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ターナー症候群のある女性たちの物語(5)

  • 執筆者の写真: nexdsdJAPAN
    nexdsdJAPAN
  • 7月7日
  • 読了時間: 11分

更新日:7月12日



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御覧の皆様へ


私たちは「性のグラデーション」でも「男女の境界の無さ」でもありません。むしろそのようなご意見は、私たちの女性・男性としての尊厳を深く傷つけるものです。

ターナー症候群(45X女性)をはじめとするDSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患)は、「女性にもいろいろな体がある、男性にもいろいろな体がある」ということです。


日本ではコミックなどの影響で、ターナー症候群女性に対してさえ「男でも女でもない」「男性化する」などという酷い誤解偏見がありますが、DSDs全般やターナー症候群に対する「男でも女でもない」などの偏見は,新型出生前検査(NIPT)での中絶選択のリスクにも繋がります。


どうか、お間違いのないようにお願い致します。


詳しくは「DSDsとは何ですか?」のページをご覧ください。








今では自分自身に対して確信を持てるようになりました。

:ナヴェさんの物語



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こんにちは。ナヴェと申します。28歳です。私は生まれたときにターナー症候群(TS)と診断されました。最初からいくつか健康上の問題を抱えていて、心臓と腎臓の2回の手術を受けなければなりませんでした。心臓には大動脈狭窄があり、腎臓のひとつには嚢胞がありました。医師たちは当初、心臓手術の空きがないと告げ、私の命は限られていると言われました。

両親は祈り、しばらくして医師たちが心臓手術の枠ができたと知らせてくれました。その後、腎臓の摘出手術も受けました。どちらの手術も乳児の頃に行われ、今ではどちらも問題ありません。それ以来、幸いにも健康に過ごせています。

思春期の頃になると、精神的に、そして自己イメージに関してより苦しむようになりました。自己イメージの問題が始まったのは、ちょうど思春期に差し掛かった頃でした。友達の身体は変化していくのに、私の身体は変わらなかったのです。でも、私はまだ子どもでいることに集中していたので、それほど強く影響は受けずに済んだのはありがたかったです。

それでも、自分が「違う」ということは常に意識していました。友人関係に悩んだり、自分を他人より意識しすぎてしまうこともありました。大人になった今では、TSが自分の人生の中でより重要な意味を持ってきていると感じています。私は今28歳で、結婚や子どものことが常に頭の中にあります。妊娠できないことは以前から知っていましたが、今まさにそういうことを考える年齢になって、そのことがよく頭をよぎります。将来のことや、自分にどんな選択肢があるのかを、いつも考えています。これまで一度も恋愛関係になったことがないので、他の人より遅れているように感じます。TSを含めた自分全体を受け入れてくれる人に、いつか出会えるのかと思い悩むこともあります。

TSは私の健康、妊娠の可能性、人との関わり方に影響を与えてきましたが、今ではかなり自立していますし、大学と大学院にも通うことができました!自分自身に対する自信もずっとついてきて、全体としてはとても前向きに生きられています。

私の目標は、周産期のソーシャルワーカーになって、妊婦さんや赤ちゃんと関わる仕事をすることです。自己イメージや自尊心の問題はありましたが、今では自分自身に対して確信を持てるようになり、TSも自分のニーズを満たし、目標を達成するための「強み」として捉えられるようになりました。



これは私たちの娘の物語です。

:レスリーさんの物語


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こんにちは、ターナー症候群コミュニティの皆さん!私たちは10年以上にわたり、TSSUS(全米ターナー症候群協会)のメンバーとして活動してきました。今回、私たちの娘の物語を共有することで、私たちがこれまでに受け取ってきた支援や励ましを、少しでも他の方々の助けにつなげられればと願っています。

娘のサラがクラシック型ターナー症候群(TS)と診断されたのは、7歳のときでした。成長曲線から外れたことがきっかけで検査が行われ、診断に至りました。以降、8年間にわたり成長ホルモン療法を受け、最終的には身長が5フィート2インチ(約157cm)にまで伸びました。注射は最初こそ怖がっていましたが、「続けて本当に良かった」と本人は話しています。

最近の定期MRI検査にて、PAPVR(部分的肺静脈還流異常)という先天性心疾患が新たに発見され、経過観察が必要となりました。このことから私たちは、TSの身体的特性を深く理解している医師による継続的なモニタリングの重要性を痛感しました。以前の検査では異常が見つかっていなかったため、熟練した医療体制の必要性をあらためて認識したのです。

サラは高校時代、学業も優秀で、全米優等生協会のメンバーであり、マーチングバンドではトランペットを担当していました。TSSUSのカンファレンスで耳にしたディーン・ムーニー博士の助言に従い、大学進学の際には自宅から40分離れたキャンパスに住む道を選びました。自立を促す距離感でありながら、必要なときには親がすぐ駆けつけられる距離という、絶妙な選択でした。

ある晩、大学の夕食時のことです。彼女と親しい友人のひとりが、話の流れで同じような検査を控えていることに気づき、なんと二人ともTSであることが判明しました。その友人はこれまでTSの人と出会ったことがなかったそうで、二人にとって非常に貴重な「TSの姉妹(TS sister)」の絆が生まれました。

そして、私たちは誇りを持ってお伝えします。サラは今年5月、ウィスコンシン州ケノーシャのカースレッジ大学を卒業し、2つの学士号(歴史学およびデータサイエンス)とスペイン語の副専攻を取得しました。ちなみに、データサイエンスは数学系の学位です!

