誰にも話してはいけないと言われていました。:マリーンさん(AIS女性)のインタヴュー
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御覧の皆様へ
私たちは「性のグラデーション」でも「男女の境界の無さ」でもありません。むしろそのようなご意見は、私たちの女性・男性としての尊厳を深く傷つけるものです。
アンドロゲン不応症をはじめとするDSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患)は、「女性にもいろいろな体がある、男性にもいろいろな体がある」ということです。
どうか、お間違いのないようにお願い致します。
詳しくは「DSDsとは何ですか?」のページをご覧ください。

マルリーンさん(26歳)は「完全型アンドロゲン不応症(CAIS)」の診断を受けています。
自分の体の特徴について、どのようにして知ったのですか?
マルリーン: 5歳の時に両径ヘルニア(鼠径ヘルニア)だと思われて手術を受けたのがきっかけです。地元の病院で手術をしたところ、ヘルニアではなくお腹の中に性腺組織(精巣組織)があることが分かりました。医師は一度お腹を閉じた後、母に説明しました。母はとてもショックを受けていました。その後、専門の診療部があるロッテルダムの大学病院へ紹介され、詳しい検査を受けて自分の身体の特徴が判明しました。
当時の記憶はありますか?
マルリーン: ヘルニアだと言われていた記憶はうっすらとあります。何より覚えているのは、その後の定期通院です。何度もロッテルダムの病院へ通いました。途中でサンドイッチを食べたことや、お医者さんに「大きくなったね」と言われたことなど、今思えば他愛のない出来事ばかり記憶に残っています。
当時はどのような説明を受けていたのですか?
マルリーン: 詳しい説明はなく、ただ定期的に検査を受けるために病院へ通っていました。他の子たちがそんな通院をしていないことに気づいた頃、「お胸の発達を助けるためにホルモンのお薬を飲む必要があるんだよ」と説明されました。10歳か11歳頃のことです。「何か隠されていることがあるな」と胸騒ぎがしていました。ごく自然と母に「私、子どもを産めないんじゃない?」と尋ねたのを覚えています。母はどう答えていいか困っていました。後で再び本当かどうか確かめた時、母は「分からない」と答えました。その反応で「やっぱり本当なんだ」と察しました。
ある日(母の日の前日でした)、ベッドから起こされて両親から「子どもを持つことはできないんだ」と正式に告げられました。11歳の時です。その1年後、母からXY染色体に関する詳しい話を聞かされました。患者会(当事者団体)へ連れて行くにあたり、正しい知識を共有しておく必要があったからです。
その話を聞いた時、どう思いましたか?
マルリーン: まだ幼かったので、あまりピンと来ていませんでした。話の筋道は理解できましたが、深く受け止めるには至っていませんでした。XX染色体やXY染色体の意味を本当の意味で理解したのは、高校の生物の授業の時です。授業で「女性でXY染色体を持っていて、ホルモンが作用しないケースはあるのですか?」とあえて質問してみたのですが、先生から「それはない」と否定されました。その時初めて「自分の体の特徴は専門の先生でも知らないくらい、とても珍しいことなんだ」と実感しました。
自分から本などで調べるようになりましたか?
マルリーン: 本で調べるというよりは、当事者団体の集まりや週末イベントに参加するようになりました。そこで多くの情報を得たり、他の人たちがどのように向き合っているかを聞くことができました。みんなそれぞれ異なる体の特徴を持っており、様々な形があることを知りました。
ただ、当時の私は「何事もなかったかのように」振る舞い、日常を過ごそうとしていました。現実から目を背けていた部分もあります。それは、周囲に漂う「秘密にしなければならない」という強い空気のせいでもありました。他のDSD当事者からもよく聞く話ですが、当時は「周りには秘密にして、何もないように振る舞う」という医療・教育方針が主流でした。でも、隠せば隠すほど、自分の中でその存在が大きく膨らんでいってしまうのです。

