなど、東奔西走してくれ、娘のための闘いにおける最高のパートナーとなってくれました。これはお金の問題ではありませんでした。すべての手続きが終わったとき、医師に支払われた報酬は、彼の通常の報酬やその専門性に値する額に比べれば、おそらくほんのわずかなものだったはずです。彼らはただ、私たちのことを親身に想い、この手術が私たちにとってどれほど重要であるかを理解してくれていたのです。本当に、それほど純粋な理由でした。(訳者注:日本では通常の健康保険適用になりますので,このようなことは必要ありません)
すべての書類や法的続きがようやく整った後、私たちはニューヨークへの旅費と、現地に滞在する必要がある約2週間分のお金をどうやって工面するかを2ヶ月で考えなければなりませんでした。私たちは資金集めのためのカラオケ・チャリティイベントを開催し、これが大成功を収めました。
お役所仕事(官僚主義)との闘いの中で、私の信念は壊れることはなかったものの、しばしば激しく揺さぶられました。しかし、このチャリティイベントに向けて私の心は再び蘇りました。さらにうれしかったのは、その日まで見ず知らずの他人だった多くの人々が、イベントに駆けつけて支援してくれたことです。最も感動的だったのは、私のチラシを見たという男性から電話があり、11月にヘイリーを連れて行かなければならない経過観察の受診のために、航空券を提供したいと申し出てくれたことです。彼には美しい家族がおり、航空券だけでなく、家族全員でイベントにも駆けつけて支援してくれました。また、別の男性は、よく行くコンビニエンスストアでポスターを見かけて参加を決めてくれました。サイレントオークションが終了間際になったとき、彼はすべてのアイテムの入札額を塗り替え、私たちに最高額の寄付が行き渡るようにしてくれたのです。その日まで他人だった人が、誰かの人生に変化をもたらすことを選んでくれたのです。「感動的」という言葉だけでは、到底言い表せません。
こうして、小さな人々のグループが一つにまとまり、素晴らしいチャリティイベントを創り上げてくれたおかげで、私たちの小さな娘は最高の治療を受けることができました。
振り返ってみると、まるで夢のようで、現実味がないほどです。非常に多くの人々が寄せてくれた多大な労力、24時間体制の努力、そして寛大さが、私たちの小さな天使を支えてくれました。寄付や時間を割いてくれた方、あるいはハグや励ましの言葉をくれたすべての方々に、私たちは一生感謝し続けます。私たちは、ヘイリーをニューヨークの初診に連れて行くのに十分な資金と、経過観察の費用の大半を賄えるだけの資金を集めることができました。
ヘイリーの執刀医としてあの医師を選んだ決定を後悔したことは「一度も」ありませんし、彼は何一つ期待を裏切りませんでした。彼はヘイリーをとても優しく扱ってくれ、2008年11月の経過観察の後、彼女の回復は目覚ましく「完璧に」治っていると言ってくれました。術後の患者の多くは2年ほどごとに経過観察が必要ですが、彼女の回復ぶりなら、12歳か14歳になるまで戻ってくる必要はないとのことでした。
現在
私たちのヘイリーは現在7歳になり、病院でも(3歳から4歳にかけて何度か緊張した受診を経験した後は)ただ流れに身を任せて落ち着いています。彼女は私たちの人生を照らす光です。お腹の中に本来のように機能しない小さな部分があるため、元気に過ごすためには薬を飲まなければならないということを彼女自身も理解しています。今では大人のようにお薬を飲み込めるようになり、子どもながらの基本的な理解ではありますが、多くの面で年齢以上にとても賢い子に育っています。
私たちの物語を読んでくださり、ありがとうございます。これを書いた私の希望と意図は、CAH(先天性副腎皮質過形成)の子どもを持つ他の親御さんのためにできるだけ正直であること、同時にヘイリーの尊厳とプライバシーを守ることにあります。それが達成できていることを祈っています。
いつも最高の祝福がありますように。
アンジェラ


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