サラは13歳から毎年、TSSUS全米ターナー症候群カンファレンスに参加してきました。彼女が築いてきた友情、そして私たち親が得たかけがえのないつながりに、私たちは心から感謝しています。今年7月にポートランドで再会できるのを、今からとても楽しみにしています!



妊娠中に29歳でターナー症候群と診断された私の物語

:ホリーさんの物語


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私は、自分の物語を共有することで、家族を増やそうとしている方や、妊娠中で不安を抱えている方々に希望や安心感を届けたいと思っています。私の名前はホリー、現在30歳です。ターナー症候群(TS)と診断されたのは、昨年の夏のことでした。

TSの診断が出る前、私は1人目の妊娠を無事に終えました。唯一の問題は、妊娠後期に妊娠高血圧症を発症したことだけで、私も息子も健康でした。

その4か月後、2人目の妊娠が分かりました。そして、この2回目の妊娠中にターナー症候群のことを知ることになります。妊娠10週の定期的な血液検査を受けた後、産婦人科の先生から「モノソミーX(ターナー症候群)が検出された」と知らされました。けれども、その時点では、それがお腹の中の娘(このとき性別も初めて判明し、思いがけないサプライズでした)なのか、それとも私自身なのか、分かりませんでした。

先生から基本的な情報を聞き、念のため循環器内科での検査を勧められました。その後しばらくして私自身の核型検査の結果が届き、なんとTSだったのは私の方だったのです。当時私は29歳。まさか自分が今になって診断されるとは思ってもいませんでした。

そのときの気持ちは、恐怖、感謝、安堵、不安が入り混じったものでした。けれど、まず何よりも「娘が無事でよかった」と、それだけで心から安心しました。

私は、困難に直面したときにはユーモアで気持ちを軽くすることを大切にしています。そこで家族と一緒に「-1クロミー・ホーミー(染色体が1本少ない仲間)パーティー」を開いて、診断を明るく受け入れ、お祝いしました。こうしてポジティブに受け止めることで、気持ちが楽になりました。

妊娠・出産を安心して進めるためにハイリスク妊婦の枠でフォローアップを受けました。循環器専門医による心エコー検査や、産婦人科での毎週の診察も行い、私と赤ちゃんの安全を丁寧に確認しました。

ありがたいことに、すべての検査と診察結果は非常に良好でした。妊娠中はやはり高血圧の症状が出ましたが、事前に予想されていたため、それだけが唯一の懸念事項でした。

そして無事に、健康で安全な出産を迎えることができました。2人目を出産した現在も、私の健康状態は良好で、高血圧も解消しています。

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私はとても幸運だと感じています。1つには、2回続けて健康な妊娠・出産を経験できたこと。もう1つは、このあたたかいターナー症候群コミュニティと出会えたことです。

この経験を通して、妊娠中にTSの診断を受けて不安に思っている方々へ、少しでも希望や安心を届けられたらと思っています。




私にとって一番大切なのは、ターナー症候群の仲間がいること。

:ジューンさんの物語


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私のターナー症候群(TS)の物語は、生まれたときに診断されたところから始まりました。幼い頃は、ピッツバーグにあるチルドレンズ・ホスピタルで多くの時間を過ごしました。TSは決して「一律のパターン」ではありません。同じようなことに直面することもありますが、私が抱える問題は、TSのバタフライ・シスターたちと違うこともあります。


TSを抱えて生きる上での「取り扱い説明書」のようなものはありません。常に「他の女性とは違う」と感じながら生きていくことは簡単ではありません。時に人は、無意識に傷つけるようなことを言ってしまいます。「自分の意志で、健康な赤ちゃんを産めるかどうかを選べない」という状況が、どれほどつらいか分かってもらえないことも多いです。一生続く、数えきれない医療検査や通院についても、理解されることは少ないです。


もし「医者によく行くね」と言われた回数や、医師に「あなたの数値は一応正常だけど、TSだから慎重に経過観察しないといけない」と言われた回数で1セントもらえていたら、私はもう大富豪です(笑)。私は肝臓の酵素異常があり、心臓の状態にも注意が必要です。そして今週はなんと皮膚がんを蹴散らしてやりました!(TSの人はホクロができやすいんです)


私は生まれた子どものうち、家に帰ることができた2%のうちの1人です。だからこそ、私は強く生きています。それは、私の内なる力と、主であり救い主である神様のおかげです。


私は今年の5月で52歳になります。主は、私の人生にすばらしい旅を用意していてくださいました。子どもの頃、父がチルドレンズ・ホスピタルの出口で車を降りようとすると、私はシートベルトを外してハンドルを握ろうとしたほどでした(完全に取り乱してましたね…)。私を知っている人なら誰でも分かることですが、私は可愛いイタリア系の父親の生き写しで、決してあきらめることはありません。彼はいつも「できないことなんてない」と教えてくれました。そして、私は人生の中盤で新しいキャリアに挑戦し、保険のライセンスを取得した今の自分を、父も誇りに思ってくれるはずだと、笑顔で思い出します。


医療関係者や家族が大切なのはもちろんですが、私にとって最も大切なのは、TSの友人たちがいることです。私は35歳になるまで、同じTSの人に出会ったことがありませんでした。でも今では、「TSマフィア」という素敵なシスターフッドの一員です!