それはあなたにどのような影響を与えましたか?
マルリーン: 誰にも自分の本当の姿や体のことを話せないことで、頭の中がどうにかなってしまいそうでした。本来の私はとてもオープンな性格なので、秘密を持ち続けることが大きな重荷になり、プレッシャーはどんどん強くなっていきました。17歳の時、思い切って信頼できる親友たちに打ち明けました。胸のつかえが取れてとても軽くなりました。でも、「誰にも言わないでね」と念を押し、母からも固く口止めされていました。
男性との交際についても、デートはできても距離が縮まりそうになると自ら遠ざけてしまっていました。恐怖心があったからです。男性から好意を寄せられても、「本当の私を知らないからそう言えるんだ。本当の私を知ったら好きになってくれるはずがない」と思い込んでいました。気持ちの結び目がどんどん硬くなっていき、21歳の時に周囲から勧められて心理カウンセラー(セラピスト)の元へ通うようになりました。そこで溜め込んでいた感情をすべて吐き出しました。
なぜ男性を遠ざけてしまっていたのでしょうか?
マルリーン: 「自分は他の人とは違う、変な存在なんだ」という強い思い込みがあったからです。婦人科の先生からは「外見的には何も変わらないし、とても自然な状態ですよ」と太鼓判を押されていたにもかかわらずです。男性と良い雰囲気になるとパニックになり、「逃げ出さなきゃ。私が『人と違う』と知ったら好きでいられるはずがない」と思い込んでしまっていました。セラピーを受ける中で、「人は身体の特徴とは関係なく、自分という人間そのものを好きになってくれるんだ」と気づくことができました。

医療面での経過について教えてください。
マルリーン: 5歳の時に性腺組織(精巣組織)の摘出手術を受けました。今振り返ると、身体的な支障はなかったものの、現在の医学的見地から見れば残しておいた方が良かったのではないかと思うこともあります。姉妹たちは思春期の変化が急激に訪れましたが、私の場合はお薬によってゆっくりと変化が進みました。10歳から女性ホルモンを少しずつ補う治療を始め、手の骨のレントゲンで成長の進み具合を確認していました。
16歳の時、膣の深さを確認するための腹腔鏡検査(全身麻酔下の内視鏡チェック)を受けました。結果として十分な深さが確認されなかったため、ペロッテ(拡張器具)を用いたケアを勧められました。最初は「パートナーができるまでやりたくない」と思っていましたし、当時は「自分にパートナーができるなんてあり得ない」と諦めていました。でも、半年後に意を決してスタートし、1年半ほどかけてケアを続けました。
拡張ケアのプロセスの印象はどうでしたか?
マルリーン: 正直なところ、心理的なサポートや配慮は不十分だと感じました。金属製の冷たい棒(サイズ別の拡張器具)が入った封筒を渡され、そのまま病院を後にしたのです。3ヶ月ごとの定期検診がありましたが、半年ほど経った時に医師から「ローション(潤滑ゼリー)は使っていますか?」と聞かれ驚きました。そんな説明は一切受けておらず、半年間ずっとそのまま使用していたのです。
医療従事者の立ち会いのもとで正しくケアできているか確認されることもなく、とても機械的・作業的に感じられました。性愛やスキンシップの温かさとはかけ離れ、「単に形態を整えること」だけが目的になっているように感じられ、当時は悲しさを覚えました。
現在はそのケアに対する捉え方は変わりましたか?
マルリーン: 今はまったく違います。性科学者(セクソロジスト)や心理士の方と話し合い、リラックスした状態でどのように向き合うかを学びました。姿勢や環境作りがとても大切で、横になって全身の筋肉を緩めた状態で行うのが望ましいと知りました。パートナーと一緒に理解を深め、オープンに話せるようになれば、決して特別なことではありません。冷たい金属の棒ではなく、現代には心地よくケアできる器具もたくさん作られています。医療の現場でもそうした配慮が進んできているのは嬉しいことです。

定期検診や健康管理はどのように行っていますか?
マルリーン: 2年に1回のペースで、骨密度や副腎、ホルモンバランスのチェックを受けています。私はダンサーとして身体を激しく使う仕事をしているため、骨の健康状態(骨粗鬆症の予防)には特に気を配っています。普段服用しているお薬は、エストラジオール(女性ホルモン)が含まれた「エストロフェム」のみです。
学業やキャリアへの影響はありましたか?
マルリーン: 高等学校を卒業後、ダンスアカデミーで2年間学び、その後ユトレヒト大学で演劇学を修めました。「自分で子どもを産む人生ではない」と分かっていたからこそ、他の分野で自分の人生を輝かせたい、何かを成し遂げたいという強い達成意欲がありました。踊ることが大好きで、勉強も得意だったため、進路にはとても悩みました。若い頃は常に焦りや不安があり「これではまだ足りない」と選択を繰り返していましたが、成長するにつれて「今の自分自身と、今やっていることを愛すること」が一番大切だと気づきました。
自分自身を女の子・女性と感じていましたか?
マルリーン: はい、完全に女の子・女性に生まれ育ってきました。自分の性について疑問を抱いたことは一度もありません。
子どもを持つことについての代替案(養子縁組など)は考えていますか?
マルリーン: 養子縁組などを強く望む気持ちは今のところありません。私は宗教信者ではありませんが、自分の人生には出産以外にも大切な役割や使命があると感じています。もし将来子どもと関わるとしたら、本当に助けを必要としているお子さんを受け入れる里親(ファミリーホーム)のような形に関心があります。
以前は子どもと接すると心が痛む気がして距離を置いていましたが、それはただの思い込みだと気づきました。今は甥っ子や姪っ子、周りに生まれる赤ちゃんたちが愛おしくてたまりません。時折胸がキュッとなる瞬間はありますが、自分には自分の歩むべき道があると前を向いています。

現在は周囲にオープンに話していますか?
マルリーン: 「足の指が少し曲がっているんだ」と気楽に話すのと同じくらい、オープンでいられるのが理想だと思っています。長年隠さなければならなかった反動もありますが、病院や両親から「絶対に秘密にしなさい」と教え込まれていたことには、後になって怒りを覚えたこともありました。でも、両親も当時はどうすればいいか分からず、医師の指示に従うしかなかったのだと理解しています。
現在は友人や家族のほとんどにオープンに伝えています。出会って間もない人の方がスムーズに話せることもあり、昔からの知人に打ち明ける方が少し勇気が要ります。誤解されたくないという気持ちから言葉選びには気を遣いますが、なるべくありのままの自分を伝えるようにしています。
パートナーにはどのように打ち明けましたか?
マルリーン: 最初にすべてを打ち明けたのは、昔からの男性友人でした。「きっと引かれて嫌われるだろう」と怯えていましたが、彼はまったく変わらない温かさで受け止めてくれました。自分という人間そのものを好きでいてくれるのだと実感し、大きな転機となりました。
現在のパートナー(35歳の男性)にも、交際前の不安な時期に勇気を出して自分の体の特徴をすべて話しました。彼はとても温かく受け止めてくれました。彼は少し年上ということもあり「子どもを持つ段階は自分の中で一区切りついていて、何よりあなたと一緒にいたい。子どもがいない人生でも幸せだよ」と言ってくれました。その言葉に心から救われ、今とても幸せな日々を送っています。
どのように周囲へ説明していますか?
マルリーン: いつも分かりやすい言葉で伝えています。「生理が来ない体質で、子宮や卵巣がないこと」「男性も女性もそれぞれホルモンを持っていること」「女性ホルモンの働きによって自然な女性の体として育ったこと」を丁寧に話します。以前雑誌の取材を受けた際の記事を見てもらうこともあります。言葉で話すと感情が溢れてうまく伝えられない時があるからです。
遺伝カウンセリングなどは受けましたか?
マルリーン: 母の代で発生した遺伝的特徴であることが分かっています。祖母や叔母には見られませんでした。私の姉妹たちにはこの特徴はありませんが、保因者である可能性を確認するため、将来子どもを考えるタイミングで検査を受ける予定にしています。
現在はプロのダンサーとして活動されてるんですね
マルリーン: はい、自分のダンススクールを経営しています。裏方の組織運営や文化事業の企画などにも興味があり、チャンスがあればどんどん挑戦していきたいです。自分の心に素直に、今を全力で楽しんでいます。

当事者グループとの繋がりはありますか?
マルリーン: はい、患者会のSNSグループで繋がっています。定期的な交流会や週末の旅行イベントなどもあります。自分自身の心が安定してくると参加頻度は落ち着きますが、チャットグループなどで情報交換を続けています。
最後に、医療従事者の方々へ伝えたいメッセージはありますか?
マルリーン: 子どもを「症例や珍しい患者」として見るのではなく、ひとりの「子ども」として温かく接してほしいです。子どもの頃、診察室に大勢の研修医が入ってきた時の不気味さや居心地の悪さは今でも忘れません。ただ淡々と服を脱いで検査を受けるだけの臨床的な空間は、幼い心にとってとても傷つく体験になります。
小児科の医療従事者の皆さんには、専門的な医療技術だけでなく、子どもの心に寄り添う細やかな配慮とコミュニケーションを大切にしてほしいと切に願っています。
アンドロゲン不応症女性(AIS女性)とは?

アンドロゲン不応症(AIS)とは、女性のDSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患)のひとつです。エレーナさんの場合のAISでは、染色体はXYで性腺も精巣なのですが、男性に多いアンドロゲンホルモンに体の細胞が完全に反応しない状態のために、母親の胎内の段階から、まったくの女性に生まれてきました。ですが、子宮や膣の一部がなく、生物学的な子どもを持つことができません。一般的に女性のこの体の状態が判明するのは思春期前後で、ご本人もご家族も大きなショックを受けられることがほとんどです。
アンドロゲン不応症(AIS)等のXY女性はなぜ女性(female)に生まれ育つのかについては,以下を御覧ください(画像をクリック)。



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