ここで特別な感謝を伝えたいのが、ラシェル・ジェニングスです。私がもう限界、というときに911(緊急)電話を何度も受けてくれて、本当に助けられました。彼女はいつまでも、「アメリカで一番キュートなTSバタフライ」です!






私はいつも感謝の気持ちを忘れないことを選びます。

:デブラさんの物語



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こんにちは、私の名前はデブラです。つい最近45歳になりました。私はウィスコンシン州に住んでいます。生まれもここですが、これまでにいろいろな場所に住んできました。アリゾナ州、コロラド州、ミズーリ州、オレゴン州、イリノイ州、そしてウィスコンシン州を渡り歩いてきました。


私がターナー症候群(TS)と診断されたのは18歳のとき、アメリカ海軍に入隊しようとしたときでした。TSが発見されたのは、ブートキャンプを終えてAスクールとグアムに行く3日前のことでした。診断を受けた後は、選択の余地もなく名誉ある医療上の理由による除隊となりました。その時以来、私は「人生を最大限に生きること」「どんな瞬間も当たり前と思わないこと」を信条にしています。


私を日々支えているのは、計り知れないほどの愛と恵み、そして信仰心です。私は比較的健康に育ちましたが、年齢を重ねるにつれて、さまざまな医療問題や入院を経験するようになりました。それでも私は間違いなく「TSストロング」、戦い続けるファイターです!


私はこれまでに、たくさんのTSシスターたちと出会い、交流してきました。TSのミートアップに参加したり、自分でイベントを主催したこともあります。私は間違いなくこの世界に存在する理由がある人間です。というのも、何度も死の淵から生還してきたからです。


今は3回の背中の手術を経て障害給付を受けて暮らしていますが、かつては介護士(CNA)、空港保安職員、教会の秘書、そして犬の保護施設の創設者など、さまざまな素晴らしい仕事を経験してきました。


この私の物語を通して伝えたいのは、「いつも感謝の気持ちを持ち続けてください」「絶対にあきらめないでください」「やりたいことは何でも実現できると信じてください」ということです。


何よりも――あなたは戦う力を持っている。あなたなら大丈夫。TSストロング!














コメント


海外国家機関DSDs調査報告書

ベルギー国家機関性分化疾患/インターセックス調査報告書
オランダ社会文化計画局「インターセックスの状態・性分化疾患と共に生きる」表紙

 近年、教育現場や地方・国レベルで、LGBTQ等性的マイノリティの人々についての啓発が行われるようになっています。その中で,DSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患)が取り上げられるようになっていますが、昔の「男でも女でもない」という偏見誤解DSDについての知識が不十分なまま進められている現状があります。

 そんな中,人権施策や性教育先進国のオランダとベルギーの国家機関が,DSDsを持つ人々とご家族の皆さんの実態調査を行い報告書を出版しました。

 どちらもDSDsを持つ人々への綿密なインタビューや、世界中の患者団体、多くの調査研究からの情報などを総合し、誤解や偏見・無理解の多いDSDsについて、極めて客観的で当事者中心となった報告書になっています。世界でもこのような調査を行った国はこの2カ国だけで,どちらの報告とも,DSDsを持つ人々に対する「男でも女でもない」というイメージこそが偏見であることを指摘しています。

 ネクスDSDジャパンでは,この両報告書の日本語翻訳を行いました。

DSDs総合論考

 大変残念ながら,大学の先生方でもDSDsに対する「男でも女でもない」「グラデーション」などの誤解や偏見が大きい状況です。

 

 ですが,とてもありがたいことに,ジェンダー法学会の先生方にお声がけをいただき,『ジェンダー法研究7号』にDSDsについての論考を寄稿させていただきました(ヨヘイル著「DSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患/インターセックス) 排除と見世物小屋の分裂」)。

 今回,信山社様と編集委員の先生方のご許可をいただき,この拙論をブログにアップさせていただきました。

 DSDsの医学的知見は大きく進展し,当事者の人々の実態も明らかになってきています。ぜひ大学の先生方も,DSDsと当事者の人々に対する知見のアップデートをお願いいたします。

 

 (当事者・家族の皆さんにはつらい記述があります)。

ジェンダー法研究:性分化疾患/インターセックス総合論考
ジェンダー法研究:性分化疾患/インターセックス総合論考
性分化疾患YouTubeサイト(インターセックス)
ネクスDSDジャパン:日本性分化疾患患者家族会連絡会
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